第6話 過労死へ


 晶が目が覚めると自宅のベッドの上だった。最後に覚えているのは職場にいるところまで。


 あの時ルナに顔色が悪いと指摘されて帰ろうと言われた。まだ仕事が残ってるからと一緒にオフィスに行き、資料を仕分けしているときにルナがうるさくて晶は注意した。

 

 その後そのまま会社で倒れたのか。


 ルナが家まで運んできてくれたのだろうか。

 

 晶はあやふやな記憶を呼び起こして考えるが、何がどうなったのか分からない。


 時間を確認するためにベッドサイドに置いてある時計を見ようと、晶が身をよじった時、体に重みを感じる。

 

 ベッドサイドまで手を伸ばしたいが届かない。おかしいと思い、自分の体を確認するように布団をはいだ。


 上半身裸で晶を抱きしめて眠っているルナがいた。


 思わず悲鳴を上げる晶。


 その悲鳴で目を覚ますルナ。


「晶!?どうした!?」


 晶の悲鳴に気づいて駆けつけた凛太郎の声はオカマではなく男の声そのものだった。焦りを浮かべて勢いよく部屋に入ってきた凛太郎は晶の横にくっつきながら瞼を擦っているルナを見つけて鬼の形相になる。


「貴様やはり晶のストーカーかぁ!?」


「あ、凛ちゃんおかえり。もう仕事終わったの?晶は具合大丈夫?」


 怒られていることを微塵も感じさせない受け答えをするルナ。むしろ受け答えていない。


「ちょっとアンタ!晶から離れなさい!」


 凛太郎はいつものオカマモードに戻ってルナを晶から引き剥がす。ルナは怒られながら渋々服を着て床に正座した。


 晶はようやく自由になった体を捩って時間を確認する。

 

 16:40

 

 あと20分で終業だ。今更職場に向かっても到着するころには終業に間に合わない。

(また残業するのか…)

 うんざりしながら、晶は壁にかかっている先ほど来ていたであろうスーツを手に取る。


 その様子を見てルナが不思議そうに尋ねる。


「…また仕事に行くの?」


「そう。終わらせなきゃいけない仕事が山積みなの」


「今日くらい休んだら?」


「せっかく昨日深夜まで残業して片付けたのに、今休んだら永遠に仕事が片付かない」


 晶はそう言って部屋を出ようとする。凛太郎はそんな晶を腕ぐみをして見ているだけ。何か言いたそうではあるが、何も言わない。彼はいつもそうだ。晶のすることは否定しない。


 ルナは違った。ドアの前に来て両手を広げて通せんぼ。


「ちょっとルナ、今はふざけてる場合じゃないから」


「ふざけてるのはどっちだよ」


 初めて聞くルナの低い声。柔らかく落ち着いた声しか聞いたことがない晶は驚いて固まる。ルナは晶が驚いていることを気にもせず、低く冷たい声で畳み掛ける。


「このままだと、晶、死ぬよ?過労死ってやつ?日本人の美徳とか言う、命を粗末にする愚か者の所業」


 初めてルナに恐怖を感じながらも晶も言い返す。


「…私が仕事をしないと、困る人がたくさんいるの……私がやらないと」


「あんなクズどもを助けて何になる?」


 ルナがそんな言葉を使うとは思わず、目の前にいる人間が晶の知らない人間のように見えて未知の恐怖が足元から這い上がってくる。身動きが取れずに金縛のようになるが、晶は全身に力を入れて恐怖に立ち向かおうとする。両手の拳を握ってなんとか自分を鼓舞するも、感情を一切消したルナの表情を見るのが怖くて足元を見ながら晶は口を開いた。


「私は…人権派の弁護士よ。弱者を救うために生きてるの」


 相手が誰であっても晶は頑として譲らない。これは晶が弁護士を目指した大きい理由である。

 

 いつも富裕層や権力者に抵抗する間もなく踏み躙られる社会的弱者。なす術もなく、諦めるしかない。チャンスさえも与えられない。生まれつきの弱者。そんな人を助けたくて弁護士を目指した。


 人生の大義を掲げる晶をルナは冷たい眼差しで見つめる。

 

 晶はルナが怖くなった。この世のものとは思えない冷酷さを感じたからだ。


 以前、麻薬カルテルが摘発された際に、強制労働させられた下っ端の人たちを検察から弁護士たことがある。下っ端は逆らう術はなく、家族を人質に取られて麻薬密売に関わるしかなかった、と。拒めば家族もろとも殺されるので、やりたくなくてもやるしかなかった、と。

 情状酌量の余地あり。

 

 晶のおかげでその者たちは3年の刑で済んだ。だが、カルテルのボスと幹部たちはそうはいかなかった。こちらはルナが担当した案件ではないが、裁判所に出向いた時に警務官たちに付き添われながら法廷へ入る姿を見た。その時、カルテルのボスが晶を捉えたのだ。

 

 “お前を殺してやる“という目で。

 

 恐ろしい目をしていた。恐怖に陥ったが、一緒にいたジェイクが前に立ち入って晶をカルテルのボスから隠してくれた。

 

 “あいつらの仲間は関係者含め全員まとめて豚箱行きだ。どんなに腕のいい弁護士でもあれだけ証拠が揃っていたら当分出てこれない。報復はない。大丈夫だ“

 そう言ってジェイクは晶を落ち着かせてくれた。


 ジェイクの言う通り、あれから5年は経ったが今のところ報復はない。完全には安心できないが、そこまで憂う必要はなかった。


 今回のルナのあの目に対抗する術が晶にはない。凛太郎に縋れば、おそらくルナをつまみ出してくれるだろう。だが晶の我儘に凛太郎を巻き込むわけにはいかない。

ただでさえ、探偵の仕事で忙しいと言うのに。凛太郎には迷惑をかけたくないと晶は思った。


 晶は逃げるようにルナの横をお通り過ぎて部屋を出る。シャワーを浴びてすぐに家を出た。その頃にはルナは家から姿を消していた。


 会社に戻るとオフィスはまだ明かりがついていた。夕暮れ始めてから1時間は経っているだろう。近くのコンビニで夕食を買ってそのままオフィスへと入ると、退勤するジェイクに会った。


「戻ってきたの!?」


「仕事が溜まってるから…」


「そうだけど、今日はもう休んだ方がいいんじゃない?まだ顔色悪いよ?連日残業でしょ?」


「さっき少し寝てきたから大丈夫」


 ジェイクは心配したが、残業するかどうかは個人の判断だ。この事務所は完全に個人裁量。他人が仕事の裁量に口を出すことはほとんどない。優秀な弁護士が自分のやり方で仕事をしているなら尚更。ジェイクは心配だったが、晶を止めることはできなかった。


 だがジェイクは翌朝後悔する。この時、彼女を止めて病院まで運んでやればよかった、と。


 


 翌朝、晶はオフィスで冷たくなっていた。

 

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