仕事の合間に抜け出して近くの愛宕神社で仕事をサボって息抜きしていること (2)

 この神社の境内には、池がある。水は、常にきれいで、色とりどりの美しい錦鯉がゆったりと泳いでいる。結構、鯉の数は多いようで、えさを買って、池にまくと、口を水上にぱくぱくとあけて、気色悪いくらいに蝟集してくる。その光景が面白くて、よくえさをまいているが、これがいい気分転換になるのでここに来ると、よくやる。

 この神社の祭神は、火産霊命ほむすびのみことというらしいけど、他にも小さな摂社・末社があって、弁財天も祀っている。弁財天と言うのは、もとはヒンドゥー教の女神サラスヴァティだったが仏教に取り込まれて弁才天となり、神仏習合によって市杵島比売命いちきしまひめのみことの本地仏とされた。神道では弁財天と書く。市杵島比売命っていうのは、広島の厳島いつくしま神社の祭神でもあるし、元をたどれば福岡の宗像大社むなかたたいしゃの祭神でもある。それが本地垂迹ほんじすいじゃく思想で弁才天と同一視された。そして、その弁財天社の社殿が入り口脇に鎮座していて、ここにも必ず寄ることにしている。なぜかって、何となく、厳島神社の祭神である女神めがみ、つまり『厳島の女神ひめかみ』と勝手に呼ばせてもらってるが、その呼び名の響きに惹かれてという、なんとも軽薄な動機なのだが、自分の中のイメージでは、厳島の女神というのは、絶世の美人で、優雅で、ついでに色っぽかったりするんじゃないかと不届きな妄想を抱いている。で、弁財天社に参拝して、密かに、「女神様、気が向いたら私とつきあって見ませんか?」などと、祈願してたりする。つくづく、俺はばかだと思いつつ、結構、この馬鹿さ加減が楽しかったりするんだけどね。

 そう、この神社の境内には、数匹の猫が住み着いているみたいで、よく、境内のあちこちで丸くなってたり、座っていたりするのを見かける。隣の放送博物館の前の空き地にもよく見かけるので、飼い猫というよりは、この周辺に住み着いている野良猫なのかもしれない。で、この猫の中に白い雌猫がいて、この猫は、立ち居振る舞いがどことなく、優美で、呼ぶとしっぽをたてて、体をすりつけてきて、実に、愛らしい猫だ。いつも、見かける訳じゃないが、見かけると、一応、呼んでみる。呼ぶと大体、来てくれる。

この神社に来る楽しみの一つになっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る