ツキミの知識

 私はそっとセイカの隣に歩み寄り、壁に背を預けて座り込む。


 そして、その小さな肩に、優しく手を置く。

 セイカの柔らかく繊細な赤い髪が、手の甲にふれて少しくすぐったい。


「……ドラゴンだったら、きっとこんな薄暗い辺境のダンジョンじゃなくて、もっと広くて、もっと素敵な場所に住んでいると思いますよ?」

 私はできるだけ優しく、セイカにそう語りかける。


 先ほどのやり取りで、セイカがドラゴンに対して非常に強い憧れを持っていることは分かった。

 その気持ちを利用するようで少し心苦しいけれど、今はとにかく彼女に元気を取り戻してもらいたい。


 それに、あれがトカゲだろうと、ドラゴンだろうと状況は変わらないが、恐らくツキミの意見が変わる事もないだろう。このままでは平行線だ。


(ドラゴンより、トカゲの方が何とかなりそうな気はするけれど……)


「そっすね……。ドラゴンはこんな場所にいるわけないっす」

 セイカは少しだけ顔を上げ呟く。その声には、まだしょんぼりとした雰囲気が残ったままだ。


(そんなにショックだったのか……)

 そう思いながら、私はセイカの肩を優しく撫でる。


「じゃあ、あれはやっぱりトカゲなんすね……」

 ガクッと、セイカは再び下を向いてしまう。


(トカゲだということは信じるんだ……)

 そのあまりの切り替えの早さというか、単純さというか――私は何とも言えない複雑な心境になり、小さく息を漏らす。


 ツキミは、そんな私たちのやり取りを眺めつつ、何か考えているようだ。


(今度こそ、ここから安全に出る方法を検討してくれていれば良いけれど……)

 そう考えていると――


 不意に、セイカがガバッと勢いよく立ち上がる。

 そして、くるりとこちらを向いたその顔には、いつものいたずらっぽい太陽のような笑顔が輝く。


「じゃあ、あのトカゲが晩ご飯のおかずってことっすね!」

 セイカはまるで美味しいものを見つけた猫のように目をキラキラさせ、ぺろりと楽しげに舌を出す。


 突然動き出したセイカと、そのあまりにも突拍子もない発言に、私は完全に意表を突かれ、セイカの肩に乗せていた手が行き場をなくして宙に浮く。


(トカゲはやっぱり食べるんだ……)


「は、はは……」

 今日はこんな驚きの連続で、もう何が起きてもおかしくない気がして、私はただ乾いた笑いを漏らすことしかできない。


 私が宙に浮いた手をひらひらさせていると、ツキミが扉へと向き直り、そのまま扉をじっと見つめる。

 その瞳は、何かを深く探求しているかのように鋭いが、口元はどこか楽しんでいるようだ。


 ややあって、少しだけ落ち着きを取り戻した私は、おそるおそる問いかける。


「ツキミさん。ドラゴンじゃないにしても、私にはあの生き物がトカゲだとも思えないのですが……どうしてトカゲだと?」


 ツキミは私に向き直ると、口を開く。


「見たまんまだ。尻尾、鱗、頭部と、トカゲの特徴そのままだろう。まぁ、巨体ではあるがな。だが、あれをドラゴンと呼ぶには情報が不足している」


「と、言いますと……?」


「ドラゴンなんて見たことがない。見たことがないのに、あれがドラゴンだとは決めつけられないだろう?」

 ツキミはそう締めくくると、再び扉へと視線を戻す。


「確かに、ドラゴンを見たことはないですが、どうしてトカゲがあんなに大きく……。種類によっては、そこそこ大きくなる事もあると思いますが――あの大きさは突然変異にしても度が過ぎていますよね……」

 私も扉を見つめ、ため息交じりに呟く。


「いっぱい食べたっすかね?」

 やりとりを聞いていたセイカがそう言い、自分の頬を指でつつく。

 あの大きさの原因はセイカも気になるようだ。


 ツキミは、そんなセイカを一瞥し、口を開く。


「恐らく魔力の影響だろう。ただのトカゲがどうやったか魔力を過剰に取り込んで、あのような急激な変異を引き起こした可能性はある。それこそ、魔力を宿した何かを食べたのかもしれないな」


「そんなことって……」

 私が言葉に詰まると――


「二層の属性部屋を考えると、このダンジョンに魔力を含んだ石とかが転がっていてもおかしくない――それを食べたのかどうかは知らないが」

 ツキミがセイカを見つめ補足する。


(まさか、セイカなら食べるかも――って思ってる?)

