第2話


自室に戻って一人になったとたん両足が震えだした。頭の中がしびれて目の前の現実が受け入れられない。

身を守るように両腕を体の中心に引き、自分自身を抱きしめた。


領地での父の説明によると、王都のこの屋敷は売りに出し、新しく貴族街の一等地のタウンハウスを購入するらしい。

継母のナタリーと義弟のフレディーと共に社交シーズンはそのタウンハウスで過ごすという。

そこに私の居場所はない。

私がここを出て、王立学園へ入学すれば、もう彼らに会うことはないのだろう。

新しい家族にとって私は邪魔者でしかない。

けれどいくら邪魔だと言っても、貴族としての体裁もあるから父は娘である私を捨てるようなことはしないだろう。


父は、私が卒業するまでの資金は用意してくれている。親としての務めはちゃんと果たしていると告げた。

金は出すから、自分たちには関わるなということなのだろう。

この国の成人年齢は18歳、15歳の私はまだ未成年だ。自分では何もできないし、親の庇護の元生活をしなくてはならない。今、父に反抗して放り出されたとしたら、明日から生きていけない。

私個人の自由に使えるお金があるわけではなく、王都の屋敷用に予算が管理されている。


セバスチャンの言っていることは正しい。


私はどう足掻いても父の決定は変わらないし、泣いていれば誰かが助けてくれるわけでもない。

期待をするから裏切られるのだ。

親からの愛情を求めるからショックを受けるだけで、初めからそんなものはないと思っていれば強くなれる。


いつまでも甘えていてはいけない、自分で立ち上がらなければ、大人にならなければと自分を奮い立たせた。



ただ、跡継ぎになる為に必死に勉強した私の努力がないものとされたのは無性に腹立たしかった。



***


ベッドの中で泣いて、泣いて、夜通し涙を流し、朝が近づく頃に私は気が付いた。

泣いたところで状況は変わらない。

受け入れるしかないのだと。


翌朝私はいつものように身支度を整え食堂で朝食を摂った。


「セバスチャン、昨日は取り乱してしまってごめんなさい」


私の言葉にセバスチャンは眉を上げ目を大きくした。

昨日泣き叫んでいた私が普段と変わらぬ態度に戻ったことに驚いたようだった。


「今後はお父様やこの伯爵家の恥にならないよう、真面目に学園で過ごしていこうと思います。今まで通り学生の間はお父様から援助をしていただかないとなりませんので、伯爵令嬢としてしっかり学んでいきたいと思います」


「承知しました。旦那様もそれを望んでいらっしゃいます」


何が望みよ……

彼の言うとおりにしても私の望んだものは何ひとつ返ってこなかった。

もうそんな言葉は信じない。


「今日は学園の寮に持っていく荷物をまとめます」


「必要な物はすべてお持ちください。この屋敷は売却されるでしょう。近々、屋敷の家財は全て売りに出されます」


「全て……なくなるの?」


「新しい奥様が古い物はいらないと言われたようです。旦那様から、全て処分するよう指示されました」


私は信じられないと息を呑んだ。この屋敷には亡くなった母の部屋もある。母の物は全て大事にそのままの状態で保存していたではないか。父は母のことを心から愛していた、捨てるなんてできるはずがない。


「お母様の部屋の物はどうなるの……」


「家具やドレスは売りに出されます。旦那様に全て現金に換えるように言われましたので」


「待って!お母様の思い出まで売りに出すなんて!そんなこと私が許さないわ」


5歳までの記憶しかないけれど、私は確かに母親に愛されていた。

大切にしてもらっていた、その母を思い出ごと売りに出すなんてできない。


「旦那様は新しい奥様とお坊ちゃまのことを気にかけていらっしゃいます。過去のことは忘れてしまいたいのではないでしょうか」


忘れたいなんて……酷いわ……

言葉に詰まり、何も言えなくなる。


「私は、亡くなった奥様の物は、お嬢様が遺産として受け継ぐべきだと思っています。血の繋がった娘であるあなたには、その権利がありますから」


「遺産……」


「処分した物を細かくリストにして旦那様に渡します。しかし、母親の物はお嬢様が受け継ぎましたと私が報告します。ですから、形見としてご自分の好きなようにされればよいかと思います」


「形見……」


「大切に管理しろとは言っていません。生前、旦那様はたくさんの高価な物を奥様へ贈っていらした。せめて、あなたの将来の自由の為に、奥様の物が役立ってくれますように願います」


セバスチャンはそう言って、私に母の部屋の鍵を渡した。


今まで母の部屋には鍵が掛けられていて私は入室することができなかった。子どもの頃、何度もお母様に会いたいと部屋の前で泣いて過ごした記憶がある。けれど、決して中には入れてもらえなかった。

まさに開かずの間だったそこに入る許可が出たのだ。

心の奥にしまい込んだ母の思い出が詰まった部屋、嬉しさのあまり目頭が熱くなる。


「持っていけない大きな物もあるでしょう。この先、何かあるときに役に立つものはお金です。形見をどのように管理するかはご自分で考えて下さい」


セバスチャンは、資産を持っておけと言っている。万が一、私が父から見放された時の為に、お金は保険として必要だ。

価値がある物がどれほどあるのか分からないけれど、幼い頃のお母様は、キラキラした宝石をいつも身に着けていた。


「お嬢様は算術も得意で頭の良い令嬢に成長されました。なにせお嬢様を育てたのは私たちですから」


これは多分、10年間私を育ててくれた屋敷の使用人とセバスチャンが最後に与えてくれた私への慈悲だ。


私は受け取った部屋の鍵をぎゅっと握りしめた。

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