ヘイトクライム/電脳認知戦

「たまに会ってみりゃ……その格好は何だ?」

ハイレグのレオタードに白のウサギ耳を付けた私は担当官に向かって返答しました。

「これは一種の陽動作戦です」

「お前の趣味なんじゃ――まあ、いいや」

ネナ・エモニエ保安官に報告に上がりました。真紅スカーレットの髪をポニーテイルにまとめチョコレート色の肌をした彼女は、いわゆる核シェルターVault生まれです。先天的放射線障害により生まれつき両腕を欠いており、それを補填するように筋電義手を貸与されています。保安官の星型のバッジを胸に光らせ、青というよりも紺色の制服を身に纏っています。

 核戦争アルマゲドンによって世界が放射能物質で汚染された昨今、遺伝子異常は珍しいものではなくなり人々はその罪・負債シュルトのために労働しているとも言えるでしょう。胎児の段階で遺伝子治療やゲノム編集すれば良いのではという声もありますが……遺伝子やその表現型が自己同一性の連続性を保証する昨今、まあ色々と考え方はあるようです。肌や髪や眼の色を変更できるデザイナー・ベビーもそうですね。「贈与」と「毒」とはどちらも同じ【ギフト】の単語で表現されます。

「彼らはトランスフォーブの過激派テロリストだった。まあ氷山の一角に過ぎないが……反DEIの一派だな。多様性思想は原理的にいって排除的な考え方を包括的には扱えない。……少なくとも、統治機構に対する内乱予備罪について、これを看過することは出来ない」

私は疑問が生じましたのでネナさまに質問しました。

「人間は生殖セックスを人工子宮に外部化することで公共空間から性の二項対立を排除し、自由な性役割ジェンダーロールを手に入れたのではないのですか?」

「基本的にはな。しかし一部では企業によって子の生産手段が独占されているという声もある。都市部と郊外バンリューエリアの対立も、結局はそこに起因している。彼らは企業による生産手段の専有に反対プロテストしてるんだ」

郊外や棄民地区では複婚制ポリガミーが採用されています。都市部に対する子の生産に追いつくためです。郊外バンリューから棄民スラム地区にかけて、そこでは原始的生殖行為の文化がまだ失われておりません。また企業が管理する人工子宮マトリクスシステムの代わりに、死体や動物の子宮が再利用リサイクルされたりもします。

「つまり、自由に子供を産む権利を取り戻そうとしているのですか? 人ではなく神の創った旧来の男女システムに回顧趣味レトロスペクティブすることによって」

生殖セックスは禁止されている。これは人口の管理と社会秩序の維持のためだ。気候変動に伴う食糧問題に加え、肉体的な性差の均衡化、または多様性の確保のために、我々は生殖を人工子宮に外部化することを決定した。一般意志システムによってな」

「ルソーの言葉とされる【自然に帰れ】の誤読いえ脱構築ですか」

ちなみにルソーは全然そんなことを言っていないという説もありますが。

「どちらでも同じことだ。人間は自分のリクツを強化するようにしか言葉を受容しないんだ」

加速された現代社会において地方格差問題を解消できなかった議会民主制は廃止され、広く一般意志を汲み取る政治システムが構築されました。個性や各々の事情は特殊意志と呼ばれ、それらはそれぞれ異なった方向性を持ったベクトルVectorです。それを信号音インターネット蜜蜂ヴェクターたちが伝達し(まさに『ミツバチのささやき』ですね)、総和たる全体意志から相殺し合う方向性宗教対立の過不足分を除き、そうしてこれらを清算リクヮデイションすると、我々の向かう意志の方向性が演繹されます。これが一般意志Volonté généraleと呼ばれるものであり、ゆえにという複数形が向かうべき方向とは、計算可能とされています。

 いえ……大局的には、加速された気候変動が議会制民主主義を崩壊させたと言ってもいいでしょう。

 人は暑いと待てなくなるのです。湿度が高ければ食べ物も保存できず腐ります。

 電気式冷蔵庫の発明以前、19世紀には世界的な氷貿易が栄えたほどです。

 気候変動は食糧危機にも直結します……動植物の生態系も破壊するからです。

 そのため、より効率的に迅速に【民意】を反映させるシステムが導入されました。

 結局のところ、議会制民主主義は冗長かつ無駄が多く、そもそも代表者の選択肢が存在しない辺境と中央との対立を決定的なものとし、最終的には権威主義や独裁制と同じものに成り代わったのですから。

 代議制や民主政という共同幻想ファンタジーを誰も信用しなくなった、というだけの話です。

「砂漠のど真ん中で、違法電脳アクセスが確認された。お前は脳への最低限の栄養供給だけでいいから身軽だ……。その調査ならびに必要に応じては対象の逮捕または排除を依頼したい」

