クラスの王子様が私の秘密を知って、告白してくる話
☆ほしい
第1話 色がない、あの男の子
私の名前は星野瑞希。市立蒼葉中学校に通う、ごくごく普通の二年生。……というのは、まあ、建前だ。
私には、他の人にはない、ちょっと変わった秘密がある。
それは、人の感情が「色」として見えること。
例えば、今。私の目の前、教壇に立って退屈な古典の授業をしている山田先生の周りには、もやもやとした灰茶色のオーラが漂っている。「ああ、早く授業終わらないかな。今夜の野球中継、間に合うかな」なんていう、疲労と諦めが混ざった色だ。
窓際の一番後ろの席で、こっくりこっくりと舟を漕いでいるサッカー部の男子からは、眠気を表す気だるい藍色が煙みたいに立ち上っているし、その前の席で必死にノートをとっている女子の周りは、真面目な緑色が輝いている。
嬉しい、楽しい、悲しい、悔しい。そういった人間の感情は、全部その人の周りを包むオーラみたいな「色」になって、私の目にははっきりと見えてしまうのだ。
この力がいつからあるのか、もう覚えていない。物心ついたときには、世界はこんな風にカラフルだった。
小さい頃は、見たままを口にして、よく両親を困らせた。「どうしてあの人、真っ赤なの?」「お姉さんの頭の上が黄色く光ってる!」なんて。両親は私の言葉を気味悪がったりはしなかったけど、困ったように笑って「それは瑞希ちゃんにだけ見える、特別な魔法なんだよ。だから、他の人には内緒にしておこうね」と言い聞かせた。
だから私は、この秘密を誰にも話したことがない。
おかげで、相手の気持ちが分かりすぎてしまう。お世辞を言われても、その人の周りの色が冷たい青色だったら本心じゃないって分かるし、作り笑いを向けられても、腹の中で渦巻く嫉妬深い深緑色が見えてしまう。
だから私は、いつからか人と深く関わるのが少しだけ怖くなった。波風を立てず、目立たず、教室の隅っこで気配を消して過ごす。それが、私の処世術だった。
「ねえ、瑞希!」
不意に、隣の席から明るい声が飛んできた。声と一緒に、太陽みたいなキラキラしたオレンジ色のオーラが私の視界に飛び込んでくる。
「聞いてる? 今日の放課後、駅前のクレープ屋さんに新しい味が出たんだって! 一緒に行かない?」
親友の相田朱里(あいだ あかり)だ。彼女はいつもこんな風に、元気いっぱいのオレンジ色や、楽しいことを考えているときのレモンイエローを輝かせている。裏表のない、まっすぐな性格。彼女の周りだけは、見ていて少しも疲れない。私がこの学校で唯一、心から気を許せる相手だった。
「うん、行く。何味が出たの?」
「それがね、ティラミスだって! ちょっと大人っぽくない?」
きゃっきゃとはしゃぐ朱里のオレンジ色が、期待でさらに輝きを増す。そんな他愛ない会話をしているだけで、私の周りを包む臆病な薄紫色が、少しだけ和らぐ気がした。
その時だった。
教室の後方のドアが、静かにガラッと開いた。
瞬間、それまでざわついていた教室の空気が、ぴん、と張り詰める。まるで主役の登場を待っていた舞台みたいに。
そこに立っていたのは、一ノ瀬陽くんだった。
腰の高い位置で履かれた制服のスラックス。少しだけ着崩したシャツ。さらさらの黒髪からのぞく、涼しげな目元。少女漫画から抜け出してきた、なんて陳腐な言葉しか思いつかないくらい、彼は完璧に格好良かった。
「すみません、先生。少し、職員室に呼ばれてて」
穏やかで、よく通る声。山田先生も、彼の姿を認めると、さっきまでの灰茶色のオーラを引っ込めて、「おお、一ノ瀬か。分かった、席に着け」と少しだけ嬉しそうに頷いた。
陽くんが自分の席に向かって歩き出す。その一挙手一投足に、教室中の視線が集まるのが分かった。
そして、色が変わる。
あちこちの席から、憧れを意味する甘いローズピンクがふわりと立ち上る。男子たちからは、尊敬や少しの羨望が混じった、澄んだ青色が滲み出す。
教室全体が、彼一人に向けられた好意的な色で、一気に華やいでいく。
それは、いつもの光景だった。
一ノ瀬陽。成績は常にトップクラス、運動神経も抜群で、誰にでも平等に優しい。その上、あのルックスだ。彼が「王子」と呼ばれているのは、当然のことだった。
もちろん、私も彼が素敵だとは思う。思う、けれど。
――やっぱり、見えない。
私の目には、他のクラスメイトたちを彩る鮮やかな感情の色とは裏腹に、陽くん本人を包む色が、まったく見えなかった。
何もない。
空っぽ。
まるで、人間のかたちに切り抜かれた、透明な穴みたいだった。
