第2話 金を掘るな、ツルハシを売れ


  ――目の前に聖女さまがいた。サファイアみたいな澄んだ瞳に、ふわっと波打つ金色の髪。きめ細かな肌はまさに白磁だ。


 そしてその聖女さまは――なぜかひざまずき、きらきらした瞳で俺を見上げている。


「賢者さま……! 私の召喚に応えていただけたのですね……!?」

 

 ――えーっと、これは“あれ”か? いわゆるひとつの異世界召喚とかいう……?


 俺は辺りを見渡す。


 そこは大学の講堂くらいの広さの空間だった。天井は高く、ベンチが整然と並んだ先には祭壇っぽい何かがある。教会の聖堂……だろうか?


 なんとか状況を呑み込もうとしていると、聖女さまがすっと立ち上がる。……思ったよりも小さい。たぶん140cmくらいだろう。


「賢者さま、こちらを……!」


 そんな中学生くらいのちびっこ聖女さまが、何かを差し出してくる。それはファンタジー風味満点の、大きな宝石がはめ込まれた鍵だ。


「これは……?」


「先代の聖女さまが遺された“ダンジョンの鍵”になります」


「ダンジョンって……モンスターがいて、宝箱があるような……?」


 わざとらしくうなずく聖女。


「さすが賢者さま……! そのとおりでございますわ! その鍵を使って、ダンジョンから財宝を持ち帰っていただきたいのです……!」


 ――いやいやいや! 俺はまごうことなき一般人だ。賢者なんて呼ばれるような立派な人物じゃない。


「ちょ、ちょっと待ってくれ……」


 たしか、俺は日銭稼ぎのためにタ●ミーの現場に向かっていた途中だったはずだ。電車に乗って、20分は仮眠できるなと目を閉じたところまで覚えている。


 ――そして、目を覚ましたらなぜかここにいた。


 「な、なぁ……。あんたは誰で、俺はどうしてここにいるんだ……?」


 聖女さまは「ふふん!」と小生意気に鼻を鳴らして、胸を張った。とはいえ、胸自体はちっとも張ってないのだけれど。


「私は星導教会の聖女ニサン。賢者さまがここにおられるのは、何を隠そう私が召喚したからですわ!」


「……はぁ。それで、ニサンさまはなんで俺なんかを?」


 聖女さまは床をつま先でぐりぐりとしながら、ためらいがちに言う。


「それが……お恥ずかしながら、先代の聖女さまが亡くなってからというもの、教団は経営難に陥っておりまして……」


 たしかに、聖女さまのお召し物はずいぶん古びていた。ぼろぼろの白いローブに、色褪せた緑のストール。ふと、その襟ぐりに施された銀の刺繍に目が留まる。


「俺にダンジョンを攻略させて、一山当てようと考えたわけか……」


「はい……賢者さまにはご迷惑をおかけしますが、背に腹は代えられず……」


 まあ、気持ちはわかる。わらにもすがるってやつだ。


 でも――


「……残念だけど、ちょっと致命的なミスをしてるな」


「え……?」


 俺は頬をぽりぽりとしながら苦笑混じりに告げる。


「俺、ただの人間なんだよ。――というか、どちらかというと平均以下かも。無職のフリーターだし」


「……はい?」


「日払いのバイトで生活費を稼いで、スマホをぽちぽちしながら“人生詰んだな”とかつぶやいてる、そこらの負け組だよ」


 ちょっと前までは、総資産10億円超えのトレーダーだった。……けれど、それを言っても仕方がない。


「そ、そんな……!?」


 ニサンはがっくりとうなだれた。しかし――


「いえ……そんなはずありませんわ! 私はたしかに、“この窮地を乗り越えられる者”を召喚したのですからっ……!」


 聖女さまが、いきなり顔を上げて拳を握った。


 え、おい、まさか――!?


「――失礼ッ!!」


 あばらに響く、鋭いストレート。


「うぼぁっ!?」


 召喚された直後に聖女に腹パンされるなんて、俺が世界初なんじゃないだろうか。いや、そもそも異世界召喚がポピュラーなのも、奇妙な話なのだが。


 地面に崩れ落ちそうになりながら、なんとか声を絞り出す。


「ううっ……。ぼ、暴力反対……」


 よっぽど酷い顔をしていたらしい。聖女さまはさっと青ざめる。


「ああっ……! なんてひどい……!」


 うん、お前の悪行がな?


