カウント10

シナミカナ

カウント1

「どうして奴の試合を受けちまったんだよ!?」


薄汚く、暗く、むせ返るような臭いが充満するボクシングジムで白髪を生やした年老いた男が叫ぶ。


「・・・金が要るんだ。」


「殺されるぞ!?」


どちらの言葉にも嘘はなかった。誇張も。

ジムのオーナー兼マネージャーの男は呆れたような目をして他の選手の様子を見に行った。


僕には金が必要だったし、奴にはサンドバッグとなる相手がほしかった。

ここいらでは若手のボクサーを潰して回ってるって噂になっていた。

僕みたいに30過ぎた奴は相手にはしないと思ったが、幾度の挑発を経てやっと奴はその気になった。


僕には金要る。それだけはどうやっても覆らない事実だ。

殺されるかも。上手くやってみるよ。

出場するだけで金は貰える。だがそれだけでは足りない。

奴を倒せば今まで積み上がっていた賞金が手に入る。


もし、もしも、

もしも、僕が死んだらその保険金があれば足りるだろう。



試合の当日になるとマネージャーは少し落ち着き的確なアドバイスをかけてくれた。

死なないための。

足を動かし続けろ。手も動かせ。絶対に打たれるな。動き続けろ。

僕はアドレナリンで興奮した脳みそを必死に落ち着かせながら何度も頭の中で反芻して頷いた。

打たれたら死ぬ。


奴を目の前にするとその言葉はよく分かった。

腕の太さはサラブレッドを思わせる。

首の太さは牡牛を。憎たらしい顔はブルドックを。

強い生き物のそれも最も恐ろしい部位の石膏をセメントでゴテゴテに貼り付けたような厳つさ。

その男がゴングの鳴る前に僕に近付いて耳元で囁いた。


「楽しませておくれよ可愛い子ちゃん。」


その言葉を聞いた瞬間に僕の脳の中で生き残るための術が幾つも弾き出された。

逃げる。

だが、・・・と僕の退く足を何かが止まらせる。


不意にゴングが鳴った。動かねば。

奴が近付いてくる。

拳を構えて左に体重を移動した。

次の瞬間、奴が消えた。

右から砲弾のようなフックが僕の顎を打ち砕く。

疾かった。あまりにも。反応できない。


足が消えた。床が目の前に現れる。

リングが冷たい。そして濡れている。

そんな事を思いながら思い出す。


「1」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る