虚無の中で
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虚無の中で
第1章:直井勇気の世界
直井勇気が生まれた家は、愛情という言葉を知らなかった。母は不機嫌な顔をして毎日を送り、父は家にいることが少なかった。家庭内暴力が日常のようになり、勇気は自分の居場所を探すことを必死に考えていたが、どこを探してもそれは見つからなかった。
彼のストレスの捌け口は、ある日から仔猫に向けられるようになった。小さな命が彼の手の中で崩れ、命が絶たれる瞬間、心の中の空洞が少しだけ埋まったような気がした。彼はそのことを理解していた。悲しみが満ちた心を、悲しみのない命で埋める。痛みを感じさせないようにするには、痛みを与えるほかない。その矛盾に、少しの慰めを見つけていた。
それが正しい方法だとは思わなかったが、他に方法が見つからなかった。殺すことが、彼にとって唯一の生きている証だった。命を奪うことでしか、感じられないものがあった。
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第2章:夢野光との出会い
新学期が始まった。その日、教室には見慣れない顔があった。転校生だろうか、夢野光という少女。彼女は長い黒髪を無造作に束ね、目を伏せている。その視線の先には、同級生たちが無関心に集まっているだけだ。彼女の腕には、はっきりと見て取れるリスカの跡が刻まれていた。
最初、直井はそのことに気づかなかった。しかし、次第に彼女の姿を見かけるたびに、何かが引っかかるようになった。彼女の言動、姿勢、どこか悲しげな雰囲気。何かに取り憑かれているような雰囲気を漂わせていた。
授業中、ふと目が合った。夢野は微笑んだわけでもなく、悲しげでもなく、ただ静かに目を合わせてきた。何も言わずに。その瞬間、彼女は直井にとって、ただの転校生ではなく、何か特別な存在だと感じた。
そして、彼女が自称「電波」と通信していると言ったとき、その言葉が直井の心に響いた。彼女はその通信が「真実」だと思っているのだろうか。だとしたら、彼女の心の奥にはどれほどの孤独と絶望が隠れているのだろう。
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第3章:秘密の共有
ある日の放課後、直井はいつものように裏庭で仔猫を殺していた。その瞬間、彼女が現れた。夢野光が、静かにその光景を見ていたのだ。直井は動揺し、手に持っていた仔猫を落としそうになったが、彼女は言った。
「私は見ていないよ。あなたのこと、何も見ていない。ただ、私も同じことをしたことがあるだけ。」
直井はその言葉に一瞬言葉を失った。夢野もまた、同じように命を奪ったことがあるという。殺すことでしか感じられないものがあることを、彼女も知っていた。だが、それは一体どんな感情なのだろうか。
夢野は続けた。「電波が言ったの。あたしが命を奪うことで、何かが救われるって。でも、それが何なのかは、私にはわからない。」
その日以来、直井と夢野の間には、言葉にできない絆が芽生え始めた。二人はお互いに、言葉ではなく、無言の理解で繋がっていった。彼女が何を感じ、彼が何を感じているのか、それを言葉で表す必要がなかった。
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第4章:不安定な絆
直井と夢野は次第に、互いの痛みを分かち合うようになった。彼女がいじめに苦しんでいること、彼が家庭で虐待を受け続けていること、それぞれが持つ深い闇を理解し合い、受け入れていった。だが、その絆は少しずつ不安定になっていった。
夢野は、ますます「電波」との通信に依存し始め、現実と幻想の境界が曖昧になっていった。彼女の目は、時折虚ろで、言動も支離滅裂になることが増えた。しかし、直井はその変化をただ見守っていることしかできなかった。
「電波が言うには、もっと多くの命を奪わなければならないって。」夢野はそう言いながら、直井を見つめた。
直井は何も答えなかった。その言葉が本当に「電波」から来たものか、それとも彼女自身の心から発せられたものか、直井にはわからなかった。ただ、彼女が今、求めているものは何なのか、それだけが重要だった。
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第5章:暗い約束
直井と夢野は、互いに依存し合っていた。彼女が言う「電波」の言葉を信じ、二人はその導きに従うことでしか、自分たちの存在を確かめられないような気がしていた。彼らは次第に、「命を奪う」ことが愛の証だと信じ始めた。
ある日、直井は彼女に言った。「一緒に、もっと多くの命を奪ってみよう。そうすれば、俺たちの痛みも、もっと強く感じられるだろう。」
夢野は黙って頷いた。彼女の目には、どこか決意が見えた。そして二人は、その約束を胸に、さらに多くの命を奪うことに没頭していった。
その中で、直井は時々、心の中に小さな疑問を抱くようになった。殺すことが愛なのか? 本当に、このままでいいのか? だが、その疑問を口にすることはなかった。なぜなら、彼女がいるから、彼の心は少しだけ救われていたからだ。
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第6章:殺戮の繰り返し
