変身(作:四方田 萌)

一ノ瀬「もう……何が何だか……。私の知っている文学が、どんどん遠くへ行ってしまうわ……」


二階堂「SF、ね。まあ、一つの解釈としてはアリなんでしょうけど……。次は、四方田さん。お願いだから、これ以上、私たちのSAN値を削らないでちょうだい」


四方田「はいはーい! お任せください! 不条理も、SFも、もう終わりです! 部長と副部長の荒んだ心を、私の『愛』で癒やしてみせますからね! 私が書いたのは、絶望から始まる、最高のハッピーエンドです!」


(四方田、スマホを両手でぎゅっと握りしめ、これが正義とばかりに、熱の籠もった声で朗読を始めた)


***


変身

作:四方田 萌


 ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で一匹の巨大な飛蝗(バッタ)に変ってしまっているのに気づいた。

 薄緑色の、硬い外骨格。絶えず何かを探るように動く、長い二本の触角。そして、背中には、不気味に折り畳まれた四枚の翅。グレゴールは、パニックに陥り、その新しい身体をめちゃくちゃに動かした。だが、その動きは、彼の意図とは全く異なっていた。強靭な後ろ脚が、ベッドのスプリングを蹴り、彼の身体は、天井に叩きつけられ、床に落下した。

 家族の反応は、悲劇的だった。母親は失神し、父親は恐怖のあまり、リンゴを投げつけて彼を追い払おうとした。妹のグレーテだけが、涙を流しながらも、腐った野菜を部屋の隅に置いてくれたが、その瞳には、かつての兄への親愛の色は、もはや欠片も残ってはいなかった。

 グレゴールは、孤独だった。彼は、自分が何のためにこんな姿になったのか、理解できなかった。ただ、家族に恐怖と負担を与えるだけの、醜いバッタ。彼は、来る日も来る日も、部屋の隅で、絶望に身を浸していた。


 そんなある日、彼の部屋のドアが、そっと開かれた。そこに立っていたのは、かつての上司、支配人のクラウスだった。彼は、グレゴールが変身したあの日、驚きのあまり逃げ帰ったはずだった。

「……やはり、本当だったのだな。グレゴール」

 クラウスは、グレゴールの姿を見ても、少しも怯まなかった。その真摯な瞳は、ただ、悲しそうに、グレゴールを見つめていた。

「支配人……なぜ」

 グレゴールが発した声は、ギリギリという、虫の鳴くような音にしか聞こえなかった。だが、クラウスは、なぜかその言葉を理解したようだった。

「君を、助けに来た。そして、謝罪するために」

 クラウスは、驚くべきことを語り始めた。彼が所属していた会社は、表向きはただの商社だが、その裏では、非合法な生体実験を繰り返す、秘密結社『S.H.O.C.K.E.R.』の下部組織だったというのだ。そして、グレゴールは、彼らが開発した改造人間技術の、最初の、そして失敗した被験体だったのだ、と。

「君を、こんな姿にしたのは、私の上司たちだ。私は、組織のやり方に反発し、こうして、君を救うために戻ってきた」

 グレゴールの、絶望に閉ざされていた心に、初めて光が差した。この人は、俺を見捨てなかった。俺を、化け物としてではなく、一人の人間として、見てくれている。


 その日から、グレゴールとクラウスの、奇妙な共同生活が始まった。クラウスは、家族に隠れて、夜な夜なグレゴールの部屋を訪れ、彼に組織のこと、そして、彼に秘められた力のことを語って聞かせた。グレゴールのバッタの身体は、ただの醜い抜け殻ではない。それは、常人を超えた跳躍力と、強靭な外骨格を持つ、驚異的な戦闘兵器としてのポテンシャルを秘めていたのだ。

 しかし、そんな二人の密会も、長くは続かなかった。

 ザムザ家に、三人の紳士が、下宿人としてやって来たのだ。彼らは、常に黒いスーツに身を包み、冷たい目で、グレゴールの部屋を監視していた。彼らこそ、『S.H.O.C.K.E.R.』が差し向けた、追っ手だったのである。

 ある嵐の夜、ついに彼らは、その本性を現した。

「実験体G、我々と共に来てもらおう」

 三人の紳士は、人間とは思えぬ素早い動きで、グレゴールの部屋に押し入ってきた。クラウスは、グレゴールを庇うように、その前に立ちはだかった。

「させるか! 彼は、もうお前たちのオモチャじゃない!」

「ふん、裏切り者が。ならば、お前から消すまでだ」

 紳士の一人が、その姿を変貌させた。彼の身体は膨れ上がり、背中から巨大な翼が生え、鋭い牙を持つ、蝙蝠(こうもり)の怪人となったのだ。

 絶体絶命のピンチ。蝙蝠怪人の爪が、クラウスに襲いかかった、その瞬間。

 グレゴールの中で、何かが、弾けた。

 クラウスさんを、傷つけさせてなるものか! この、俺の、たった一人の理解者を!

