うちのパーティでも上場できるって本当ですか? ~聖女と始める異世界株式取引所~
十文子
第1話 マネーモンスター赤司!
これといった趣味もなく、日々バイトで稼いだ金を無為に貯めていただけの俺に、友人が何気なく言った。
「じゃあ、株でもやってみろよ」
たった一言。それが、すべての始まりだった。
入門書を買い、証券口座を開設して、さてどれを買えばいいんだとモニターとにらめっこしていた、まさにそのとき。
俺は“それ”を見つけてしまった。
とある有名企業の株が、なぜか相場の百分の一という、とんでもない価格で売りに出されていたのだ。
後に、それは大口投資家による“誤発注”(※1)だったと知るのだが――
そのときの俺に、そんな冷静な判断力はなかった。
板(※2)は、見る間に食い尽くされていく。迷っている暇などない。
俺は咄嗟に、全財産を突っ込んだ。
不祥事か? 倒産の噂? いや、粉飾決算か……?
嫌な予感が脳裏をよぎる――が、評価額(※3)は急回復。
むしろ、爆発的に跳ね上がった。
一晩明けたときには、俺の資産は八十倍になっていた。
たった一日で……バイト百人分の金を……。
――もちろん、これはただの幸運にすぎない。けれど、その瞬間、俺は金の魔力に魅せられてしまったんだ。
株、暗号資産、先物、為替――あらゆる取引に手を伸ばし、気づけば俺は、バイトどころか大学すら辞めていた。
部屋に引きこもり、取り憑かれたようにチャートと数字にのめり込む日々。
当時はちょうど暗号資産バブルの真っただ中だった。俺はまったく苦労することなく、二億円に迫る金を手にしていた。
だが、止まらなかった。
五億、八億、そして十億――。
そのへんのサラリーマンの生涯年収を軽く上回っても、現実感など欠片もなかった。ただ、増え続ける数字を眺めるのが快感だった。
そして――あの日が来る。
とあるニュースが、世界を駆けた。
「世界的緊張の高まり」「キューバ危機の再来」。
ネットがそう騒ぎ立てたときには、すでに市場は奈落へと滑り落ちていた。
保有していた銘柄は、すべて一斉にストップ安――。
サーキットブレーカーが発動したのも束の間。下落は止まらず、一日に四度も取引が停止した。
それでも、数日後には株価は不死鳥のように落ち着きを取り戻す。
“危機は思ったほど深刻ではなかった”というのが大方の評価だ。
だが――俺にとっては手遅れだった。
なぜなら、俺は資産の大半を暗号資産の信用取引(※4)に突っ込んでいたのだから。
レバレッジ(※5)三倍、五倍、十倍――。
もはや投資ではない。ただの投機、いや、博打だった。
数値が一線を越えた瞬間、俺の残高はゼロになった。
ゼロカット(※6)だ。追加できる証拠金もなし。俺の資産は、一夜にして蒸発した。
失意のまま迎えた朝。
俺は目の下に隈を浮かべたまま、パソコンの前でぐったりとしていた。
だが――それでも、まだ。
わずかながら、希望は残っていた。
すべてを暗号資産に投じていたわけじゃない。株式口座には、かろうじて八千万円が残っていたのだ。
それだけあれば、再起は不可能じゃない。凡人の一生分の稼ぎくらいまで増やすには、十分すぎる額だ。
俺は歯を食いしばり、自分に言い聞かせた。
――まだだ。ここから立て直せる……!
だが――俺は、ひとつだけ大事なことを忘れていた。
……税金。
去年、俺が暗号資産で稼いだ額は約九億円。
雑所得扱いとなるその収益にかかる税率は、住民税含めて最大55%(※8)。つまり、ざっくり計算しても、約五億円分の納税義務が発生していた。
税務署から届いた書類には、冷たく淡々と数字が記されていた。
《課税対象額:9億1700万円》
《納税額:5億2300万円》
「……は?」
思わず、声が漏れた。だが、何度見返しても――数字は変わらない。
それは、どう足掻こうとも逃れられない現実だった。
暗号資産はゼロ。信用取引は全滅。
残った株資産では、とてもじゃないが足りない。
……俺は、“国に借金をしている”のと同じだった。
税務署は鬼でも悪魔でもない。最初の催告こそ穏当だったが――対応を誤れば、追徴・差押え・延滞金の三重奏が始まる(※9)。
俺は混乱し、右から左へと税理士に泣きついたが、現実は甘くなかった。
あのとき、俺はようやく気づいたのだ。
“お金”とは数字ではなく、命綱だということに。
――俺を置き去りにしたまま月日は流れ。
最終的に俺が逃げ込んだ先は、自殺未遂が日常茶飯事と化した安アパートの一室だった。
遮光カーテンの閉じられた部屋。カップ麺の容器と、ホコリを被ったスマホ。散らかったままのスリッパ。
俺はそこで、ただ生きるためだけに最低限の仕事をして――ただ時間を腐らせていた。
――そして、あの瞬間が来た。
日雇いバイトのために乗った、各駅停車の電車。そのシートで眠りこけた俺が目を覚ましたとき――
あの金髪の聖女が、俺の目の前で静かに跪いていた。
◇◆用語説明◆◇
※1: 誤発注(ごはっちゅう)
株取引において、注文価格や数量を間違えて入力してしまうミス。例:1株を1000円で売るつもりが、1000株を1円で売ってしまうなど。
※2: 板(いた)
株式などの取引画面に表示される「買い注文」と「売り注文」の一覧。これを見て売買のタイミングを判断する。
※3:評価額
保有している株や資産を「今売ったらいくらになるか」で計算した金額。あくまで“時価”であり、現金とは異なる。
※4:信用取引
自分の資金を担保にして、証券会社から資金や株を借りて行う取引。少ない資金で大きなリターンを狙えるが、リスクも高い。
※5:レバレッジ(てこ)
証拠金(担保)をもとに、何倍もの金額の取引ができる仕組み。例:10万円の元手で100万円分の取引をする=レバレッジ10倍。利益も損失も倍率分増える。
※6: ゼロカット
損失が発生しても、あらかじめ決められた証拠金以上の追加入金が不要になる制度。残高が0円以下にはならないが、全損は免れない。
※7:雑所得
日本の税法上、暗号資産(仮想通貨)による利益などが分類される所得。給与などとは別に最大55%の高い税率が課せられる。
※8: 住民税含めて最大55%
日本では、所得が一定以上になると、所得税+住民税の合計で最大55%もの税金がかかる(累進課税制度)。
※9:追徴・差押え・延滞金
税金を払わなかったときに課されるペナルティ。追徴税(追加徴収)、財産の差し押さえ、期限超過による延滞利息など。
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