 非難がましく見ると、聖女さまはやっと気づいてくれたようだった。


「まさか本当に、ただの人間……!?」


「英検3級しか持ってない俺が賢者を名乗るとか、おこがましいにもほどがあるだろ」


 冗談を言ってみたが、ニサンはそれを無視して、まるで「殴られたのは私だ」とでも言いたげな顔で膝をついた。


「……先代さまが遺してくれた、とっておきの聖金貨を召喚の代価にしましたのに……! ああ、私はなんてことを……!」


 俺からすれば勝手に召喚されたわけだし、「しらんがな」と突っぱねてもよかった。


 でも――ちょっと聖女さまが可哀そうに思えてしまった。


「えっと……聖女さまはつまり、お金に困っていらっしゃると?」


 聖女さまは切り替え早く、きりっと俺を見上げる。


「そうですわ……! ぶっちゃけ、お金が稼げるのなら何でもかまいませんの! ――世の中、金、金ですわ!」


 いや、ぶっちゃけすぎだろ。


 俺は渡された鍵をしげしげと眺めながら尋ねる。


「ダンジョンって、どこにあるんだ?」


 ……この鍵が、その入口を開けるんだろうけれど。


「鍵を持って『転移』と言えば、ダンジョンに繋がりましてよ」


 ものは試しだ。唱えてみる。


「――転移」


 その瞬間、空間がぐにゃりと歪んだ。


 え、なにこれ。目の前に黒い渦が現れたかと思うと、ダ●ソンもびっくりの吸引力で引き込もうとしてくる。


――ま、待って待って!? 重力おかしくない!?


