第22話 箱庭の少女と、新たな攪乱要因
「観測者」という、巨大で、しかし実体のない敵の存在を仮定したことで、僕たちの戦略は大きくその舵を切ることになった。
これまでは、X-Dayに起きるかもしれない「災害」にどう備えるか、という話だった。
でも、今は違う。
僕たちの本当の敵は、僕を絶望させようと画策する、明確な意志そのものだ。
「俺を絶望させるのが目的なら、やり方はいくらでもあるはずだ」
図書室の机で、僕はノートに思考を書き出しながら言った。
「天災みたいな派手なものだけじゃない。もっと狡猾で、個人的な方法……例えば、人間関係を壊しにきたり、誰かの信頼を裏切るような出来事を起こしたり」
拓也の事故が、脳裏をよぎる。あれも、僕と拓也の友情を引き裂き、僕を孤立させるための、観測者の仕掛けだったのかもしれない。そう考えると、すべての辻褄が合う。
「どうにかして、その観測者の尻尾を掴めないかな」
「でも、相手が本当に高次元の存在だとしたら、わたしたちにそれを知る術なんて……」
陽向さんが不安そうに言う。
その時、彼女ははっとしたように顔を上げた。
「待って。そういえば……6回目のループの時、一度だけ、妙なことがあったの」
「妙なこと?」
「うん。わたしが一人で世界の終わりの原因を調べて、完全に行き詰まっていた時。不自然なくらいタイミングよく、ある人が現れて、わたしにヒントをくれたの。『原因は、外ではなく、もっとあなたの内側……近しい人間の心の中にあるのかもしれない』って」
その時は、ただの親切な人だと思っていた、と彼女は言う。
でも、今思えば、あまりに出来すぎていた。まるで、観測者がシナリオに行き詰まった主人公に、次の展開を与えるために用意した、NPC《ノンプレイヤーキャラクター》のように。
「その人、どんな人だったんだ?」
「年上の、女の大学院生だった。顔はもう、よく覚えてないけど……」
陽向さんが記憶を辿るように目を伏せた、その時だった。
「――先輩たち、いつも熱心ですね」
静かな声が、僕たちの思考を中断させた。
顔を上げると、そこに一人の女子生徒が立っていた。見慣れない顔だ。おそらく1年生だろう。肩まで切りそろえられた黒髪に、大きな黒縁の眼鏡。物静かで、どこかミステリアスな雰囲気を漂わせている。その手には、いつも分厚いハードカバーの本が抱えられていた。
確か、図書委員の後輩で……名前は、天野さん、だったか。
「何か、面白いことでも調べてるんですか?」
彼女は、ごく自然な、後輩らしい人懐っこい笑顔でそう言った。
でも、その眼鏡の奥の瞳は、笑っていなかった。すべてを見透かすような、年齢にそぐわない、底の知れない光を宿していた。
「あ、ああ……いや、ちょっと調べものを、してるだけだよ」
僕は、動揺を悟られまいと、当たり障りのない返事をする。
天野さん――
彼女は、ふっと、息だけで笑った。
「『高次元存在による観測』……ですか。面白いテーマですね。まるで、誰かに操られている箱庭の世界みたいで」
心臓が、どくんと大きく跳ねた。僕と陽向さんは、言葉を失って顔を見合わせる。
偶然か? 僕たちの会話が聞こえていたのか?
いや、それにしては、タイミングが良すぎる。
「あなたも……こういう話、興味があるの?」
陽向さんが、警戒を滲ませた声で尋ねる。
「ええ、少しだけ」
天野栞はそう言うと、近くの書架から、すっと一冊の本を抜き出して、僕たちに示してみせた。
そのタイトルは、『箱庭の神と思われた男』。
聞いたことのない作家の、架空の小説のようだった。
「この物語みたいに、もしこの世界が、本当に誰かの実験場だとしたら」
彼女は、僕たちの目を、一人ずつ、ゆっくりと見つめながら続けた。
「その神様を、出し抜いてみたいとは思いませんか?」
その言葉は、もはや問いかけではなかった。
挑戦状か、あるいは、仲間への誘いか。
僕たちが何も答えられずにいると、彼女は「お邪魔しました」と深く一礼し、静かな足取りでカウンターの方へと戻っていった。
後に残されたのは、圧倒的な沈黙と、僕たちの混乱だけだった。
「……今の、何?」
僕が呆然と呟くと、陽向さんが、震える声で言った。
「6回目のループで、わたしにアドバイスをしてきた大学院生……ううん、顔は全然違う。でも、あの時の雰囲気と、少しだけ……似てる気がする」
天野栞。
彼女は、何者なんだ?
僕たちの状況を知っていて、接触してきたのか?
観測者の手先? それとも、僕たちと同じように、観測者に抗おうとしている、第三の勢力?
敵か、味方か。
これまで、僕たちの世界の登場人物は、僕と陽向さんの二人だけだった。
でも、今、明らかに、新しいプレイヤーがこの“箱庭”の盤上に現れた。
観測者という、姿の見えない巨大な敵。
そして、天野栞という、実体を持ちながらも、その意図が全く読めない、新たな攪乱要因。
僕たちの戦いは、新たな局面を迎えようとしていた。
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