ネナ保安官が私に次の仕事内容を説明します。ちなみに私の法的立場は……曖昧なところです。労働機械ロボットの私自身は法人格を有していませんが、私に搭載されている人間の電脳ウェット・ウェアは有機物由来の組成であるため、一応の人格を有しています。立場が曖昧だからこそ都合よく使役しやすいとも言えますが。

「砂漠地帯には機械人形オートマタしか暮らしていないはずでは」

「どうやらそいつは魔術師ウィザード級のハッカーらしい。だから、砂漠を天然の隠れ蓑にしているのかもしれないな」

「どのような電脳アクセスですか?」

「ん……それはほら、まあ、あれだ、生殖や人間の再生産に関わる情報を不法に入手しようとしているというか……ああ、ほら、人工子宮マトリクスシステムの設計だとか……【おしべ・めしべ】というか…………」

「つまり、えっちな検索ワードですか?」

「――そ、そうは言ってないだろ! 破廉恥ハレンチな!!」

性は禁止されています。タブーが社会システムを形作るからです。ネナさまはその規範を内面化していると言えますね。コホン、とネナさまは咳払いをして続けました。

「道中には対人地雷も敷設されている。外敵の侵入を防ぐためでもあるが、砂漠に向かう際には注意しろ。いくつか無力化しても構わない」

分かりました、と答えて私はひとつ質問をしました。

「ダイナも連れて行っていいですか?」

「……誰だ、そいつは?」

「私の飼っているネコ型ロボットです。餌は要らないですよ。ひなたぼっこが好きなのです」

「…………好きにしたらいい。……ところで、お前のジゴロはどうしてる?」

「おお、その場合私がクーガーでしょうか。はい、元気にしていると思います」

私に搭載されている電脳ウェット・ウェアの持ち主はネナさまによって斬首されたのです。その後、私の神経系に接続される形で蘇生しましたが。

「もはや死刑は最も量刑が軽い刑罰の一つだ。結局、電脳ウェット・ウェアが残っていれば蘇生が可能だからな。時間や身体的自由が奪われる懲役刑や禁錮刑のほうが咎が重いとも言える」

「略式の斬首刑による罪・負債シュルト清算リクヮデイションは早計だったと?」

「自分の未熟さゆえの軽率な判断だった。次はうまくやるさ」

ネナ保安官は続けて武器管理係(といっても機械人形オートマタですが)を呼び出し、私に貸与するパトロールライフルや拳銃、低致死性兵器レスリーサルウェポンなどを持ってこさせました。

 貸与されたパトロールライフルは多目的ランチャー付きベレッタARX、サイドアームの拳銃はシグ250コンパクト。どちらも21世紀初頭から保管されていたモスボール品です。ポリマーフレームは白色や水色のパステルカラーで形成され……市民にを与えないように配色デザインされています。

 これらもまたネナさまの筋電義手と同様、貸与された兵器アームです。ハイレグのレオタードの腰回りにホルスターや弾倉ポーチ類、無線機や手錠ケースなどの付いたデューティ・ベルトを身に付けると、シグ250をカイデックス製のヒップ・ホルスターに収めます。

 ベルトのバックルには六芒星の籠目紋と白百合フルール・ド・リスとを組み合わせた意匠がデザインされています。

「レーザー銃はないのですか?」

「あれは部隊単位で暴動鎮圧用低致死性攻撃と戦闘用殺傷攻撃の射撃管制FCSとを管理するものだからな。使用者の生体情報を部隊に紐付ける必要があるし……そしてお前は生体でもないだろう」

「ああ、どちらかと言えば私は備品扱いなのですね」

「それに今回の任務は基本的に砂漠地帯の機械人形オートマタが相手になるだろうしな。万が一それらから攻撃を受けた場合の最低限の自衛装備として銃を貸与するわけだが……無闇矢鱈に物を壊したりするんじゃないぞ」

「交戦規定のネガティブ・リストも確認済みです。それに私に搭載された電脳ウェット・ウェアと違って、私自身は別にトリガー・ハッピーじゃありませんよ」

そもそも感情を欠いているのですから。私はお辞儀をして「失礼します」と言って部屋を出ようとしましたが、

「――おい! 海はどうだった?」

ネナさまにそう訊かれました。十数年ほど前に、私とゾーイさまは共に西の果てへと海を見に行きました。私は存在しない麦わら帽を被ると、海を知らぬ少女(と言っても問題ない年齢でしょう)に両手を広げたつもりで答えました。

「あれは全く巨大で手に負えない循環システムです」

飲み込まれそうになります。仮に私に感情があったとすれば、恐れおののき海の青に神秘性と畏怖とを覚えたことでしょう。

 ホッブズの言うリヴァイアサン、メルヴィルの言う白鯨のことです。

 まったく潮風に錆び付かなくて幸いです。

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