第56話 きみが悲劇と呼ぶこの恋は

12月24日。空は、鉛色に重く垂れ込めていた。


わたしたちの目の前で、それは起こった。

青信号を渡る、小さな男の子。しかし、信号を無視した乗用車が、猛スピードで彼に迫っていく。

陽菜が死んだ、あの日と全く同じ状況。


「危ない…!」

体が、勝手に動く。わたしが飛び出す。それが、この世界の筋書き《シナリオ》に刻まれた、自己犠牲の呪いだから。


*


「危ない…!」

陽向さんが飛び出すのを見て、全てを理解した。

ああ、これか。これが、創造主である深見さんが、どうしても避けられなかった陽菜ちゃんの、陽向さんの死か。優しさゆえの、どうしようもない自己犠牲の連鎖。


でも、僕たちは、違う。

この300日間、俺たちが探してきた答えは見つからなかった。でも、今ならわかる。


僕は、彼女が一人で犠牲になる未来なんて、絶対に選ばない。


少年を車の進路外へ突き飛ばした陽向さん。その彼女の背中を、俺はさらに、ありったけの力で突き飛ばした。


よかった。勢いよく吹っ飛んで、二人とも、完全に危険な領域から離れた。

これなら、少年も、陽向さんも、無事だ。


直後、視界が赤と黒に染まり、鉄の塊がぶつかる凄まじい衝撃と共に、僕の意識は消えていった。


その最後の瞬間に感じたのは、恐怖でも、後悔でもない。

ただ、愛しい人を守れたという、どうしようもないほどの、満足感だった。


*


誰かに突き飛ばされたあと、背後で、鼓膜を突き破るようなブレーキ音と衝突音が響いた。


恐る恐る、振り返る。


そこに倒れていたのは、赤い色に染まる、朔くんだった。

「朔くん…!!!」


転がった彼の身体に駆け寄る。頭が、真っ白になる。

「朔くん!しっかりして!!朔くん!!!」


わたしの代わりに、朔くんが。

絶望に、心が呑まれそうだ。わたしと彼の物語を、ハッピーエンドにするって、誓ったのに。


彼の最後の顔は、わたしを守れたことに、満足しているように、見えた。

そうだ、栞の狙いは、絶望。でも、ここには、もう絶望は存在しない。わたしが絶望していてはいけないのだ。


誰かが救急車を呼んでくれたのか、遠くからサイレンの音が聞こえる。


その音を最後に、わたしの意識も、ぷつりと途切れた。


*


目が覚めたのは、消毒液の匂いがする、白い部屋だった。


今日は、何日…?

病室の卓上カレンダーが、目に入る。


『12月25日』

X-Dayを、越したんだ。


「陽向さんは!?」

ちょうどその時、病室の扉が開いた。


「朔くん…!!」

そこに立っていたのは、安堵と喜びに顔をくしゃくしゃにした、陽向さんだった。そう、春の陽だまりのような、彼女の笑顔。


「朔くん、目が覚めたんだね…。よかった…っ」

泣きながら、彼女が僕の手にすがりつく。


彼女はショックで意識を失っただけで、怪我はないらしい。僕は、幸いにも全治6ヶ月の骨折で済んだそうだ。

ああ、僕たちは、勝ったんだ。栞に、この世界の不条理な運命に。



*


3月。

僕は、まだ痛む足を引きずりながら、卒業式に来ていた。


受験どころではなかったので、春からは浪人生だ。陽向さんは、いつの間に勉強していたのか、地元の難関大学に合格したらしい。流石だ。


「彼女を助けて入院してたんだって?かっこいいじゃんかよ」

拓哉に肩を叩かれる。

「おかげで大学受験どころじゃなかったよ。お前、春から大学生だろ。勉強教えろよ」

軽口を叩きながら、体育館へと向かう。


卒業式が終わり、校門の前で、友人たちに囲まれて笑っている少女を見つける。


僕は、松葉杖を拓哉に預け、少しだけ無理をして、自分の足で、彼女の元へ歩いた。


「美桜!」

「朔くん!」


彼女が、人混みを抜けて、僕の胸に飛び込んでくる。


校門の前で、卒業証書と共に、彼女と写真を撮った。

僕の足には、まだ痛々しいギプスが巻かれている。

でも、これは、僕たちが二人で掴み取った、勝利の勲章だ。


僕たちは、未来へ歩き出す。もう、誰にも邪魔されない、僕たちだけの未来へ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る