二人目
その言葉に、私はわずかに驚いたが、すぐに納得する。
今日、私がここに赴任することは、あらかじめ伝えられているはずだ。
同じ組織から人員が配属されるのだから、私が新しい局長として来ることを知っていても、何ら不思議はない。
それに、私の名前を知っていれば、容易に察しもつくだろう……。
私が彼女の名前を知らなかったのとは、事情が違う。
だとしても、こちらをじっと見据えるその眼差しには、どこか圧のようなものが感じられる。
気圧されたわけではない……つもりだったが、口を開いた瞬間、妙に緊張していることに気付く。
「は、はい! わ、私が、このキミサダンジョンに、この度配属されました、新任の局長です!」
咄嗟にでた挨拶が、まるでこちらが面接でも受けているかのような、妙にへりくだった口調になってしまう。
威厳も何もない。
どちらが部下でどちらが上司なのか、これでは全くわからないだろう。
(別に、偉そうにするつもりは無いけれど……)
しかし、目の前の人物は、そんな私のしどろもどろな挨拶にも、表情一つ変える事はない。
ただ、先ほどと同じように、平坦な声で――
「知っている」
こう告げるだけだ。
それきり、また沈黙が訪れる。
数秒が、やけに長く感じられる。
何か……何か言わなければ。
「あ、あの……それで、あなたは?」
この空気に耐えかねて、私は尋ねる。
まずこれだけは、確認しておかなければならない。
すると彼女は、ほんのわずかな間を置いてから、やはり短く答える。
「ツキミ」
また、沈黙。
その間も、彼女の黄金色の瞳は、私から逸らされることはなかった。
その瞳に捕まると、何故だか言葉が出てこない。
(どうしよう、会話が全く続かない……)
この何とも言えない、重苦しい空気の中で、私は必死に次の言葉を探す。
(ええと、まずは、その、今日からの業務について、とか……)
そうやって私が懸命に思考を巡らせていた、まさにその時だ。
「誰かいないっすかーーーっ?!」
不意に、ダンジョンの入り口の方から無邪気さ全開の、はじけるような声が響いてくる。
その声に、私の肩が思わずビクッと震える。
驚いて、私は一瞬だけ声のした方に意識を向けてしまうが、目の前のツキミは、そんな騒々しさなどまるで意に介さず、私の瞳から目をそらさない。
その勢いのある声は、私たちを通り過ぎ、静寂を切り裂きながら、ダンジョンの奥へと突き抜けていく。
残響が過ぎ去ると、私はツキミのその動じない様子に、なぜか少しだけ落ち着きを取り戻す。
そうだ、私はここの責任者になる立場、不測の事態にも冷静に対処しなくては。
あの声が、誰かを探しているということは、二人目の人物なのだろう。
ここは入り口からだと死角になる。きっと、私たちを探しているに違いない。
「ふぅ……」と小さく息を整え、私は目の前のツキミに、できるだけ平静を装って話しかける。
「どうやら……少し遅れたようですが、もう一人の仲間が到着したみたいですね。一緒に出迎えましょう」
私の提案に、ツキミはやはり何も答えない。
ただ、私から視線を外し、くるりと背を向けると、今度はダンジョンの入り口に向かって、先ほどと同じように無駄のない足取りで歩き始める。
その無言の行動が肯定なのか、あるいは単に、興味がそちらへ移っただけなのかは分からない。
けれど、少なくとも私を無視してダンジョンの奥へ進むのを止めてくれたことには、素直に安堵する。
その安堵を胸に、私は少し遅れてツキミの後を追う。
(よかった、とりあえずは協力してくれそう……)
そう思ったのも束の間。
私が先ほどツキミを見失った角へと数歩進んだところで、再びあの声が、今度はさらに衝撃的な言葉を伴って聞こえてくる。
「誰もいないっすかー? いないなら、これ、埋めちゃいますよー?」
(……埋める? 何を? ここの入り口を? まさか……)
その物騒すぎる言葉に、私の思考は濁り、理解が追いつかない。
けれどもし本当に、そんなことをされたら――
(私たちはここに閉じ込められてしまうのでは?)
「ちょ、ちょっと待ったぁー!」
次の瞬間、私はツキミのことなどすっかり頭から抜け落ち、本能的に入り口に向かって駆け出していく。
一体誰が、どんな冗談でそんなことを言っているのかは知らないが、一刻も早く止めなければならない。
追い越したツキミがどんな顔をしているかなんて、確認する余裕もない。
「います! いますから! 何も埋めないでくださーい!」
ほとんど悲鳴に近い私の声が、ダンジョンに響く。
角を曲がり周囲が少しずつ明るくなると、その向こうにぼんやりとした人影が見えてくる。
誰かがこちらを覗き込んでいるようだ。
外はまだ昼前の時間のはずなのに、その人影の背後から差し込む光は、まるで夕日のように赤く、そして強烈だ。
その赤い光に照らし出されるように見えるのは――鮮やかな、燃えるような赤色をした髪の少女。
多少乱れてはいるものの、その髪は息をのむほど美しく、まるで凝縮された炎のように、静かに揺れ、輝く。
逆光のせいで顔はよく見えないが、背後からの強い日差しが、あたかも後光のように彼女を縁取り、そのシルエットはどこか幻想的ですらある。
まるで、夕日の化身が現れたかのようだ。
そんな神々しさにも似た光景と同時に、間の抜けた、それでいてどこか残念そうな声が私の耳に届く。
「あれっ? 誰かいるっすかー。ざんねんっすねー」
その言葉に続けて――悪戯の成功を、祝うかのような。
小鳥のさえずりにも似た可愛らしい「きゃはは」という笑い声が、ダンジョンにコロコロと響いていく。
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