山月記(作:四方田 萌)

一ノ瀬「さあ、いよいよ大トリよ、四方田さん! 呪いだの、トリックだの、寄生虫だの、もうたくさん! お願いだから、もっとこう……心のある、人間らしいお話にしてちょうだいね!」


四方田「は、はいっ! もちろんです! 私の解釈は、呪いでも病気でもトリックでもSFでもありません! 李徴が虎になったのは……たった一つの、純粋で、切実な理由からです! では、発表します! 題して、『山月記・真ハッピーエンドルート』!」


(四方田、スマホを両手で握りしめ、熱っぽく、そして少しうわずった声で、朗読を始めた)


---


「その声は、我が友、李徴氏ではないか?」

 袁傪が呼びかけると、草むらの奥から、息を呑む気配がした。やがて、絞り出すような、それでいてどこか諦めたような声が返ってきた。

「……ああ、袁傪。なぜ、おぬしなのだ。誰よりも、おぬしにだけは、この姿を見られたくなかった……」

 その声には、深い悲しみと、そして、袁傪しか聞き取ることのできない、微かな喜びが滲んでいた。

「李徴、生きていたのだな! 良かった……! だが、なぜ姿を見せぬ。一体、何があったのだ」

「……俺は、虎になったのだよ」

 声は、静かにそう言った。

「だが、おぬしらが考えるような、獣になったわけではない。俺は、自ら『虎』になることを選んだのだ。……袁傪、おぬしへの、この想いを隠し通すために」

「な……!?」

 袁傪は、言葉を失った。李徴は、堰を切ったように、長年の苦悩を吐露し始めた。

「俺が詩人として名を成そうとしたのも、役人として出世を目指したのも、全ては、おぬしの隣に、対等に立つためだった。友として、ライバルとして……。だが、おぬしへの想いは、いつしか友情を超え、俺の心を焼き尽くす炎となった。男が男を愛おしく思うなど、この世では許されぬ罪だ。この想いを悟られれば、輝かしい道を歩むおぬしの未来に、拭えぬ汚点を残してしまう……!」

 彼の声は、悲痛な叫びとなっていた。

「だから、俺は決めたのだ! 人間・李徴としておぬしの隣にいることが叶わぬのなら、人ならざる『獣』となって、影からおぬしを守り続けよう、と! 俺は、おぬしのための『虎』になったのだ、袁傪!」

 それが、真相だった。彼の狂気も失踪も、全ては、友への一途な愛ゆえの、あまりに痛ましい自己犠牲であったのだ。

「……馬鹿者め」

 袁傪は、震える声で呟いた。

「おぬしは、大馬鹿者だ、李徴……!」

 彼は、部下たちの制止を振り切り、ためらうことなく草むらの中へと分け入った。そこにいたのは、虎などではなかった。ただ、旅の汚れで髪も服もぼろぼろになった、痩せこけた李徴が、驚きに目を見開いて座り込んでいるだけであった。

「……な、ぜ、ここへ来た。来るなと言ったはずだ……!」

「おぬしが獣になったというのなら、俺も獣になろう。おぬしが道を外れたというのなら、俺も喜んで、その道を共に歩もう。それの何が悪い!」

 袁傪は、李徴の腕を掴み、無理やり立たせた。そして、その痩せた体を、力いっぱい抱きしめた。

「……袁傪……?」

「気づいていないとでも思ったか、この朴念仁が! おぬしが俺に向ける、その焦がれるような視線に、俺が気づかぬとでも思ったか! その想いが、おぬしだけのものであると、なぜ思い込んだ!」

「え……」

「俺も、お前と同じだ、李徴! ずっと、ずっとお前のことを……!」

 言葉は、続かなかった。袁傪は、驚きに目を見開く李徴の唇を、激しく塞いだ。それは、長年、互いに心の奥底に押し殺してきた想いの全てをぶつけ合うような、荒々しく、そしてどうしようもなく優しい口づけだった。

「ん……ぅ……」

 涙で滲む視界の中、李徴もまた、おずおずと、しかし確かに、その口づけに応えた。

 しばらくして唇が離れると、二人は、見つめ合ったまま、その場に崩れ落ちた。

「……俺は、もう都には戻れぬ。死んだ人間なのだから」

「ならば、俺も都を捨てよう。大臣の地位も、名誉も、お前がいなければ何の意味もない」

「……後悔、しないか」

「お前を失うことこそが、俺の生涯最大の後悔だ」

 袁傪は、そう言うと、再び李徴を強く抱きしめた。

「……頼みがある、袁傪」

 李徴は、彼の腕の中で、幸せそうに囁いた。

「ここに、おぬしのために書き溜めた詩がある。……受け取っては、くれまいか」

 それは、彼の生涯をかけた、壮大な恋文であった。

 袁傪は、部下たちに「私は、人食い虎に襲われ、命からがら逃げてきた。友の李徴は、私を庇って虎の餌食となった。都へ戻り、そう報告せよ」と命じた。そして、彼は、李徴と共に、二人だけの安住の地を求め、山の奥深くへと消えていった。

 めでたし、めでたし。


---


(四方田、朗読を終え、感無量といった表情でスマホを握りしめている。その目には、うっすらと涙が浮かんでいた)


四方田「……どう、ですか……!? これこそが、李徴が本当に求めていた、幸せの形……! 虎への変身は、愛ゆえの比喩! 全ては、この尊いハッピーエンドのための、壮大な前フリだったんですよ!」


(しかし、部室は、冷ややかな沈黙に支配されていた。一ノ瀬は、顔を真っ赤にして、わなわなと震えている)


一ノ瀬「…………あなたは……あなたは……! 日本文学史に輝く、あの孤高の魂の軌跡、『山月記』を……! いつの間に、こんな……こんな、ありきたりな恋愛物語にすり替えたのよぉぉぉぉっ!!」


四方田「えええっ!? ありきたりじゃないです! 運命の二人なんです!」


二階堂「……仮説は、変身そのものが虚偽であり、全ては同性愛関係にある二人の駆け落ちのための偽装工作だった、と。論理的な破綻は少ないですね。人間の行動原理としては、あり得ない話ではない。ですが、原作のテーマである『自意識の問題』や『芸術家の苦悩』を、恋愛という一つの要素に全て矮小化してしまっている。原作に対する冒涜という点では、部長の意見に同意せざるを得ませんね」


三田村「……観測完了。情報の大部分は、過剰な感情表現と、生物学的には説明のつかない親密な行動の記述に占められていました。これは『物語』ではなく、『特定カップリングの二次創作におけるプレゼンテーション資料』です。しかし、この情報パターンが、特定の受容体を持つ知的生命体に対し、極めて強い精神作用――いわゆる『萌え』を誘発させるであろうことは、理解しました」


四方田「そうなんです! 宙ちゃん、わかってくれる!?」


一ノ瀬「わからなくていいのよ! ああ……私たちの『山月記チャレンジ』は、一体どこへ行ってしまったのかしら……」


(机に突っ伏して、天を仰ぐ一ノ瀬だった)


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議事録担当・書記(四方田)追記:

というわけで、第一回チキチキ・山月記リライトチャレンジ、これにて閉幕! 私の解釈が、一番愛があって、一番ハッピーエンドだったと思うんだけどなー。部長たちには分かってもらえなかったみたい(泣)。でも、楽しかったからオールオッケー! 次の議題も、楽しみだなっ!

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