星屑の叙事

copiyo

第一章

これが私のダンジョン

 鬱蒼とした木々を抜けるうちに少し乱れた空色の髪を、指でそっと梳かし、慣れた手つきでお気に入りのピンクのピンで留め直す。


 一度深呼吸して顔を上げる。

 そこに広がっているのは――


 草のカーディガンを羽織ったような岩肌に、ぽっかりと空いた口。

 洞窟を思わせるその入り口を見つめると、自然と言葉がこぼれる。


「……ついた」

 声には自分でもわかるほどの疲労が滲んでいるが、同時に、この隔絶された場所に自力で辿り着いたという、ほんのわずかな達成感が胸の奥に広がっていく。


 私は軽く首を振り、改めて目の前の光景に向き直る。


「ここが今日から私の勤務地、私が管理する私のダンジョン……」

 そう口にしてみると、辞令を受けた日の絶望とはまた違う、微かな使命感が、確かな覚悟へと変わっていく。

 もちろん、状況は好転していない。むしろ、この荒涼とした入り口を見る限り、予想以上に厳しい現実が待ち受けていそうだ。

 それでも、だ。


(新しい局員も二人来ることになってるけど――)

 私はズシリと肩に負担をかけている、大きな鞄をゆっくりと地面におろす。


 手首の時計に目を落とすと、肩にかかっていた髪がふわりと前に垂れていく。

 指定された時刻までは、まだ一時間以上の余裕がある。


「よし!」

 重さから解放された肩を、少し回しながら背筋を伸ばす。

 どんな時でも、約束の時刻より早く到着するのは私の常だ。

 だが、今回は特に誰よりも先に、この場所を見ておきたい、その気持ちの方が強い。


 身軽になった身体で、入り口の前まで歩み寄る。改めて見回すと、やはり長年人が立ち入った雰囲気はなく、蔦や苔がびっしりと岩肌を覆っているだけだ。


(まるで、洞窟ね……)

 少しだけ覗いて見ると、ひんやりとした、少し埃っぽい空気が内から漂ってくる気がする。ただ、言いようのない古びた気配だけが、あたりを満たす。


「ダンジョンコア……か。順調に辿り着ければ良いけど」


(内部の確認は、全員が揃ってからにしよう……)

 私は鞄を置いた場所まで戻り、手帳と筆記具を取り出すと、入り口のスケッチと気づいたことを数点書き留める。


(最終的には利益を出す事が目標だけれど……)

 まずは現状把握。どんな場所であれ、それが私の仕事の第一歩だ。


 周囲に危険な動植物がいないか、何かおかしな点はないか、そして、人の手が入った痕跡の有無――

 思考を巡らせていると、不意に、背後の森から微かな葉ずれの音が耳に届く。


(もう誰か来た? いえ、まさか)

 音はすぐに止み、鳥の声すらしない静寂が戻る。


(気のせいか……)

 私は小さく息をつき、静かな森だな……と思いながら、改めて手帳に意識を戻す。


 太陽が少しずつ位置を変え、木漏れ日が私の足元で形を変えていく。


 そろそろ、指定の時刻だ。

 私は手帳と筆記具を鞄にしまい、代わりに手鏡を取り出す。


 鏡を覗きこむと、どこか頼りなげな印象を与える青い瞳が、私を見つめている。

 いかにも初めての現場で「緊張しています」という顔。

 意志とは裏腹に、口元に力が入りやすいのは昔からだ……。


 髪の乱れが無いことが分かると、鏡に映る自分の顔に向け、柄にもなく「にっ」と笑顔をつくってみる。


(ないない……余計にぎこちない)

 鏡から目をそらし、何事もなかったかのように、鏡を鞄に戻す。


 制服のスカートにも汚れがないかをもう一度確認し、入り口の少し脇に立つ。

 最後に居住まいを正し、何となく空を見つめながら、小さく息をつく。


(どんな人たちが来るんだろう……)


 もしかすると、私のような、何らかの事情を抱えた者たちかもしれない。

 あるいは、こんな辺境の地に物好きで志願してくるような変わり者か。


 どちらにせよ、与えられた人員で最大限の成果を出す。

 それが管理者の務めだ。


(そして、ここを、「ただの辺境」じゃない場所にできたなら……)


 まずは、どんな相手であれ責任者として、きちんと迎え入れなければならない。

 初めての管理職ではあるが、あの人の様に、堂々と。

 そう心の中で言い聞かせると、自然と背筋が伸びる。


 胸の奥では、小さな緊張と、それを抑え込もうとする意志が静かにせめぎ合う。


 森の奥から、再び――


 今度はもう少しはっきりとした、何かが近づいてくる気配がする。

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