星をはらう

ろゆ

星をはらう

 最近、よく星が降る。


 決して例えではなく、本当に星が降ってくるのだ。空一面の星が、突然隕石となって地上に墜ちてくる。いつだったか、この異常現象は、宇宙空間にある大きな恒星が燃料を使い果たし、萎んでしまうことで新たにブラックホールが形成されたために発生したと、宇宙の専門家が言っていたのをテレビで見た。

 星の軌道が変わったからといって、必ずしも地球に衝突するわけではない。いくつかは逸れていき、またいくつかは地球から離れていくこともある。

 しかし、現在までに既に何十もの国が消失し、何億人もの人間が死んだ。隕石となった星は他の星にも衝突し、連鎖的に地球は滅びると言われている。いわば余命宣告だ。確かこれも専門家が言っていたことだ。


 地球はもって、あと半年で滅びるって。

 俺たちには、もう未来がない。




 ヒロ 四月十二日 月曜日 七時半


 突然余命を宣告された人間の気持ちは、きっとこんな感じなのだろう。自分がこの世からいなくなる実感も覚悟もなく、死ぬまでに何かやりたいことがあるかと言われれば、特にやりたいことも思いつかない。だから、自分の体に異常を感じるまで、あるいは死ぬまで、何も考えずただ毎日を消費する。

 と、頭では稀代の病人気分であっても、現実は違う。

 毎日のように飛び交う隕石墜落のアラートと死者多数のニュース。街には所々に立ち入り禁止の黄色いテープが貼られ、その先には欠けたビルや焼け落ちた家屋が見られる。それらは俺たちに、終わりの時が刻一刻と近づいてきていることを示し続けていた。

 しかし人間というのは意外とタフなようで、俺と同じように今まで通りの日常を生きる人がほとんどだった。

 だからか、現実とは裏腹に、何故かこの日常に安心感が溢れ、あるいは自然災害への諦観からか、初めて星が降った日から四ヶ月程経った今でも、俺たちは今を生きることができている。

「……だからって、なんで今更学校なんか」

「いいじゃん! 私たち華の高校生だよ? 高校生が学校に行かずしてどこに行くってのさ」

 まあ、勉強はしたくないけどね、と隣を歩くセナが笑う。

 幼馴染で小学、中学と一緒だった俺たちは、この春から高校生となった。世の中がこんな状態だというのに進学とはなかなか笑えるが、入学式も授業も、まるで降る星を日常として受け入れるかのように行われていた。

「今更勉強なんかしたって、あと二カ月もしたら全部終わっちまうのにな」

「でもさ、地球が終わる直前まで高校生してたら、それって最高に青春してるって感じがしない?」

話しながらセナは真っ暗な画面のスマホを宙に浮かせ、切りそろえられたボブの髪を両手で繕い始めた。

「あんまりその力使うなって。何度も言ってるだろ」

 彼女が浮かせたスマホを代わりに手で持ちながら、彼女を少し睨む。

 彼女はいたずらっぽく笑いながら、

「ごめんごめん。けどこれ、両手が使えて便利なんだよねぇ」

 とまるで反省していない様子で繕いを続ける。

 セナには昔から不思議な力がある。超能力というのだろうか。物の重さに関係なく、あらゆる物体を手を使わずに浮かすことができる。彼女曰く、空気を操るイメージらしいが、物を浮かすことができない俺にはさっぱりだった。