 彼の身体が、緑色の光に包まれた。外骨格が、筋肉が、悲鳴を上げて、再構築されていく。彼は、もはやただのバッタではなかった。人間のしなやかさと、バッタの強靭さを兼ね備えた、新たなる生命体――バッタ人間へと、その姿を変えたのだ。

「な、何!?」

「実験体Gが、第二形態へ移行しただと!?」

 驚く怪人たちを尻目に、グレゴールは、クラウスを抱きかかえ、その驚異的な跳躍力で、窓を突き破り、嵐の夜空へと逃げ出した。


 二人は、街外れの廃工場に身を隠した。クラウスは、傷ついた腕を押さえながら、グレゴールの、その新しい姿を見つめた。

「……すごいぞ、グレゴール。君は、自分の力で、運命を乗り越えたんだ」

 グレゴールは、生まれて初めて、自分のこの忌まわしい身体に、誇らしさを感じた。この力は、彼を苦しめる呪いではない。大切な人を守るための、祝福なのだ、と。

 だが、休息の時は、長くは続かなかった。廃工場の入り口を破壊し、あの三人の怪人――蝙蝠男、蜘蛛男、そして蠍男――が、姿を現した。

「もう、逃げ場はないぞ、二人とも」

 三体の怪人に囲まれ、もはや、逃げ場はない。クラウスは、覚悟を決めたように、グレゴールの前に立った。

「……グレゴール。君だけでも、逃げるんだ」

「嫌だ!」

 グレゴールは、はっきりと、人間の言葉で叫んだ。

「あなたを置いて、逃げることなどできない! 俺は、あなたを守る! そのために、この力を授かったのだから!」

 彼の、決意の言葉に、クラウスの瞳が潤んだ。

「……グレゴール……」

「見ていてください、クラウスさん。俺の……!」

 グレゴールは、天に向かって、高らかに叫んだ。彼の魂の、全ての叫びを込めて。


「――変身ッ!!」


 その言葉をトリガーに、彼の身体から、凄まじいエネルギーの嵐が吹き荒れた。緑色の光が、彼を完全に包み込み、その姿を、さらなる高みへと昇華させていく。

 光がおさまった時、そこに立っていたのは、バッタ人間ではなかった。

 流線型の、深緑の仮面と、強化スーツ。風を受けてなびく、真紅のマフラー。

 それは、絶望を希望に変える、正義の戦士の姿だった。

「な、何だ、あいつは……!」

 狼狽する怪人たちに、彼は、静かに名乗りを上げた。

「俺は、グレゴール・ザムザ。いや――愛と正義の戦士、『仮面ライダーザムザ』だ!」

 その後の戦いは、一方的だった。グレゴールの、力強く、洗練された格闘術の前に、三体の怪人たちは、なすすべもなく打ち破られ、爆発四散した。


 戦いを終え、グレゴールは、クラウスの元へと歩み寄った。彼は、その仮面を外し、優しい笑顔を見せる。それは、紛れもない、人間だった頃のグレゴールの笑顔だった。

「……終わったんですね」

「ああ。だが、戦いは、まだ始まったばかりだ。世界には、まだ多くの『S.H.O.C.K.E.R.』の怪人たちが、人々を苦しめている」

 クラウスは、そっと、グレゴールの手を握った。

「……行こう、グレゴール。二人で。世界の平和を守るために」

「はい、クラウスさん!」

 こうして、一人の孤独な青年は、忌まわしき運命を乗り越え、愛する人と共に、正義のために戦うヒーローとなった。

 ザムザ一家は、後に、テレビのニュースで街を救うヒーローの活躍を知り、それが自分たちの息子であり、兄であったことを、誇りに思ったという。


***


(四方田、朗読を終え、恍惚とした表情でスマホを胸に抱きしめている。やりきった、という満足感に満ち溢れていた)


四方田「……ど、どうでしたか!? これこそが、真の『変身』! 孤独な青年が、愛を知り、ヒーローになる物語! 最高のハッピーエンドだと思いませんか!?」


(自信満々に三人の顔を見るが、部室は、これまでで最も冷たく、そして生暖かい、なんとも言えない沈黙に包まれていた)


一ノ瀬「…………カフカが……。仮面……ライダー……に……。そして、あの、どうしようもない閉塞感が……勧善懲悪の、ヒーローストーリーに……。もう、何と言っていいのか、わからないわ……。でも、一応、ハッピーエンドでは……ある、のかしら……」


二階堂「……突っ込みたいところが多すぎて、逆にどこから指摘すればいいのか分からないわ。秘密結社の雑な設定、ご都合主義なパワーアップ、そして、あまりに陳腐な悪役たち……。文学作品の批評というより、特撮番組の感想を述べる方が、まだ有意義な気がしてきたわね……」


四方田「えー、いいじゃないですか! ロマンがあるじゃないですか! しかも私、ちゃんと作中で『変身』って言わせて、タイトル回収もバッチリ決めたんですよ! 完璧じゃないですか!?」


(四方田が、得意満面に胸を張った、その時だった。今まで静かだった三田村が、すっとヘッドホンを外し、静かに呟いた)


三田村「……四方田さんの解釈は、逆説的に、最も、本質を突いている可能性があります」


一ノ瀬&二階堂「「ええっ!?」」


四方田「えへへ、でっしょー、宙ちゃん!?」


三田村「……はい。『仮面ライダー』の原作者である石ノ森章太郎は、カフカを含む海外文学の熱心な読者でした。そのため、研究者の間では、『改造手術によって、本人の意に反してバッタの能力を持つ異形の存在となり、そのことで苦悩するヒーロー』という仮面ライダーの初期設定は、カフカの『変身』の主人公、グレゴール・ザムザへのオマージュである、仮面ライダーの主人公が『変身』と叫ぶのも、カフカの『変身』に由来する、という説が有力です」


(部室は、完全な静寂に包まれた。一ノ瀬と二階堂は、信じられないという顔で、固まっている)


四方田「………………え」


(数秒の沈黙の後、四方田は、わなわなと震え始めた。そして、その顔を、ぱあっと、最大級に輝かせた)


四方田「て、ててて、ていうことは……!? 私の、この、グレゴールくんが仮面ライダーになるっていう二次創作は……! 二次創作じゃなくて、もはや、公式の解釈……原作への、最大級のリスペクトだったってこと……!? ……私って……もしかして……天才……!?」


(有頂天になり、その場で喜びの舞を踊り始める四方田。それを見て、一ノ瀬と二階堂は、ただ、力なく、天を仰ぐことしかできなかった)

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