調査開始

「さて、と。それでは、早速ですが、このダンジョンの中を見て回りましょうか」

 私が、立ち上がりつつ提案すると、セイカの目が「おー! 探検っすね!」と輝く。


 ツキミは相変わらず無言だったが、その黄金色の瞳はダンジョンの奥をじっと見据えている。

 やはり、興味がないわけではなさそうだ。


 私の後を追うように、二人もゆっくりと立ち上がる。

 ツキミは服についた土が気になるようで、パタパタと叩いている。

 セイカは――気にならないようだ。


 そんな二人の対照的な姿を横目に見ながら、私は鞄を肩にかける。

 お弁当の分だけ軽くなってはいるが、やはり、ずっしりと重い。


 改めて二人に向き直ると、どうやら準備は済んだようだ。

 セイカに至っては、これからの探検が楽しみで仕方ない、とでも言うように、その場でぴょんぴょんと軽く跳ねている。


(よし!)

 私は先頭に立ち、改めてダンジョンの入り口に足を踏み入れる。


「では、行きましょう」

 二人に声をかけ、ダンジョンの中に、今度はゆっくりと進む。


 十数歩も進むと、ひんやりとした空気が肌を撫で、先ほどまで私たちを包んでいた森の気配が、嘘のように遠のいていく。

 あれほど強かった太陽の光も、今では心許ないほどに頼りなく、辺りを薄暗く照らすだけだ。


(先日、支部に立ち寄った際に担当者から聞いた通り。入り口付近は、ただの洞窟で明かりもない、と……)

 そんな思考と共に、私は誰に言うでもなく、ぽつりと呟く。


「大分、暗いですね」

 すると、すぐ隣から元気な声が返ってくる。


「これくらい、まだ全然見えるっすよ!」

 どうやらセイカは、この薄暗がりすら、楽しい探検の一部と捉えているらしい。

 その瞳は、好奇心に満ちた光を宿し、キョロキョロと忙しなく周囲を見回す。


 一方のツキミは、声を上げることもなく、ただ静かに、そして丹念に壁の岩肌や、空気の流れを観察しながら、黙々と歩みを進めている。


「支部の担当者から聞いてはいましたが、やはり入り口付近に照明は無いようですね。このあたりも、今後改善していきましょう」

 私は二人にそう告げると、一度歩みを止める。


 そして、薄暗いダンジョンの中を改めて見渡す。

 目が慣れてきたとはいえ、やはり心細さを感じさせる暗がりだ。


「セイカさんの視力も頼りになりますが。念のため、明かりを準備してきました」

 そう言って、鞄から携帯用の光ガス灯と、小さなガス瓶を取り出す。


 棒状の鉱石が定位置に付いている事を確認し、ガス瓶を接続すると、ゆっくりとツマミをひねる。

 ガスは毒性もないし、燃える事もなく安全だが、予備のガス瓶達が鞄で少し嵩張るのが難点だ。


 やがて、ガスに反応した鉱石が、少しずつ青白い光を帯び、辺りを照らし始める。

 子供の頃から馴染みのある、この光が私は結構好きだ。


(なんでキノコのガスに反応して、この鉱石が光るのか、わからないけれど)


「おっ、光ってきたっす! さすが局長っすね!」

 私の手元を覗き込み、セイカが屈託なく笑う。


 その言葉が本心からなのか、単なるお世辞なのかは分からない。

 けれど、管理者として頼りにされているようで、悪い気はしない。

 私は、少しだけ緩みそうになる口元を引き締めると、改めて二人に問いかける。


「お二人は、灯りになるようなものはお持ちですか?」

 私の問いに、意外にも先に「持っていない」と短く答えたのは、ツキミだ。


 では、セイカは――と彼女の方へ視線を向けると、一瞬だけ、その表情から笑顔が消えたよう感じたが、気のせいだったのかも知れない。


 次の瞬間には、彼女は太陽のような笑顔に戻り、悪びれる様子もなく、元気いっぱいに口を開く。


「持ってないっす! アタシ、何も持ってないっすよ!」

 その、あまりにも清々しいまでの返事に、私は「そ、そうですか……」と、乾いた声を返すほかない。


 セイカが先ほど一瞬見せた、表情の変化も少し気にはなったが、今はもう光ガス灯をニコニコしながらつついている。


 その華奢な指先が、光ガス灯のガラス管をリズムよくツンツンと突くたびに、かすかな音が跳ね返る。

 コツ、コツ――まるで猫に捕まった獲物が遊ばれているような情けない音だ。


 光ガス灯もきっと、心の中では震えているに違いない。


(……この子、本当に大丈夫よね? いや、大丈夫そうではあるのだけれど、別の意味で心配になる……)

 胸をよぎる一抹の不安を、私はぐっと飲み込む。

 今は私が、この二人を導かなければならない。


「大丈夫ですよ。この明かりがあれば、三人で進むのに支障はありません。ですが、念のため、お二人は私の後ろに」

 そう言って、私は再びゆっくりと、奥へと続く暗がりへ歩みを進める。


 光ガス灯が放つ青白い光が、これまで見えなかった通路の細部までを照らし出す。

 明かりに驚いたのであろう、小さな虫たちが、岩や小石の影へと慌てて逃げ惑うのが見える。


 やはり、人の手が入ったダンジョンというよりは、自然のままの洞窟、といった方が正しいのかもしれない。


(足が多い生き物は、そのまま隠れていてください……)


 明かりの先に眼を凝らすと、幸いにも道はまだ一本道で、迷う心配はなさそうだ。けれど、管理が放棄されて久しいこの場所で、油断は禁物だろう。


 私は、一歩一歩、慎重に足元を確かめながら、奥へと進む。

 後に続くセイカとツキミの足音から、二人とも同じペースで、付いてきている事がわかる。


 だが、そのリズムに。こっそりと割り込むかのように――


 ぴちょん――


 小さく音が聞こえてくる。


(水?)

