あこがれ(作:一ノ瀬 詩織)

日付:2025年8月4日

場所:文芸部部室

議題:『第一回・ジャパニーズ・ルバイヤート創作チャレンジ』発表会

出席者:一ノ瀬詩織(部長)、二階堂玲(副部長)、三田村宙、四方田萌


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一ノ瀬「さあ、皆の者! 約束の一週間後、発表会を始めるわよ! 七五調あるいは七七調のリズムに乗せた四行詩。この厳しくも美しい制約の中で、それぞれがどんな宇宙を紡ぎ出してきたのか。言い出しっぺであるこの私、一ノ瀬詩織が、まずは口火を切らせてもらうわ」


(一ノ瀬、丁寧に折り畳んだ一枚の原稿を手に、静かに立ち上がる。その表情はどこか緊張を帯びていた)


一ノ瀬「……では、詠みます。題名は、『あこがれ』」


(一ノ瀬は一つ深く息を吸い込むと、その場の空気を震わせるように、朗々とした声で詩を紡ぎ始めた)


***


あこがれ

作:一ノ瀬 詩織


遠くから見れば 巨大な太陽

手にしてみると ただのガラス玉

それまで歩いた 長い道のり

これらはみんな あこがれの仕業


***


(詩を読み終えた一ノ瀬は静かに原稿を胸に抱き、部員たちの反応を待った。部室は、しばし深い沈黙に包まれた。最初に口を開いたのは、四方田だった)


四方田「……ううっ。部長……。切ない……。切なすぎます……!」


一ノ瀬「四方田さん……?」


四方田「だって、これって、人のことですよね!? 遠くから見てる時は、キラキラしてて、太陽みたいに完璧に見えた『推し』の人が、いざ付き合ってみたり、親しくなってみたりしたら、案外、普通の人だった……みたいな! でも、その人に近づくために、自分磨きとか、めっちゃ頑張ってきたわけで……。その頑張ってきた時間も、がっかりした気持ちも、全部ひっくるめて、『あこがれ』のせいなんだって……。なんか、もう、エモすぎて、胸が、ぎゅってなります……!」


二階堂「なるほど。私は、もう少し違う感想を持ったわ」


(二階堂は、腕を組み、冷静な視線で一ノ瀬の詩を分析する)


二階堂「この詩の構造は、極めて論理的で、美しいわね。第一行で『理想(太陽)』を提示し、第二行で『現実(ガラス玉)』を突きつける。そして第三行で、そのギャップを生み出した『過程(長い道のり)』を描き、最後の第四行で、全ての原因を『あこがれ』という、ただ一つのキーワードに収束させる。無駄な言葉が、一文字もない。まるで、一つの事件の完璧な調書を読んでいるようだわ。人の、愚かで、しかし、どうしようもない性質を、冷徹なまでに描き切っている。見事な心理描写ね」


三田村「……私も、二人の解釈とは、少し違う観点を観測しました」


(三田村が、静かにヘッドホンを外し、真っ直ぐに一ノ瀬を見つめる)


三田村「この詩は、個人の恋愛感情や、心理描写に留まるものではない、もっと普遍的な、世界の法則そのものを描いているのではないでしょうか。『太陽』とは、私たちが真実や幸福、あるいは人生の意味と呼んでいる、あらゆる形而上学的な目標のメタファー。私たちは、その光に引かれて、長い道のりを歩む。しかし、いざそれを手にしたと思った瞬間、それはただの冷たい無価値な『ガラス玉』でしかなかったことに気づく。そして、最後の『あこがれの仕業』という一行。これは、諦念ではありません。あこがれを抱き、歩き、そして幻滅する、というこの一連のプロセスそのものが、人間という存在に初めから組み込まれた、抗うことのできないプログラムである、と。そう宣言しているように聞こえました」


(三者三様の、真摯な感想。一ノ瀬は驚いたように、しかし、どこか嬉しそうに、それぞれの顔を見回した)


一ノ瀬「……ありがとう、みんな。四方田さんは、この詩の中から、人と人との関係性の切ない物語を。玲は、人間の心理のどうしようもない構造を。そして、三田村さんは、人が生きることそのものに潜む普遍的な法則を。……それぞれが、私の詩の中に、私自身がそこまで意識していなかった、新しい光景を見出してくれたのね」


四方田「えへへ……。じゃあ、部長はどういう気持ちで、この詩を書いたんですか?」


一ノ瀬「私が描きたかったのは……そうね。夢、かしら。人が、何かを成し遂げたい、何かになりたいと願う、その気持ちそのものよ。そのあこがれは、時に私たちを信じられないほど遠い場所まで連れて行ってくれる。でも、いざその夢が叶ったと思った時、そこにあるのは想像していたような輝かしい世界ではないのかもしれない。……けれど、そのがっかりした気持ちや、虚しさだけが残るわけではないわ。たとえ手にしたものがただのガラス玉だったとしても、そこまで歩いてきた長い道のり、その時間だけは、紛れもない本物だから。その夢を追いかけることの、どうしようもない輝きと残酷さ。そして、その中にこそ存在する人生の愛おしさ。それを、この四行に込めてみたつもりよ」

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