彼が笑っても、彼の周りの空気は色づかない。彼が話しても、彼の言葉に色は乗らない。彼を取り巻くすべてのものが、モノクロ映画みたいに、色を失っている。
それは、本当に奇妙な光景だった。
あんなにたくさんの好意的な色に囲まれているのに、彼自身からは、嬉しいとか、照れくさいとか、そういった感情の色が一切、立ち上ってこないのだ。
まるで、彼はそこにいないみたいに。
まるで、感情というものが、初めから存在しないみたいに。
「……ね、瑞希。また一ノ瀬くんのこと、見てる」
朱里が、私の耳元でこっそりと囁いた。彼女のオレンジ色のオーラが、からかうような響きで揺れる。
「べ、別に! 見てないし!」
慌てて視線を逸らすと、心臓がどきりと跳ねた。図星だったから、私のオーラはきっと、動揺を示すラベンダー色に変わってしまっただろう。
「ふぅん? 瑞希って、昔からそうだよね。一ノ瀬くんのこと、ずーっと目で追ってる。好きなんでしょ?」
「ち、違うってば!」
「えー、絶対そうだよ。分かりやすいんだから」
朱里は楽しそうに笑うけど、違うのだ。これは、恋とか、そういう甘酸っぱい感情じゃない。もっと別の、得体の知れない感覚。
恐怖と、好奇心。そして、ほんの少しの、憐れみ。
どうして、彼だけが色を持っていないんだろう。
この疑問が、私の頭の中からずっと離れないのだ。
放課後、朱里と一緒に例のクレープ屋に向かう途中、私たちは偶然にも、その「王子様」に遭遇した。
下駄箱で靴を履き替えていると、女子生徒に囲まれた陽くんが、少し先を歩いていた。
「一ノ瀬くーん、この後、部活ないならカラオケ行かない?」
「ごめん。今日はちょっと、用事があるんだ」
彼は、取り囲む女子生徒たち――きらきらしたピンク色のオーラを振りまいている――に、申し訳なさそうな、でも完璧な笑顔で断りを入れた。女子たちは残念そうな声を上げたけど、彼のその笑顔を見ると、それ以上は何も言えないようだった。
「じゃあ、また明日ね!」
ひらひらと手を振って、陽くんは一人で昇降口を出ていく。
その背中を、私は無意識のうちに目で追っていた。
やっぱり、何の色も見えない。ただ、そこに黒い影があるだけだ。
「……ほら、やっぱり見てる」
隣で朱里が、にやにやしながら私の脇腹を突いた。
「だから、違うって……」
言いかけた、その時だった。
私が履き替えようとしていた上履きが、つるりと手から滑り落ちた。それはころころと転がって、数メートル先を歩いていた陽くんの足元で、ぴたりと止まった。
最悪だ。
私の顔から、さっと血の気が引くのが分かった。オーラはきっと、パニックを表すどぎついマゼンタ色に染まっているだろう。
陽くんが、足元のそれに気づいて、ゆっくりと振り返る。
そして、私と、目が合った。
時間が、止まった気がした。
彼は私の顔を見ると、少しだけ驚いたように目を見開いて、それから、ふっと優しく微笑んだ。そして、私の汚れた上履きを何の躊躇もなく拾い上げると、こちらに歩いてきた。
「星野さん、だよね。落としたよ」
差し出された上履き。彼の指は白くて長くて、綺麗だった。
「あ……あ、りがとう、ございます」
声が、上擦る。心臓が、バクバクと暴れている。
私は恐る恐る上履きを受け取った。その瞬間、彼の指先が、私の指に、ほんの少しだけ触れた。
ひやり、と冷たかった。
それだけじゃない。彼が目の前にいる。こんなに近くに。
でも、やっぱり、色がない。
彼の完璧な笑顔も、優しい声も、親切な行動も、全部、全部「無色」だった。まるで、よくできたアンドロイドみたいに、プログラムされた通りの動きをしているだけ。そんな、人間味のない、空っぽな感じ。
私は怖くなって、俯いてしまった。
「じゃあ」
陽くんはそれだけ言うと、私に背を向けて、今度こそ本当に去っていった。
私は、彼から返してもらった上履きを握りしめたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
心臓は、まだうるさいくらいに鳴っている。それは、女子中学生らしい、淡い恋心からくるドキドキなのかもしれない。
でも、それ以上に、私の心を占めていたのは、別の感情だった。
背筋がぞくりとするような、不気味な感覚。
そして、どうしようもないほどの、強い好奇心。
一ノ瀬陽。
あの完璧な王子様は、一体、何を隠しているんだろう。
彼が失くしてしまった「色」を、どうしても、知りたくなってしまった。
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