夢野と直井は、次第に殺すことに対して麻痺していった。最初はその行為に少しの罪悪感があったが、それも次第に薄れていった。彼らは仔猫たちの命を奪うことで、無意識のうちに自分たちの痛みを紛らわせていたのだろう。
何度も繰り返していくうちに、その行為は儀式のようなものになった。橋の上で、ふたりは仔猫たちを手に取り、その命を奪う。そして、奪った後には必ず言葉を交わすことなく、無言でその場を後にする。まるで、言葉にすることが恐ろしいことのように、二人はその空間を共有していた。
「今日は、何匹だろうね?」直井が呟く。
夢野は静かに答える。「わからない。もっと、もっと殺さないと。」
彼女の目は、もうどこを見ているのか分からなかった。その瞳の奥にあるのは、すでに夢でもなく、現実でもなく、ただただ虚無であった。それが、「電波」の声を聞くことに依存している証拠なのだろうか。直井はその目を見ていると、心の中で何かがひとしずくずつ崩れていくような感覚に襲われた。
「殺すことが、私たちの命の証明になるんだろうね。」夢野は呟きながら、何かに導かれるように歩き続けた。
直井は答えなかった。ただ、彼女の背中を見つめながら、次の行動に移った。
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第7章:心の崩壊
次第に、夢野は精神的に不安定になっていった。彼女が「電波」との通信に没頭する時間が長くなり、その内容もますます支離滅裂になっていった。彼女の目は時折、虚ろになり、まるで現実世界と夢の世界の狭間にいるようだった。
「電波が、私を試しているんだよ。試しているんだ。」彼女は、そう繰り返すことが多くなった。直井は、その言葉を聞きながらも、彼女が何を本当に求めているのか、理解できなかった。彼女の心は、すでにどこか遠くへ行ってしまっているように感じられた。
その日も、直井は彼女と一緒に歩いていた。彼の目には、夢野の姿がいつもよりもぼやけて見えた。彼女はどこか遠くを見つめ、ただ黙って歩くことしかできなかった。
「夢野、どうしたんだ?」直井は言葉をかけた。
夢野はゆっくりと振り向き、彼を見つめた。その瞳の奥には、もはや感情の波を感じることができなかった。ただ、空虚な虚無が広がっているだけだった。
「私、もうすぐ終わるんだよ。電波がそう言ってる。試練を超えたら、私は…」彼女は言葉を濁したが、その表情は決して無理に笑顔を作ろうとするものではなかった。
直井はその言葉を聞き、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。彼女が言う「試練」とは何か? それを乗り越えることで、何を得ようとしているのか? その答えが分からなかったが、直井は一つだけ確信していた。夢野はもう、手の届かない場所にいるのだ。
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第8章:橋の上の約束
二人の関係は、どんどん深い闇の中へと進んでいった。殺すことが「愛」の証であると信じ、他に何も見えなくなった。しかし、その行為が彼らの心に本当に解放感を与えたのかは分からない。何度も何度も繰り返すうちに、心の中の痛みはますます深くなっていった。
それでも、彼らにはお互いが必要だった。心の中の虚無を埋めるために、二人は「命を奪う」ことを続けた。やがて、二人は殺した仔猫たちが集まる場所—橋—を「聖地」と呼ぶようになった。
その夜も、二人はまた橋にいた。何匹もの仔猫たちをその場で命を奪い、その命を一つ一つ手に取る。それが二人にとって、唯一の「意味」であり、「愛」だった。
「明日もまた来よう。」夢野が呟いた。
直井は、無言で頷いた。彼女と一緒にいられるなら、何をしても構わないと思っていた。どんなことでも、この痛みが続く限り、二人で共に生きている証を作り続けていくのだと信じていた。
その夜も、二人は手を繋いで帰路についた。互いの手のひらがひどく冷たくなり、二人はただ静かに歩くしかなかった。
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第9章:命をかけた一歩
そして、物語は終焉を迎える時を迎えた。二人は、殺した仔猫たちが集まる橋の上に立っていた。何度も通ったその場所で、今日もまた、彼らは手を繋いでいた。
直井は夢野の手をぎゅっと握り締め、彼女の目を見つめた。その目は、虚無の中に何も映らないように感じたが、それでも直井は何かを見つけようとした。
「俺たち、ずっと一緒だよな?」直井は問いかけた。
夢野は静かに頷き、そして微笑んだ。その笑顔は、どこか哀れで、そして、どこか美しいものだった。
「また明日。」夢野はそう言った。
その言葉が、直井の心に深く刻まれる。そして、二人は手を繋いだまま、無音で橋の縁に歩み寄った。
その瞬間、直井は感じていた。恐れや不安、後悔の感情はもう、どこか遠くへ行ってしまったのだと。彼はただ、彼女と一緒にいることが全てだと思っていた。
二人は、一歩を踏み出した。命をかけたその一歩で、すべてが終わるのだと感じた。その先に何があるのか、誰にもわからなかったが、二人はその手を離すことなく、深い闇の中に消えていった。
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