ある夏の記憶
カヤマ
第1章
けたたましく鳴り響くアラーム音に目を覚ます。
夏休みが明けたので、早起きして登校する日常に戻ってしまった。
カーテンを開け、眩しい光に目を細める。セーラー服と通学用のカバンを持って、欠伸をしながら一階へ降りた。リビングには母と姉がいたので、おはよう、と挨拶をしたものの、何も反応を示してくれない。いつもなら挨拶を返してくれるか、冬香の姿を見たら母が真っ先に挨拶をしてくれるのだが。そういうこともあるか、と思いながら顔を洗いに行き、いつも通り朝支度をする。
セーラー服に着替え終わり、リビングへ戻って朝食の時間だ。冬香は毎朝、ご飯と味噌汁、昨晩の残ったおかずを食べる。しかし、今日の朝食はいつもより少ない。量が少なく、ご飯のみである。
「お母さん、いつも味噌汁とおかずがあるけど、なんで今日はないの?」
返事がない。無視されているのか、何か怒らせてしまうようなことをしたのか。記憶を辿っても思い当たらないので、きっとそんなことはしていないはずだ。聞き方がまずかったのか。これ以上しつこく聞いてもっと怒らせてしまってはいけないと考え、いつもより少ないご飯を食べた。
言っても返事は返ってこないと思いながらも、行ってきますと声をかけて家を出た。…何かがおかしい。通学路を歩いていると、電柱に何か紙が貼ってある。
「この人を探しています……私の写真と、名前だ…」
もう一枚、行方不明者を探している張り紙がある。しかしこちらは劣化しており、行方不明者の写真や名前が見にくい。何か書いてあるが、汚れが目立っているので何も分からない。やはり何かがおかしい。
交番やスーパー、学校の掲示板にも、冬香ともう1人の行方不明者の張り紙がある。行方不明者として冬香の写真と名前が載った張り紙が至る所に貼り出されており、周囲の人達もその張り紙が目に入っているにも関わらず、冬香を見ても特に気にせず歩いている。ただの通行人と思われているようだ。いつもだったらそんなことは当たり前のことなのに。冬香という女子中学生は行方不明者だと主張された張り紙がいくつもあると、なんだか居心地が悪い。ここにいるのに、いないと言われているようで、それでいて探されている気配もない。しかし周囲の人達は冬香は存在しているものとして見ている。なぜなら、冬香がずっと特定の誰かを見ているとその人と目が合うから。そして顔を顰めながら目を逸らされる。やっぱり私は、ここにいる。顔を顰められながら目を逸らされたことに、なんだか安心感と嬉しさがあった。
下駄箱にはちゃんと上履きがある。教室に行けば、ちゃんと自分の机がある。これだけのことでこんなに安心してしまうのは人生で初めてだ。安堵しているものの、やはり腑に落ちない。なんで私は行方不明として張り紙が貼られているんだろう。クラスのみんなも張り紙について気にしていないようだ、いつも通り騒がしい。誰かの悪戯なのだろうか、だったら私が学校に着いたり、教室に入ったりした時に多少距離を置かれると思う。おまけに変な噂も流れているだろう。そして変に意識して周りの態度がよそよそしくなるはずだ。でも違う、ちゃんといつも通り。私が変なのかもしれない。私が意識しすぎだと思う。
「冬香ちゃん、おはよう」
不意に話しかけられたので、一瞬肩が上がるほど驚いてしまった。そんなに仲が良いというわけではないが、たまに話す程度のクラスメイトから挨拶された。おはよう、と冬香も返事をした。読書感想文でどんな本を扱ったか聞かれたので、今日の朝はその話題で盛り上がった。
そのクラスメイトは読書が好きで、いつもこの子と話す時は本の話題になる。冬香は読書が好きと言えるほど本を読まないが、嫌いではない。そんな冬香が選ぶ本は、クラスメイトにとって新鮮であり、あまり読まないジャンルだったようで、とても興味を示した。張り紙については何も触れられなかった。
そして、ここでもなんだか違和感を覚えた。私、いつも一緒の子がいたはず。教室に着いたらまずその子の元へ行くか、その子が私の元へ来てくれる。休み時間も、帰り道も、ずっと一緒だった。しかし周囲を見渡しても、その子はいないし、まずその子の容姿を思い出せない。なぜか分からないが、その子を探さなければならないという義務感を覚えた。
