心臓のあるアパート

二橋 吉葉

第1話

 心臓のあるアパート

              二橋 吉葉

 大学三年生の時、引っ越しをした。大学により近くて、家賃も変わらない場所。廊下を挟んで、南北に部屋が並ぶアパートの北側だったので、電気を消すといつでも薄暗いが、その暗さも気に入っていた。このアパートは三階建てで、二階と三階に居住用の部屋があり、一階では居酒屋と、ラーメン屋が営まれていた。大学から近い事もあり、学生が夜中騒ぐが、それが大きな不満だった。

 このアパートに住んでから一週間程たった後、夜の寝室で音がすることに気づいた。「どっ、どっ」という遅い脈の様な音が、かすかに聞こえる。何の音か耳を澄ましても、上階から鳴っているのか、下階からの音なのかも分からなかった。聞き慣れない音だったので、何の音なのか興味は引かれたが、居酒屋に何か大きな設備が置かれているのだろうと思い、その日以降、この音に興味を払わなくなった。

 半年ほどが過ぎた十二月の上旬の夜、その心拍音がこれまでのそれよりも、かなり大きな音で鳴っていた。これまでにもこの心拍音を聞く機会は何度も有ったが、こんなに大きく響いたのは初めてだった。音は大きかったが、騒がしいという類いの音ではなかったので、その音の中眠るのは難しくなかった。むしろ、温かさや、心地良さを導くような音であり、その夜は安心感を抱いて眠った。

 それから五日後、このアパートの住人が死んでいるのが見つかった。階段を妙に多くの人が上り下りしている音を聞いて、玄関から顔を出してみると、警察官や作業着を着た人たちが忙しなく動いている。野次馬根性で三階に上がると、一番奥の部屋を人々が出入りしていた。部屋の中は覗かせて貰えなさそうだったので、警察官と話している大家さんに、隙を縫って話しかけると、人死にが出たと教えてくれた。連絡が取れない事を心配したその部屋の住人の知り合いと様子を見に来ると、玄関先に下着姿の状態で倒れていたらしい。中の様子を見てみると、家具が散乱していて、壁に穴があいており争った様に見えたと言う。

 話を聞いていると、作業着姿の男性二人が、長い袋の両端を持って去って行ったが、袋の持ち方から、遺体が入っているのだろうと想像した。するとジャンパー姿の男性が大家さんの許へ歩み寄り、

「この度亡くなられた方なのですが、熱中症で亡くなっていました。大家さんがこの部屋に入った時、酷い暑さは感じませんでしたか。」

「いや、特に暑さは感じませんでしたが。あの、強盗じゃないのでしょうか。部屋の中は散らかっていましたし、争った跡もあった様に思ったのですが。」

「調べたところ、我々は強盗ではないと判断しました。壁にある穴も、亡くなられた方が以前から自分で作った物だと思います。この部屋について、騒音の苦情などはありませんでしたか?」

「隣が空き室だからか、そのような話は、有りませんでした。」

「最後に、このアパート、かなり古いのでしょうか。」

「そうですね、もう三十年に成ります。何故ですか。」

「まだはっきりとしたことは分かりませんが、亡くなられた方、何度も窓やドアを開けようとしていた様なのです。立て付けの問題で開かなかったのかなと思いまして。」

「確かに、古いアパートではありますが、そういった苦情はまだ聞いたことがありません。」

「そうですか、ありがとうございました。申し訳ありませんが、もう少々、捜査にご協力下さい。これから室内の状況をご一緒に…」

そこまで聞いて、僕は自室に戻った。冬に熱中症だなんて、珍しいことだろうが、あり得ない話じゃないんだろうと思い、また進展があれば、大家さんから直接聞こうと思った。

 それから一年程が経ったが、結局、進展はなく、熱中症に因る死亡という事で、話は終わってしまったらしい。あの事件以降、数人がこのアパートから出て行ったが、もう今では、そうやって出て行った住人の部屋は殆ど埋まっている。告知義務などが必要な部屋ではないから、当然と言えば当然だろう。

 最近、二つ隣の部屋に新たな住人が越してきた。夜職なのか、平日にしか家に居ないようで、家に居る間、随分と暴れている。壁をたたき、何かに怒って居るような音が、よく聞こえる。窓を閉めれば問題ないが、窓を開けないと暑い季節の事を考えると、げんなりする。

 ちょうど、うるさい住人が越してきた頃から、またあの心音が聞こえる様になった。あの夜以降、聞いていなかったので、意識から外れて忘れていたが、改めて聞くと一定間隔で「どっ、どっ」となるので、人の動きで鳴っている音ではなさそうに思う。前と変わらず心地よさのある音なので、聞こえる分には何の問題も無いが、昨年の事を思うと、いずれこの音が人に死を誘う音になるのだろうか。

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心臓のあるアパート 二橋 吉葉 @Kitsuha_Hutabashi

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