赤トカゲ

「何を言って……」

 私がそう言いかけた、その時――


 ドゴォォォンッ!!


 私の背後、トカゲがいる部屋の方から、鼓膜を突き破るような激しい爆発音が響く。


 それと同時に、凄まじい熱風が、開いた扉の隙間から私たちの方へと勢いよく流れ込む。

 ツキミの短い黄金色の髪も、まるで嵐の日の草原のように、激しく踊る。


 私は思わず目を固く閉じてしまう。


 爆音の響きがようやく収まり、熱風も少しずつ和らぐ。


 私はそっと目を開け、煙で霞む扉の隙間から部屋の奥へと目を凝らすが、激しい爆発の余韻なのか、まだ黒っぽい煙が渦巻き、中の様子がはっきりと見えない。


 セイカの周りで美しく踊っていた炎も、今はもう消えてしまったようだ。


「セイカ……さん!?」

 不安に駆られ、私が声を上げようとした時、煙の中からひょこりと赤い髪が姿を現す。


 セイカは腰に手を当て、自信満々な様子で煙が晴れるのをじっと待っている。

 その姿はまるで、渾身の料理を作り終え、その仕上がりを待つ料理人のようだ。


(良かった――)


 しかし、部屋の煙がゆっくりと逃げていくと、巨大なトカゲも姿を現す。


 セイカの放った炎は、そのトカゲに傷一つ、やけどの一つすら負わせていなかった。


「ダメ……だった」

 爛々と輝く暗紅色の瞳でセイカを睨みつけるトカゲの姿が視界に入り、言葉がこぼれる。


 トカゲの瞳は燃えるような怒りを宿し、セイカをどう料理してくれようかと獰猛な光を放つ。


 対するセイカも、自分よりずっと高い位置にあるトカゲの顔を、堂々と見上げる。

 どこからその余裕が来るのか、その手は相変わらず腰に当てられたままだ。


 数秒間、トカゲとセイカのにらみ合いが続き、張り詰めた空気が私にも伝わってくる。


 その沈黙を破ったのは、トカゲだ。


「グルルルルルァァァァッ!!」

 腹の底から絞り出すような、怒りに満ちた咆哮が部屋全体に響く。


(ひっ!?)

 その凄まじい声量に、思わず私の肩がすくむ。

 さすがのセイカも肩がビクッと跳ねる。


 すると、セイカは「どうしよう?」とでも言いたげな、いたずらに失敗して怒られる子供のような表情で私たちを見つめ返す。


(やっぱり、無茶だったのよっ!)

 私は慌てて、早くこちらへ戻ってくるようにと、セイカを全力で手招く。


 そうしている間にも、トカゲは戦闘開始の合図とでもいわんばかりに、再び天を突くような咆哮を上げる。


 私の合図に応じてか、はたまたトカゲの咆哮を聞いてか、セイカはトカゲの後ろへと回り込むように走り出す。


 もちろん、完全に怒り心頭に達したトカゲは、低いうなり声をあげながら、その四つの太い足を巧みに使い、驚くほど速い動きでセイカを追う。


 野を駆けるウサギのような勢いで、セイカは部屋を駆け回る。


「うわぁーーーーっ! 待って待ってー!」

 セイカは悲鳴のような声を上げているわりに、その表情は何故か楽しげだ。


(一体何がそんなに楽しいの?)

 私の理解の範疇を、彼女はやはり軽々と超えていく。


 とはいえ、今はそんなことを考えている場合ではない。

 扉の隙間にセイカが飛び込めるように、私とツキミは少しだけ身を引いて、彼女を待ち受ける。


「セイカさんっ! はやくっ!」

 私がそう叫び、セイカを急かす。


「たーすけてーーーっす! キャハハっ!」

 ニコニコとした笑顔で、両手を挙げたセイカがこちらに向かってくる。


 その緊張感のなさに、助けを求めているのか、それともこの状況を楽しんでいるだけなのか、判断に迷う。


「ただいまーっす!」

 セイカが文字通り転がり込むように扉の内側に入ってきたのを確認すると同時に、私はありったけの力で扉を引く。


 バタンッ!!


(間に合った……)

 私はその場にへたり込みそうになるのを必死でこらえ、安堵のため息を漏らす。


「ふぅ」と一息ついたのも束の間、その直後――


 バン!


 バンッ! バンッ!


 凄まじい力でトカゲが体当たりしているらしい衝撃音が響き、振動が扉を揺らす。


 私は思わず悲鳴を上げそうになり、反射的に扉が開かないよう、手をかけて必死に踏ん張る。


 そんな私の様子を見て、ツキミが冷静に口を開く。


「まだ大丈夫だ。あのトカゲに、この扉を引いて開けるほどの知能はないだろう」


「あっ……」

 私は、扉に手をかけて必死に押さえている自分の手に視線を落とす。


(確かに……)

 この扉はこちらから外側に開く、外から体当たりされたところで、私が内側から押さえていなくても、そう簡単には開かないはずだ。


 ツキミのあまりにも冷静な意見に、私はようやく我に返り、ゆっくりと扉から手を離す。


 そして、どっと押し寄せてきた疲労感と共に、その場にへなへなと座り込んでしまう。

 色々と言いたいことは山ほどあったけれど、言葉がうまくまとまらない。


 とりあえず、セイカが無事だったこと。そして、私たちもまだ生きていること。

 今は、ただその事実に改めて安堵するしかない。


 扉の向こうからは相変わらず、あの巨大なトカゲが体当たりを繰り返しているであろう、鈍く、そして恐ろしい音が響く。


(安心はできないが、トカゲは一旦置いておこう……)