「そういえば、福田さんの件、今日からなんだろ?」

 無言の時間が続くことに気まずさを感じ話しかけたが、すぐにセナにとって良くない話題だろうと気付き、口に出したことを少し後悔する。

「あれ、そうだっけ? 忘れてたな」

 よし、と彼女が言ったタイミングでスマホを手渡し、あっけらかんとした彼女の言動に少し安堵する。

「そしたら、今日が最後の学校かもしれないなぁ」

 どこか遠くを見ながら彼女が言う。


 三月の末、福田と名乗る男がいきなり彼女の家を訪ねてきた。福田は自らを研究者と名乗り、どこから知ったのか、セナの力が地球を救えるかもしれないと言い出した

 それはセナの力を利用し、星が地球に到達する前に爆発させてしまおうというものだった。

 だとしても、セナ本人には危険が伴う。勿論俺は反対したのだが、セナは福田の提案に承諾し、今日から実際に星が墜ちるのを阻止する実験に協力することとなった。


 やっぱり、やめておいた方が——

 そう言おうとした言葉を飲み込む。彼女は世界中の人々を救うために、何より彼女自身の意思で決めたのだ。それを止めることなど、俺でなくてもしてはいけないことだろう。

 ふと彼女に目をやると、いつの間にかこちらを見ていた彼女と目が合う。

「ヒロはこれから、私がいなくても平気?」

 彼女はまたいたずらっぽく笑いながら、俺にそう問うた。

「別に。寂しいかもしれないけど、セナがいなくても生きていけるよ」

 素直に答えられない自分に嫌気が差す。もうずっと一緒にいるのに、本音を伝えられない気恥ずかしさは、きっと彼女に対する好意からなるものだろう。

 えーひどーい、とわざとらしい泣き真似をする彼女を横目で見ながら、目にかかる前髪をはらう。


 この日から、彼女が学校に来ることはなかった。




 ヒロ 六月二十九日 火曜日 十四時


 あれから約二ヶ月、事態はトントン拍子に進んでいった。

 福田の実験は見事成功。セナは星をはらいのけることに成功し、その後も降ってくる星をはらい続けた。

 今まで抗えなかった自然災害を防ぐことができたこと、またマスコミやSNSで星をはらう様子が拡散されたことで、実名こそ報道されなかったが、セナは地球を救う女子高生として一躍時の人となった。

 彼女はマスコミやファンが家に押しかけ家族に迷惑がかかることを懸念し、一ヶ月ほど前から福田の管理する施設で暮らしている。

最初こそセナと連絡を取り合っていたものの、彼女が家を離れた後からは、生活リズムが合わないことからか徐々に連絡が減り、今ではネットニュースでしか彼女の現状を知り得なくなっていた。

 そんな折、過去最大規模の星が接近しているとの情報が出回った。衝突予想時刻は今日の十六時、つまりあと二時間ほどで地球が滅びるかもしれない。

「みなさん、覚悟を決めましょう」

 朝のニュースでキャスターがそんなことを言ったときは、怒りでスマホをテレビに投げつけそうになった。

 過去最大規模の星、今まで接近した星の何倍もの大きさが地球に向かってきているのだから、不安や絶望を感じるのはわかる。

 だがなぜ誰もセナを応援しないのか。今までいくつもの星をはらい続けてきたセナを応援するのではなく、先に絶望してしまうのか。俺はそれがどうしても許せなかった。

 無力な俺には、遠くからセナを応援することしかできない。俺には計り知れないくらい、とても大きなものを背負っている彼女に、俺はあまりにも釣り合わない。

 彼女に自分から連絡しなかったのは、きっとその気持ちが原因だろう。俺と彼女とじゃ、もう立っているステージが違いすぎるのだ。

 嫌な考えを振り払おうと空を見る。まだ昼過ぎだというのに、空は夕焼けのように赤く、太陽の代わりに、街を飲み込まんとするように、太陽の何十倍も大きな星が眼前に迫っていた。

 二ヶ月前は日常を飾っていた車も、店も、人も、今は鳴りを潜め、終わりの時に怯えているかのように静まり返っている。

 心地の悪い静けさに辟易していると、机の上のスマホが震えだした。画面を見ると、福田から短いメッセージが届いていた。

『今から施設に来れるか。彼女が会いたがっている』




 セナ 六月二十九日 火曜日 十五時


 本当に嫌になる。

 何度はらい除けても降り続ける星も、好き勝手言うネットの人たちも、今まで散々私に期待してたくせに、いざ巨大な星が接近してきたら真っ先に諦めるニュースキャスターも。

 そんな人たちを、少しでも見殺しにしてやろうと思ってしまった私も、みんな大嫌いだ。


 最初は、ヒロに褒めてもらえるのが嬉しかった。

 衝突を阻止するのも楽じゃない。たまに爆風で吹き飛ばされるし、瓦礫が飛んできたり、割れたガラスの破片が腕に刺さったこともある。力を使うのも精神的に消耗するし、施設暮らしは決して快適ではない。

 それでもここまで頑張れたのは、ヒロと繋がっていられたからだ。辛かったことも、痛かったことも、ヒロは全部受け入れてくれて、「セナは頑張ってる」って。

 だというのに、日々の激務で消耗した私は、優しいヒロの言葉さえも疑うようになってしまった。

 ヒロにはこの辛さはわからない。所詮、画面越しに私のことをわかったような気になっているだけ。

 そう自分勝手に決めつけ、次第にヒロへの連絡は途絶えていった。自分から離れたくせに、私からの連絡がないことを心配してこないヒロにも腹が立った。

 そんな時、過去最大規模の星が接近しているというニュースが入った。私よりも先に諦めるニュースキャスター、今まで応援してくれていたファンの人たちでさえ、誰一人として希望を持っている人はいなかった。