 空中クロールで必死に抵抗する俺。だが、そのとき――手からぽろりと、鍵が落ちた。


 しゃらん……と、金属の音が響く。


 その瞬間――黒い渦は「興味失った」とでも言いたげに、しゅん……と蒸発する。


 俺は尻もちをついたまま、息切れしながら吐くように言った。


「な、なんだ、今の……!?」


「……ダンジョンに繋がる転移の門でしてよ?」


 きょとんとした顔で答える聖女さま。


 ――な、なるほど? 鍵というより“ゲート”って感じなのか……。


 おそるおそる鍵を拾い上げた俺は、そこにはめ込まれた宝石を光にかざしながら言う。


「――聖女さまはなぞなぞは得意か?」


「そ、そんなこと考えたこともありませんわ」


 ニサンは訝しげな顔で、俺をまじまじと見つめた。整った顔だなぁと軽く感動しつつ、俺はある逸話を語り出す。


「ある山で、大きな金鉱脈が見つかりました。多くの人がその山へと金を掘りに行きましたが、いちばん儲けたのは誰でしょう?」


 聖女さまは鼻から「ふんっ」と息を噴き出し、薄ら笑いを浮かべて答える。


「馬鹿にしないでくださいまし。そんなの、最初に金を掘った人に決まってますわ!」


「残念。正解は、つるはしを売った人だ」


「……つるはし?」


「そう。掘った人じゃなくて、“掘る人に道具を売った人”がいちばん儲けたんだ」


 鍵を指でくるりと回しながら、俺は肩をすくめてみせた。


「ダンジョンを見つけたからって、なにも自分で入る必要はない。“中に入る人”に道具を売ればいい。たとえば――この鍵とかな」


 ぱちぱちと、ニサンの碧眼が瞬く。


「で、でも……一度売ってしまったら、それで終わりではありませんの?」


「それはそうだ。……でも、何か手はあるかもしれない。それを、俺とお前で探してみよう」


「よっこらしょ」と声を漏らしながら、俺はうんこ座りでニサンと目線を合わせた。


「お前は“聖女”なんだろ? だったら、“奇跡”みたいなもんが使えるんじゃねぇのか?」


 とはいえ、金に困るくらいだ。どうせ大したことはできない――そう思っていたのだが。


「わ、私が授かった奇跡は、たったひとつだけですのよ……」


 視線を逸らして、所在なげにもじもじとする聖女さま。


「上等だよ。俺なんて、ひとつも持ってないしな」


 ニサンは俺の顔をまじまじと見て、ぷっと小さく吹き出した。俺は肩をすくめて続ける。


「で、その奇跡ってのは、どんなもんなんだ?」


「『聖別』ですわ。祈りを捧げて、物に“聖なる刻印”を刻めますの」


「へぇ……。その刻印には、どんな効果があるんだ?」


 聖女はそっぽを向いて、ふてくされたような声で答えた。


「――別に、何も」


「は?」


「“これは神に祝福された本物です”っていう、ただの証明ですの」


 一瞬、時が止まった。


「そ、それって、役に立つのか……?」


「異教徒の聖女には、聖別した免罪符を売る輩もいるとか。聖別されたものは絶対に偽造されないので、いい金儲けになるようでしてよ?」


 なんかガッカリだけど――でも、使い道がまったくないわけじゃない。


「……偽造防止、か」


「不可侵たる神の奇跡もまた不可侵。そういうことですわね」


 ふむ……。「鍵」と「聖別」、か。


 俺は少し黙ってから、改めて訊いた。


「この鍵ってのは、ダンジョンに行くための魔法のアイテム、って認識で合ってるよな?」


「ええ。その通りですわ」


「合い鍵は作れないのか?」


 俺が“つるはし”を量産しようとしていることに気づいたのだろう。ニサンは、つまらなそうにため息交じりで言った。


「技術的には可能ですわよ」


「ど、どうやるんだ!?」


 思わず身を乗り出す俺に、ニサンは淡々と答えた。


「町の付術師の店に持ち込むだけですわ。『鍵』に込められた“転移”の魔法を、適当な紙や小石に写せば、それが“合い鍵”になりますの」


 低コストで複製できる――その事実に、思わず俺はにやりとした。


 だが、ニサンは深いため息をつく。


「もしかして、“合い鍵を売って一儲け”などとお考えで?」


「ああ。考えてるが……それのどこが問題だ?」


「複製なんて、誰にでもできてしまいますわ。すぐに偽物の偽物、そのまた偽物が、町じゅうにあふれることになりますわよ」


 ――ま、まるでソフトウェアの違法コピーみたいだな。


 だが、俺たちにはその偽物への対抗手段があるじゃないか。


 俺が黙り込んだのを見て、ニサンは肩をすくめる。


「“馬鹿の考え休むに似たり”ですわね。あなたのような凡百が思いつくようなこと、既に多くの先人たちが通った道ですのよ」


 ……こ、こいつ……! 地味にいい性格してやがるな。


 本性をチラ見せする生意気なちびっこに、鍵をぐっと突きつけてやる。


「この鍵の“合鍵”を作って、それに“聖別”を刻んだら、どうなる?」


「どうもなりませんわ。それ以上は――」


 ぴたり、と口が止まった。リップもひいてないくせに赤い唇が、かすかに震えている。


 俺はその反応を見逃さず、にたりと口元を歪めた。


「……“聖別”した合い鍵なら、コピーはできないってことだな?」


「そ、その通りですわ……!」


 よし。そうと決まれば――善は急げ、だ。


 俺は聖女に手を差し出した。


「俺は、村切 赤司むらきり あかじ。改めてよろしく」


 ところが聖女さまは、露骨に胡散臭そうな顔をした。


「なんですの、その名前……。この世界とは違うのは分かりますけど、なんだかこう……すごく、貧乏くさいというか……」


 うるせーよ、誰が“損切りの赤字”じゃい。(※1)


「どうしろってんだよ、本名だっての」


「も、もう少しこの世界に合った名前がいいですわね……。例えば、ゲレゲレとかピエールとか……」


 やべぇ名前を付けられる前に、先手を打つ。


「ウォーレン・ソロスでどうだ」


 ばったもん臭い名前(※2)だが、ニサンはまんざらでもない様子だった。


 驚くほど小さくて、ひんやりしたその手が――しっかりと俺の手を握りしめてくる。


「よろしくお願いしますわ。……一般人のウォーレンさん」



◇◆用語説明◆◇


※1:株式などで、購入時よりも値段が下がったとき、それ以上は損失が膨らまないように売って損を確定すること。


※2:ウォーレン・バフェットとジョージ・ソロス。どちらも株や金融商品の取引で大儲けしたすごい人。

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