第19話:姉の気づき
最近の和歌は、少し様子がおかしかった。
それは、怜が妹の日常を、
常にではないが、時折観察していたからこそ、
気づくことができた微細な変化だった。
部屋にこもりがちで、
ボカロの音は聞こえるものの、
新作が全くアップロードされない。
いつもなら、ブレイズとの共同制作でも、
もう次の歌詞のアイデアを
持ってくる頃だというのに。
ドラムスティックを軽く回しながら、
怜は妹の様子を気にかけていた。
引っ込み思案なのは知っているが、
あんなに夢中になってるのに、
何で次の曲を公開せぇへんのや。
ブレイズの次のレコーディングのことも考え、
怜は和歌の部屋に向かうことにした。
とある週末の午前中。
和歌は、一人で図書館に行くと言って、
朝早くから家を出て行った。
怜は、その隙を見計らい、
和歌の部屋を訪れた。
ノックもせずにドアを開ける。
和歌は不在だ。
部屋の中は、和歌の性格を表すように、
きれいに片付けられていたが、
机の上には、ノートやペンが無造作に置かれている。
散らばった教科書の横には、
使いかけのスケッチブックが置いてあった。
「どうせ引き出しにメモが散乱しているんでしょう」
そう思って、軽く机の上に視線を走らせる。
すると、引き出しが少し開いており、
その隙間から、白い紙の端が、少しだけ見えていた。
和歌が、慌てて隠そうとしたような跡がある。
それは、ブレイズの曲の譜面ではなかった。
怜の好奇心が、わずかに刺激される。
普段は妹のプライベートに深入りしない怜だが、
この時ばかりは、何かが引っかかった。
怜は、引き出しから少し顔を出していた紙を、
和歌のプライベートを侵すような罪悪感を覚えながらも、
好奇心に抗えず、そっと覗き込んだ。
そこには、見慣れない歌詞が書かれている。
「初めての場所 見慣れない都会(まち)
人見知りな私 俯(うつむ)いたまま
月の灯りが 照らす島で
私はずっと あなたを探してた」
怜は歌詞を読み進めるうちに、
これがただの依頼歌詞ではなく、
和歌の輝への切ない「恋の詩」だと気づき、ハッとする。
……これ、ただのバンド用の歌詞ちゃうな。
怜はそう悟ったが、口には出さなかった。
読み終えると、怜は、和歌の気づかないうちに、
そのメモをそっと元の位置に戻した。
指先が、紙に触れただけで、
和歌の秘めた想いが伝わってくるようだった。
「歌詞に、名前が入っとるやん。
月島輝。あんた、輝のこと歌っとるんか?」
和歌の純粋で、臆病な恋心。
それが、こんなにもストレートに、
歌詞に表現されていることに、怜は驚いた。
妹が、自分に何も言わずに、
こんなにも切ない恋をしていたなんて。
そして、こんなに素晴らしい歌を作っていたなんて。
普段、感情を表に出さない怜の胸にも、
かすかな衝撃が走る。
輝。あの憎たらしいほど眩しい男に、
まさか、和歌が恋をしていたとは。
しかも、その想いをこんなにも美しい歌に昇華させている。
それは、怜が妹の才能を再認識する瞬間でもあった。
怜は和歌の恋心と、人見知りな性格ゆえに自ら告白できない葛藤を知る。
「あんた、輝のこと、ほんまに好きなんやな」
心の中で、和歌に語りかける。
「でも、あんたの性格じゃ、
自分から告白なんて、一生できへんやろ」
それは、怜が妹の性格を一番よく知っているからこそ、
確信できたことだった。
和歌はいつも、自分の殻に閉じこもりがちだ。
特に、あの日、関西弁をからかわれて以来、
人前で自分の意見を言ったり、
感情を表現したりすることを極端に避けるようになった。
そんな妹が、自ら行動を起こすことなんて、
まずありえない。
このままでは、和歌の恋は、
何も始まらないまま終わってしまうだろう。
「だから、私が、手伝ってやる」
怜は、和歌の背中を押すため、ある大胆な計画を立てる。
「あんたの背中を押してやる。
あんたの告白を、俺らが全力でサポートする」
そう心の中で呟きながら、
怜はニヤリと笑った。
それは、いつものクールな笑みとは違う、
悪巧みをしているような、そんな笑顔だった。
けれど、その笑顔の奥には、
妹への、静かで深い愛情が隠されていた。
心配するような言葉は決して口にしないが、
妹の幸福を願う姉としての想いが、
怜の心の中で確かに芽生えていた。
怜は和歌の部屋を出ると、
そのままリビングへと向かった。
和歌のパソコンは、いつもリビングに置いてある。
怜は、USBメモリを差し込み、
和歌の音楽フォルダを開いた。
「告白ソング」のボカロデータ。
ミックス前の音源ファイル。
怜は、それを全て、USBメモリにこっそりコピーした。
和歌は、自分が作詞した歌詞を怜に読まれたこと、
そして、そのデータが怜によって持ち出されたこと、
その両方に全く気づいていない。
怜は、何も言わず、
USBメモリを抜いて、ポケットにしまった。
まるで、何もなかったかのように。
妹の恋心を、
裏で支えること。
それは、自分にとっては慣れないことだ。
でも、和歌が、
こんなにも誰かを想い、
こんなにも切ない歌を作っていたなんて。
その想いを、ちゃんと輝に届けさせてやりたい。
そう強く思った。
文化祭まで、あと一ヶ月。
和歌の告白ソングが、
ブレイズの演奏に乗って、
輝に届く。
その光景を想像するだけで、
怜の胸は、不思議な高揚感に包まれた。
妹の人生が、
自分の手で、
大きく動き出そうとしている。
そんな予感が、怜の心を占めていた。
それは、誰にも言えない、
怜だけの、密かな楽しみとなった。
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