嫉妬と興奮と ヒロイン闇落ち編

写乱

闇玲奈

 あの夏、僕の魂は死んだ。

 空き地の小屋で、僕の女神が獣に変わるのを目撃してから一年。高校二年の夏を迎えても、僕は死体のまま生きていた。抜け殻のように学校に通い、ただ窓の外を眺めるだけの日々。感情はとうに麻痺し、絶望に慣れきった心は、凪いだ海のようだった。


 藤堂隼人と片山玲奈は、あの後すぐに学校の有名人になった。サッカー部のホープだった藤堂は、なぜか突然部活を辞め、髪を伸ばし、制服を着崩すようになった。目つきは鋭くなり、常に数人の仲間を引き連れて、教師たちも見て見ぬふりをするような、いわゆる「ヤンキー」の中心人物へと変貌していた。


 そして、玲奈は。

 僕の知る片山玲奈は、完全にこの世から消え去った。


 ある日の放課後、僕は人気のない校舎裏で、ぼんやりと壁にもたれていた。ここは、ヤンキーたちの溜まり場ではあったが、奇妙な安心感があった。誰も僕という存在に干渉しないからだ。


「あれ、浩介じゃん。ひさしぶりー」


 その、やけに明るく、しかしどこか乾いた声に顔を上げ、僕は息を呑んだ。


 そこに立っていたのは、片山玲奈だった。いや、片山玲奈の形をした、まったく別の生き物だった。

 かつて光を浴びて栗色に輝いていた清らかな髪は、今は根元が黒くプリンになった、安っぽい金髪になっていた。大きな瞳は、どぎついアイラインとつけまつげで縁取られている。そして、その唇には、細いメンソールのタバコが、当たり前のように挟まれていた。


 僕の視線が、彼女の服装に落ちる。

 それは、信じられないことに、かつてと同じ白いワンピースだった。だが、原型を留めているのは色だけだ。スカートの丈は、下着が見えるか見えないかの極限まで切り詰められ、風が吹くたびに、扇情的に太ももが露わになる。


 そして、足元。

 僕が聖域のように感じていた、リボン付きの白いソックスとエナメルのパンプスは、そこにはなかった。代わりに彼女が素足に履いていたのは、足を締め付けるような、黒く光るエナメルのポインテッドトゥハイヒール。10センチはあろうかという鋭いヒールが、アスファルトに突き刺さるように立っている。ワンピースの袖から伸びる白い腕、そして、短いスカートから伸びる、驚くほど白い脚には、色鮮やかな蝶や薔薇のタトゥーが、まるで肌の一部のように這っていた。


 耳には、インダストリアルピアスを始めとする無数の銀色のアクセサリーが、軟骨を埋め尽くすように輝いている。彼女が笑うと、きらりと光る舌ピアスが見え隠れした。


 清楚さは、ゼロ。純潔の象徴だった白いワンピースは、今や彼女の淫靡さを際立たせるための、ただの記号と化していた。


 僕の体は、正直だった。思考が追いつくより先に、下腹部に熱が集まっていくのが分かった。聖女が、僕だけの女神が、誰が見ても安っぽい娼婦の姿に成り下がっている。その、冒涜的で、背徳的な光景に、僕の体は抗いようもなく反応してしまったのだ。


「なにしてんの?こんなとこで。ウケる」

 玲奈は、紫色の煙を細く吐き出しながら、僕の隣に立った。ギャル特有の、語尾を伸ばす軽い口調。


「別に…」

 僕がそれだけ言うと、彼女は「ふーん」と興味なさそうに相槌を打った。

 藤堂は、手当たり次第に女に手を出すようになっていた。そして玲奈も、いつからか奔放になり、誰とでも寝るという噂は、僕の耳にも届いていた。


 玲奈は、タバコを指に挟むと、僕の顔をじっと見つめてきた。

「てかさー、浩介。ヒマ?」

「……え?」

「だから、ヒマ?って聞いてんの。やんない?」


 あまりに直接的な、あまりに軽い誘いの言葉。僕の脳は、一瞬フリーズした。

 玲奈は、僕の反応を見て、けらけらと笑った。


「ちょーウケる、その顔。まさか、まだ童貞とか?」

「……」

「まあ、どっちでもいーけど。するの?しないの?」

 彼女はそう言うと、僕の返事を待たずに、僕の手を掴んで歩き出した。向かう先は、今は使われていない、古い理科準備室だった。


 鍵のかかっていないドアを開け、中に引きずり込まれる。埃っぽい薬品の匂い。

 玲奈は、僕の目の前で、こともなげにワンピースのジッパーを下ろした。中には、何も着ていなかった。ノーパンだった。白い肌に、ヘソピアスがきらりと光る。


「ほら、さっさとしてよ」

 彼女はそう言うと、実験台に手をつき、僕に背を向けた。タバコは、まだ唇に挟んだままだ。

「立ちバックが好きって、知ってんだから」


 その言葉に、僕は全てを理解した。彼女は、僕があの空き地で見ていたことを、知っていたのだ。いや、僕がずっと彼女を見てきたことの、全てを。


 僕は、もう何も考えられなかった。ただ、目の前にある、かつて焦がれてやまなかった体を求めるだけの、獣になった。


 ズボンを下ろし、背後から彼女を突き上げる。

 玲奈は、小さく喘ぎながらも、慣れた様子で腰を揺らして僕を受け入れた。

「ん…っ、ふ…」

 彼女は、僕との行為の最中ですら、うまそうにタバコをふかし、紫煙を吐き出す。その煙が、西日の差す埃っぽい室内で、幻想的に揺らめいた。


 彼女は、嬉しそうだった。

 でも、その笑顔は、僕に向けられたものではない。ただ、快感に素直なだけだ。相手が僕でなくても、藤堂でなくても、他の誰かであっても、彼女はきっと同じように、嬉しそうに喘ぐのだろう。


 僕は、ただ無心で腰を動かした。

 やがて、短い時間が過ぎ、僕が彼女の中で果てると、玲奈は「はい、おしまい」とでも言うように、あっさりと僕から体を離した。そして、ワンピースを雑に着直すと、短くなったタバコを床に捨て、ハイヒールでぐりぐりと踏み消した。


「じゃ、またねー、浩介」

 ひらひらと手を振り、彼女は教室でもないのにハイヒールをカツカツと鳴らしながら、あっけらかんと去っていった。


 一人残された理科準備室で、僕は呆然と立ち尽くしていた。

 僕は、ついに片山玲奈の体を手に入れた。一年間、夢にまで見た行為。

 なのに、僕の心を満たしていたのは、絶望的なまでの虚無感だった。


 僕が欲しかったのは、これじゃない。

 僕が愛していたのは、白詰草の冠をはにかみながら乗せてくれた、あの清楚な玲奈だ。

 僕が手に入れたのは、誰にでも股を開き、タバコをふかしながら行為に耽る、魂の抜けたギャルだった。


 聖女を失い、代わりに娼婦を手に入れた。

 いや、手に入れたわけですらない。僕は、彼女と寝た「その他大勢」の、つまらない男の一人に、正式に加わっただけだ。


 僕の絶望は、終わってなどいなかった。

 喪失という形の地獄から、汚染され、共有されるという、新たな形の地獄へと、ただ移行しただけだったのだ。


 僕は、これから何度も、こうして彼女に呼ばれるのだろう。

 そして、そのたびに、この虚しさと、かつての思い出とのギャップに、心を削られ続けるのだ。


 空っぽの僕の体の中に、彼女が残していったタバコの匂いだけが、いつまでも、いつまでもこびりついていた。

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