 私は、その場で、ぴたりと足を止める。


「水の音っす!」

 セイカも気付いたようで、既に辺りを見回しているようだ。


「どこからか、垂れているのでしょうか?」

 音が聞こえる方向に明かりを向けながら、探るように歩みを進めていく。


「あっ、あそこっす!」

 どうやら、もうセイカが発見したようで、足早に駆け寄っていく。目的の位置についたのか、すぐに天井を見上げ、頭上にある岩のくぼみを指差す。


 私がセイカの示す先を照らすと、明かりに反応した水滴が、「キラッ」と輝く。


「本当ですね、さすがセイカさんです」

 私は明かりを動かさぬまま、顔だけをセイカの方へ向けて、そう微笑む。


「ふふん! で……局長。これ、飲めるっすか?」

 セイカがしたり顔で、聞いてくる。


(えっ……!? 飲むの?)


「ど、どうでしょう。今度確認してみましょう。でも、喉が渇いたら言って下さいね? まだ水筒に残っているので……」

 多分、飲めなくは無いだろう。

 だが、今はこれを確認すべき時ではないかと……。


(それこそ、今、お腹を壊されたら大変だ……)


 私の話を聞くと、セイカは「わかったっす!」と、言いながら頷く。

 どうやら、喉はまだ渇いていないようだ。


「でも……。地下水だとは思いますが、水が出ているのは気になりますね。しばらく大丈夫だとは思いますが、水の力は怖いので……。今度、ちゃんと確認しましょう」

 私は、水滴が垂れている周辺を確認しながら、今後の課題の一つとして認識をする。


「怖い? 局長は水が怖いっすか?」

 セイカは、私に少しだけ近寄り、私の顔をのぞき込む。


「怖い――。そうですね。こういう、水の管理を少し怠っただけで、全てがダメになってしまう事があるんです」

 私は、一定間隔で地面へと走る光を、目で追いながら答える。


「……どういう意味だ?」

 すると、それまで黙っていたツキミが沈黙を破り、振り向いた私に視線を注ぐ。

 その瞳は、ただの疑問ではなく、どこか追及するような光を帯びている気がする。


(意味か……)


「ここへ……。ここに来る前に関わった件で。些細な見落としが、大きな被害を生むこともあるんだな、と実感したんです」

 私と一緒にツキミを向いた光ガス灯が、ツキミを照らすと、その髪が美しく輝く。


「見落とし……?」

 瞳の色はそのまま、ツキミが、そう、短く返す。


「はい。ギリギリで耐えていたモノが耐えられずに……気付く事が出来ずに決壊する。そんな可能性も、考慮しなくてはいけません」

 危険はどこに潜んでいるかわからない。そんな思いも込めて、ツキミに伝える。


「たしかにっす! いっきにドバーってきたら、びっくりするっす!」

 思いが伝わったのか、セイカが腕を組み頷く。

 その表情はキリッと、真剣そのものだ。


 それにしても、セイカの、こんなにも真面目な姿は初めて見た気がする。

 今までとのギャップもあり、とても愛らしいのだが、真面目に受け取ってくれた事が嬉しい。


「はい、だからセイカさんも、何か見落としが無いか、引き続き確認をお願いします」

 その愛らしさに触れ、彼女の思いに水を差すべきでは無いと思い、私は言葉を選びながらお願いする。


(ただ……)

 ツキミがせっかく声を、かけてくれていた事を思い出す。

 それを利用――そう捉えられても仕方なくはあるが、私はツキミにあえて尋ねてみる。


「ツキミさん。この……垂れている水。というか、この岩盤? 天井は大丈夫だと思いますか?」

 光ガス灯を天井付近、水が垂れているあたりに向ける。少し高いので、触れる事は出来ない。

 明かりにつられ、セイカも天井に視線を移す。


 すると、ツキミは水滴が垂れる真下、水滴にぶつからないギリギリの所まで歩み寄り――


「見ただけでは難しいな。……専門家では無いから断定は出来ないが、付近を軽く叩いてみれば、何かわかるかもしれない」

 頭上を見ながら、そう告げる。


(なるほど……)

 確かに、岩盤が厚いかどうかは、音で分かるかもしれない。


「音の違い? ですか?」

 それくらいなら、今確認しても良いかもしれないと思い直し、ツキミに問いかける。


「あぁ。少なくとも、周辺と音が変わらなければ、ここだけ上が空洞だ。という事は無いだろう。安心して良いかは別だが」

 ツキミは、周りにも視線を巡らしながら、そう応えてくれた――


 ツキミの説に納得するよりも先に、罪悪感が胸を締め付ける。


(私は誤解をしていたかもしれない……)

 どこか、ツキミは何を聞いても答えてくれないのじゃないか。そんな思いがあった。


 だが、実際はどうだ。

 ツキミはちゃんと考えて答えてくれたし、安全に対しても気を配ってくれている。

 それならば――


「そうですね。ツキミさんの言うとおりだと思います。確認してみましょう」

 ここは確認しておくべきだ。


 私は天井をみつつ、先送りにした課題を手元に戻す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る