第18話理想の実用性と求められた対価
これからは貴女が思う通りに生きていきなさい。
遥か昔に告げられた別れの為の言葉が今目の前で再び言い渡された。
もう存在しないはずの祖国の景色はソフィアの意識の原風景の中だけにあるモノだ。
ソフィアを見つめる年配の女性の眼差しは悲しさと寂しさが色濃く映し出されていて、今にも泣きだしそうな気配すら感じられる。
しかし彼女は決して涙を流さないだろう事がわかっている。
自分への気遣いをさせることが私の判断を鈍らせることをわかっているからだ。
だがこの光景は遥か遠い昔の記憶。
この後私は祖国への未練を断ち切って欧州の魔導の名家であるレイドワークス家に赴き、自分の存在価値を命がけで組み上げる日々へ身を投じる事になるのだ。
この日のこの瞬間が正に私の人生におけるターニングポイントだった。
何故今この場に私が立っているのか。
…おそらくこれこそが「絵空事を現実にする」という真理統合学会の上位幹部が持つ異能の実態なのだろう。
時間遡行であるのか個人的な因果を逆流させるモノなのかはわからないが、私が現在の能力や知見を得るまでの「現実」を無かった事にしようという目論見だろう。
そして私自身の意思で何の能力も持たない常人としての人生を選び直させるのが目的のはずだ。
ソフィアはとりあえずの現状分析を簡単にまとめ終えると意識を手元に呼び戻す。
しかし…
「ソフィア…貴女の日常を守れなかったことをまず謝らせてほしい。そしてこの謝罪を受け入れてくれるなら魔導や政略と無縁な生活ができる手筈も整えてあるの。全ては貴女次第よ。」
私の記憶には無かった優しい言葉は当時欲していた言葉そのものだ。
あからさまな因果誘導であることがわかっていても心が揺らいでいく。
「貴女はもう十分に苦しんできた。これ以上の過酷な宿命を背負う必要は無いはずよ?」
私がその申し出を許容することを求める言葉が再度紡がれる。
彼女の手が差し出されて決断が迫られた。
これまで悪意や害意を浴び続けた私の意識は待ち焦がれた無償の優しさに屈しようとしている。
そうだ…私だけがこの世の現実を支え続けなければならない訳ではない。
きっと私がやらなくても誰かがその役目を背負ってくれる。
戦うのが私でなくてはならない理由は無いはずだ。
いつの間にか侵食してきた他責で都合の良い理論立ては私の意識を混濁させていく。
目の前にかつて望んだモノそのものが差し出されている。
私の為だけの自由だ。
ふらふらと勝手に足が彼女に歩み寄ってその手を取ろうとしたその時、ささやかな違和感が私の意識を横切った。
差し出されている手に血の匂いが漂っている。
今にも滴り落ちそうな鮮血の印象。
この場にあまりにもそぐわない異物感に驚いて彼女を見ると、彼女の口角が歪に歪んでいた。
優しく完全な世界が崩れていく。
ありふれた日常の背景が炎天下に晒された氷塊のごとく輪郭を崩していく。
…やれやれ。もう少し都合のいい夢を見ていたい気分だったがな。
ソフィアは心の安寧の象徴であった彼女の姿が霧散して消えていくのを見届けた後、戦意を奮い起こして体制を立て直す。
自分の心の聖域を土足で踏み躙った罪人に相応の対価を支払わせるために。
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