時間が経てば、世界が元に戻っているんじゃないかという淡い期待は一瞬で崩れた。まだ張り紙がたくさん目につく。ずっとこの不気味で意味の分からない張り紙と向き合うのはすごく不快だけど、何かヒントがあるはず。冬香は、帰り道に貼ってある張り紙を一枚一枚確認していった。しかし今まで見たところ、この世界に隠されたヒントは見つからなかった。
少し諦めかけていたところで、劣化している行方不明の張り紙に住所が書かれているのを見つけた。ここら辺の土地ではない住所と、その下に「ここに手紙を送って」という文が書かれていた。
これは明らかに怪しい。手紙をこの住所へ送ってしまうと、私の住所がバレてしまう。そうしたらきっとトラブルに巻き込まれるんだ。個人情報は自分で守らなければならない。さすがにこれは無視した方がいい。しかし、その場を離れることができなかった。
そうだ、この住所は一応メモしておこう。目を離せないということは、これはきっと必要なんだ。例えば、雨が降るか分からない時、折りたたみ傘を持っていくか持っていかないか迷うが、こういう時は持っていった方が確実に良い。もし、持っていかないで雨が降った場合、なんであの時折りたたみ傘を持っていかなかったんだろうと後悔してしまう。だから冬香は、目についたものは“とりあえず持っておく”ことにしている。後で後悔するくらいなら、それでいい。
冬香はカバンからノートと筆記具を取り出し、張り紙に書かれている住所をメモして、その場を後にした。
ただいまと言った声は虚しく反響して消えた。あの住所を見つけた時は、そこに手紙を送るのは危ないと冷静に考えていた。だが帰宅途中歩きながら考えているうちに考えが変わった。
冬香は行方不明と主張されている張り紙の隣に例の張り紙があり、さらに「ここに手紙を送って」という文が書かれていた。周囲の人達はこんなにいくつも張り紙があるのに気にも留めない。私だけが過剰に反応している。つまり、これは私へのメッセージなんだ。私にしか手紙は出せないものなんだ。きっと私へ何かを伝えようとしているのではないか。そう考えたら益々手紙を出したくなってきた。とりあえず便箋を用意しよう、自分の部屋にあるかもしれない。はやる気持ちを抑えられず、冬香は階段をドタドタと駆け上がった。
自分の部屋を探しても、便箋は見当たらない。いつの間にか使い切っていたのかもしれない。特に物欲がないので、使わずにとっておいたお小遣いがある引き出しを引っ張った。仕方ないので、このお小遣いで便箋を買いに行こう。冬香はそのお小遣いを財布の中に必要な分だけ入れて、近くにある100円ショップへ向かった。
「うーん、どんな便箋がいいんだろう…可愛いやつ?でも相手は友達じゃないし…無難なやつにしよう」
冬香は茶色の封筒に白い横書のレターセットを選んで購入した。
相変わらず、外は冬香と知らない誰かの行方不明を主張する張り紙で溢れていた。
「さて、何を書こう。…あなたは誰ですか?みたいな?」
聞きたいことはいくらかある。しかし距離感は考えるべきだ。まずは名乗ろう。そして、なぜ手紙を送ってほしいと思ったのか、ということを書いてみよう。相手の正体はやり取りしていく中で見えてくるかもしれない。質問攻めをしてしまうと、あまり良くない第一印象になってしまう可能性が出てくる。穏便に謎を解き明かしたい。しかし手紙を送ることが正しい選択なのかは未だに分からないが、やらない後悔よりやって後悔の精神で書き進めていく。
「はじめまして、私は冬香といいます。ぜひ仲良くしてください。もしよければあなたの名前も教えてほしいです。無理にとは言いません。
話は変わりますが、行方不明の張り紙を知っていますか。その張り紙にあなたの住所が書かれていました。あなたが書き込んだものであるなら、なぜ『ここに手紙を送って』と書いたのですか。お返事待ってます。」
茶封筒にメモした住所などを記載し、便箋を二つに折りたたんで茶封筒に入れて糊付けをした。ここで気づいたが、切手を持っていない。切手がなければこの手紙は出せない。もしかしたら、この手紙のやり取りをするためにお小遣いを使わないでとっておいたのかもしれない。そんな馬鹿げたことを考えてしまうくらい久しぶりの買い物だ。冬香は郵便局へ行き、手紙を出すのと同時に切手も購入した。
ある夏の記憶 カヤマ @kayama_a
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