 先ほどからツキミがセイカを気にしているように思えて、余計な思考が頭をよぎる。

 ただ、それを口に出してもろくな結果にならないのは、火を見るよりも明らかなので心の奥にしまっておく。


 隣を見れば、セイカはツキミの話に神妙な顔で聞き入っている。


「一層にもトカゲはいたからな。どうやって迷い込んだかは不明だが、偶然――奇跡的に力を得た結果なのだろう」

 ツキミがセイカの視線に答えるように、そう口にすると――


「トカゲって、そんな……ドラゴンみたいになれるんすか!?」

 ツキミの言葉を遮るように、セイカが目を輝かせて食いつく。

 その瞳には、純粋な好奇心と、ドラゴンへの尽きない憧れが宿っている。


「でも、私もそんな事例は聞いたことがないです。トカゲが魔力で突然変異、あんなに巨大化するなんて……」

 それこそおとぎ話の世界だ。


「まぁ、公の記録には存在しないだろうな」

 ツキミはセイカの質問をさらりとかわし、思わず目が点になる言葉を口にする。


(えっ?)

 言っている事は分かるが、どういう事なのか掴みきれないでいると、ツキミは再び口を開く。


「あのトカゲは自ら取り込んだのかもしれないが。過剰な魔力、あるいは純粋なエネルギーを生命体へ外部から強制的に注入し、その存在を変質させる行為は、古来より禁忌とされているからな」


(禁忌? では……なぜあなたはそんな禁忌の知識を?)

 喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。


 話の飛躍に頭がまだ付いていかないが、今はそれを追及すべき時ではない気がする。

 物騒な内容ではあるが、状況の改善にツキミの情報、知識が役に立つかもしれない。


「そうなのですね……」

 私が当たり障りのない相槌を打つと、ツキミは淡々と続ける。


「ああ。注入する魔力量や生命体との適合性にもよるが、良くて理性が消失する程度。最悪の場合は、存在そのものが崩壊し、死に至る」

 思っていたよりもずっと恐ろしい話に、冷や汗が背筋を伝う。


「だが、悪いことばかりでもない」

 不意に、ツキミの声のトーンがほんの少しだけ明るく、熱を帯びた気がする。


 ツキミがこの分野、魔力に詳しいことはもはや疑いようが無い、もしかしたらツキミはこの手の研究が純粋に好きなのかもしれない。


(禁忌が好きって意味が分からないけれど……)


「見ての通り、元の個体がただのトカゲだったとしても、あれだけの巨体へと変貌を遂げている。恐らく、身体能力も飛躍的に向上しているはずだ。魔力を過剰に与えるだけで――だ」

 ツキミは饒舌に話を続ける。


 その顔は笑みをにじませているが、私が知っているツキミのそれとは質が違う。


「しかもだ、元の個体の大きさがどれ程だったかは不明だが、あれだけ巨体になる量の魔力を取り込みながら、暴走することなく理性を保ち、ただ眠っているだけとは……これは、ある意味で素晴らしい成功例と言える」

 いつの間にか、ツキミの説明は、まるで実験結果の報告のような、どこか嬉々とした響きを帯びていた。


 その知識の深さと広さには改めて感心させられるが、同時に、ツキミのその思考の方向性に対して、私の胸には大きな不安と怖れがこみ上げてくる。


 ツキミの新たな一面を知りたい、そんな願いがこんな形で叶うなんて……。


 だが、今はあのトカゲを何とかすることが先決だ。


「な、なるほどですね。それで、その素晴らしい成功例、ですか? それを、元のトカゲに戻す方法というのは――あるのでしょうか?」

 私は、恐る恐る、そして切実な願いを込めて尋ねる。


 すると、ツキミはゆっくりと私の方へ向き直り、その美しい黄金色の瞳で、私の目をじっと見つめてくる。


 相変わらず人形のように整った顔立ちだが、その瞳の奥に何かが潜んでいるようで、今は少し恐ろしい。


「新人局長にしては、良い視点だな」

 ややあって、ツキミはそう言うと笑みを浮かべる。


(褒められたのだろうか?)


「問題はそこだ。魔力を注入した後にそれを適切な量だけ抽出、あるいは制御する技術が確立できれば、任意のタイミングで生物の能力を増減させることが可能になるはずだ」


 ツキミの、その言葉が私の質問に対する直接的な回答なのか、それとも単なる持論の展開なのか、判断に迷いながらも私はとりあえずこくこくと頷いておく。


 隣でセイカも同じように頷いている。


「だが、現段階では、それを自在に調整できたという確実な成功例は、無い」


(禁忌とされているのなら当然なのでは? いや、まさかこの子……)

 不吉な考えが頭をよぎったが、私はそれを必死に打ち消す。


「それが成功し、その方法が確立されれば、それこそが俺たちが求めていた理想の力、そうだろう?」

 私の考えを知ってか知らずか、ツキミはまるで同意、いや、共犯者を求めるかのように問いを投げてくる。


 それは普段の冷静さとは裏腹に、はっきりとした熱を帯びた声だ。


 これが本当のツキミなのか……。

 何か素晴らしいことを語っているかのような、その雰囲気に私は飲まれてしまう。


(「理想の力」とやらには、全く同意しかねるのだけれど……)


 しかし、ツキミのその珍しいほどの勢いに気圧されたのか、私は思わず――


「は、はい……」

 と、か細い声で答えてしまっていた。

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