 私はそう考え、まずは現状を把握するためにツキミに疑問を投げる。


「ツキミさん、先ほどの……その、炎が効かないと、何故分かったのですか?」

 過ぎてしまったことは仕方がない。


 けれど、これは今後のためにも確認する必要がある。私たちの行動指針に関わってくるのだ。


 私の問いかけに、セイカが「え? 知ってたの?」といった顔で、私とツキミの顔を交互にキョロキョロと見ている。


(その気持ち十分に分かる。セイカは怒っていいところだ……本当に)


 ツキミは、扉の音にも眉一つ動かさず、考える姿勢を保ったまま静かに口を開く。


「さっき、そこの赤トカゲが扉を開けた時。少し熱気を感じただろう?」


「赤トカゲ……?」

 また新たな単語が出てきて、私は自分の耳を疑う。そして――


 ハッとしてセイカに目をやる。


(いやいや、まさか……それはないですよツキミさん……)


 しかし、それよりももっと重要なことをツキミは言っていた、確かに私も扉が開いた際に熱気を感じたが、それが関係あるというのだろうか。


 赤トカゲこと――いや、セイカはというと、私が自分を見つめた瞬間に何かを察したのか、ツキミをキッと睨みつけて反論する。


「トカゲじゃないっす! ドラゴンっす!」

 まぁ、その気持ちは分からなくもないけれど、怒るところはそこだけなのか、と私はやはり思う。


(ツキミの助言が先にあれば、あんな窮地に立たされなかったのに……)

 だが、当のセイカは先ほどまで笑顔で戻ってきたくらいだし、本人にとっては大したことではないのだろう。


 この二人の感覚について行けないのはもう自覚している、今はそう納得するしかない。


「トカゲも燃やせないドラゴンがいるのか?」

 ツキミが、言わなければいいことを追加で言いつつ、ほんの少しだけ口角を上げてセイカを見返す。

 その挑発とも取れる言葉に、セイカは痛いところを突かれたのか、ツキミをじっと見つめたまま、ぷうっと頬を膨らませて黙り込んでしまう。


 セイカの子供っぽい仕草がまた可愛らしくて、私は思わずセイカの頭にそっと手を置き、軽くぽんぽんと撫でてしまっていた。


 先ほどあれだけの炎をまとっていたというのに、彼女の赤い髪は少しも汚れることなく、相変わらず綺麗でとても柔らかい。


 頭を触れられたことに対して、セイカは特に反応を示さず、受け入れてくれたようだ。


 だが、「つぎこそは、ぜったいやってやるっすよ……」と、ぶつぶつ何かを小声で呟いている。


 私がツキミへと視線を移すと、ツキミは再び口を開く。


「扉を開けた際に感じた熱気。あれは二層の火属性部屋でも感じられた熱気、魔力と似ていた」

 確かに、二層には火の属性を帯びた部屋があった。

 私には火の属性の感覚はよく分からなかったけれど、水属性の部屋は相性が良い気がしたのを覚えている。


「なるほど……それで、あのトカゲが火属性だと?」


「結果的にはそうだな。二層に火属性の部屋があるにもかかわらず、三層の部屋も火属性である可能性は低い気がした」

 私はふむふむと頷きながら、ツキミの話を聞く。


 セイカもいつの間にか膨れっ面を少しだけ緩め、おとなしくツキミの話を聞いているようだ。


「それならば、ここの扉が開いた時に熱気、魔力を感じる原因は。この部屋の内部に存在するものが火属性を強く帯びている、魔力を漏らしている、という仮説が成り立つ」


「「おぉっ!」」

 まるで名探偵の推理を聞いているかのように、私とセイカは思わず感嘆の声を漏らす。


「そして、その仮説もそこの赤トカゲのおかげで実証され、真実に昇華したわけだ」

 またしても余計な一言を付け加えて、ツキミはセイカに不敵な笑みを浮かべる。


 せっかく感心していたセイカの表情も、その一言で再び曇り、またぷうっと頬を膨らます。


(本当に、この二人は相性が悪いのか良いのか……)

 私は少しため息をこぼしつつ、二人の顔を見比べる。


(でも、なんだかんだで良いコンビになりそうだけれど……)

 そんなことを思い、危機的な状況下にもかかわらず、私は思わず少し可笑しくなり、笑みをこぼす。


 ツキミの意見は、言い方に多少の難があったけれど、結果としてセイカの炎が効かないことを示してくれたし、その分析は正しいのだろうと私は思う。


「トカゲも、セイカさんのおかげで火属性に強い耐性があって、炎が効かないということが、よく分かりました」

 まだふくれっ面のセイカに、私は声をかける。


「セイカさんの炎は本当にすごかったです。あんなに綺麗で力強い炎は初めて見ました。それなのに効果がないなんて、よほど耐性があるんでしょうね」

 私の言葉に、セイカの顔がぱっと輝く。


「ほんとっすか!? やっぱりアタシの炎すごかったっすか!?」

 目を輝かせ、うるうるの瞳で私を見つめてくる。


 その純粋な喜びように、私は思わず微笑んでしまい、言葉の代わりにセイカの頭をもう一度優しく撫でながら頷く。


 セイカはそれが嬉しかったのか、首を少しだけゆらゆらさせながら、ニコニコとご機嫌そうに笑う。


「あぁ、あれだけの炎を受け無傷とはな。やはり魔力による能力増強は、本当に興味深い」

 ツキミが、軽く扉の方を一瞥しつつ、そんな感想を述べる。


 セイカは、自分の炎を褒められたことは嬉しいものの、ツキミのこれまでの「赤トカゲ」発言がまだ少し引っかかっているのか、少し複雑そうな表情だ。


「そして、この結果から、もう一つの仮説が生まれたわけだ」

 不意に、ツキミが新たな展開を示唆するような言葉を口にする。

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