またも知的障害者の可能性をみた
島尾
簡単そうなのに解けない問題に対して
知的障害者と毎日のように接しているが、今だに彼らの頭を解明できていない。ただ、解明したいという欲望も尽きない。その欲望の源泉は当然知的障害者自身であり、ここにおいて循環が発生している。その論でいけば私は翌日も翌々日も「解明欲の渦」上の点Pに存在可能だということになる。
もう一つ、知的障害者を解明しようと欲するに至る異常な経路がある。普通、相手に嫌な態度を取られたら関わりたくなくなるものだ。しかし少なくとも私の周りにいる彼らは、私の中の関わりたくないという気持ちをキャンセルするのに十分な要素を複数個持っていると推測される。例えばUという知的障害者(女)は、おそらく私のことを嫌っている。
「なるほどー! Nさん頭良すぎー」
と言ってくれたその10分後、
「またNさん独自の方法でやってる。塊作っちゃうんですよー」
と言った。優秀な評価なのか劣等なそれなのか、いまもって不明だ。マットレスを解体した後、その中にあるバネを取り除く作業だった。バネをランダムな向きに重ね合わせると一つのプレートが出来上がるという発見をしたのだった。それに対するUさんの評価が不明なのである。
さて、普通はこの時点で縁を切りたくなる。しかし彼女のよく通る声、細い体のフォルム、胴体を固定したまま手足を動かすという独特の挙動、これらが私を魅了し続けている。それは、翌日も彼女に対する研究的観察を続けたいと思わせてくれる。
Sという男の人もまた、独特である。彼は全ての人に興味を示すような性格だと思う。ただしその興味の持ち方は、モノに対するのと同等だと観察される。純粋な興味とは、人か否かには無関係にはたらく脳の思考回路なのだろうかと思わせてくれる。彼は信じがたいほど同じ言動を繰り返す。それはもはや清々しい。
新幹線の車内や、山手線の車内、飛行機の中にいる赤の他人には一つも興味がない。それは当然だろう。しかし、学校で同クラスにいたやつらにもこれとほぼ同じ種類の無関心がはたらいていた。この原因が少しわかった気がしたのである。知的障害者は常識を壊すことが可能であり、凡人にはそれがほぼ不可能なのではないか、そして私は常識が壊された後の新世界に巨大な興味をそそられているのではないか、と思うのである。今、社内の風土をよくしたいという企業が山ほどあるらしい。常識に従うことが前提とされるような集合体が「より良い風土」を目指して努力して、しかし一向に空虚な感覚がある場合が往々にしてあるのではないだろうか。より良い何かは必ず新しい概念であり、常識という既存の古びゆく概念をベースにすることは無理だろう。良いことイコール周りへ波風を立てないことならば、それは社員たちがストレスをためても発散できないような窮屈な空間である。ある社員のストレス量が限界値に達したとき、かなり良くないことが起きると考える。もし本当の意味で社内風土を良くしたいなら、知的障害者を雇うのはどうだろうか。その際、常識が壊れてもよいという共通認識は必要になるだろう。
知的障害者の能力があまりにも無視されていると思う。どう考えても簡単そうなのにどうしても解決できない問題が何十年も継続して存在している場において、普通とは決定的に異なる人類を頼るという大事業が実は必要なのではないかと思う。
またも知的障害者の可能性をみた 島尾 @shimaoshimao
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