 もう、限界だった。


「……福田さん、お願い。最後に一つ、我儘を聞いてほしい」




 ヒロ 六月二十九日 火曜日 十五時半


 どうして気付かなかった。気付こうとしなかった。

 あれだけ多くのものを抱えた彼女が、いつまでも平気なわけがなかった。彼女はまだ十五歳の高校一年生だ。好きなことをして遊びたいし、我儘だって言いたい。

 わかっていたはずなのに、俺は自分に言い訳をして、勝手に自分に劣等感を抱いて、自分を守りたくて、彼女を見ないことにした。

 今更遅いのは承知で、俺は激しく後悔していた。

もっと早く彼女に会いに行こうとしていれば、もっと早く連絡していれば。

 溢れてやまない後悔を握りしめながら、俺は施設に向かって自転車を全力で漕ぎ続けていた。

 福田から連絡を受け、最初はタクシーで向かおうと思ったのだが、生憎電話は繋がらず、自宅にある母の自転車を勝手に使うことにした。

 ポケットからスマホを取り出し時間を確認する。衝突予想時刻まであと三十分。衝突までには何とか間に合うだろう。

 だがセナにあってなんと伝えるべきか。セナの苦労を見て見ぬふりをし、自己保身に走った今の俺は、セナに何をしてあげられるのだろうか。

 考えに夢中になり、目の前に落ちた瓦礫に迫っていることに気付くのが遅れてしまった。

 俺は自転車ごと宙に放り出され、アスファルトに激しく体を打ち付けられた。そばで自転車がひしゃげる音が聞こえた。恐らくもう使える状態じゃないだろう。

 ボロボロの体に鞭を打ち、何とか体を持ち上げ走って施設まで向かおうとするが、数歩進んだところでよろめき、倒れてしまう。恐らく頭を打ったのだろう、視界はぼやけ、口には不快な生暖かい鉄の味が広がる。

 早くセナのところに行かなきゃ。そう思う俺とは裏腹に、身体はピクリとも動かない。

 俺はそのまま、意識を失った。


 夢を見た。

 夢というより、記憶に近いのかもしれない。

 いつの間にか記憶の奥底に閉まっていた記憶。忘れちゃいけなかった約束。

 病弱だった子供時代の俺。よく発育の良い男の子にいじめられていた俺を、セナは身を挺して助けてくれた。

 自分よりガタイのいい、しかも男の子相手だ。怖いなんてものじゃなかったはずなのに、セナは俺の前では決して涙を見せなかった。

 そんな自分が嫌で、情けなくて。今度は俺がセナを守りたくて。

 強くなろうと、セナの前を歩けるように、セナに相応しい人になるために。

 いつから、忘れてしまったんだろうか。


 どのくらい気を失っていたのか。

 時間を確認しようと這いつくばりながらスマホを探す。見つけたスマホは転んだ拍子に壊れてしまったようで、電源ボタンを押しても反応はなかった。

 でも、大丈夫だ。まだ星は落ちてない、

 痛みで熱を帯びた四肢を奮い立たせ、無理矢理立ち上がり、再び歩き出す。

 一歩進むたびに全身が悲鳴を上げる。もしかしたらどこか骨が折れているのかもしれない。

 でもこのくらい、セナの抱えた痛みに比べれば何ともない。

 今は一刻も早く、セナに会いたい。会って、抱きしめて、あまり力にはなれないかもしれないけど、どんな時も一緒に戦うって、そう伝えたい。

 だから。

 だから神様。どうかお願いします。

 俺にもう少しだけ、力を貸してください。




 セナ 六月二十九日 火曜日 十五時五十分


 衝突予想時刻まであと十分。星は空を完全に覆いつくし、恐怖を越えて壮大にさえ思えた。

 福田さんに最後にヒロと会いたいと伝えてから一時間、ヒロは会いに来なかった。

 というより、そもそも無茶なお願いだったのだ。急な福田さんからの連絡を、ヒロがすぐに確認する保障もない、すぐに見てくれていたところで、この世の中の状態で、施設までくる手段がない。

 こんなことに希望を抱いていた自分がおかしくて、思わず笑みがこぼれてしまう。

 だからこそ、私は一つ目標を立てた。

 この星をはらったら、私からヒロに会いに行こう。

 もしかしたら、私のことをものすごく心配してくれているかもしれない。もしくは、いつもみたいな優しい笑顔で、いつも通り隣を歩いて、私の話を楽しそうに聞いてくれるかもしれない。

 そんなポジティブな妄想と、何の根拠もない淡い希望だけで、私はもう少しだけ頑張れる。

 もう星は眼前に迫り、あと数分もしないうちに地球に衝突するだろう。

 私は両手を空に掲げ、目を閉じて祈る。

 神様、どうかお願いします。

 私にもう一振り、力をください。

 そして、ヒロ。

 君に伝えたいことがある。

 だから、君だけは生きて――


 刹那、星は轟音と閃光を放ちながら、爆散した。

 



 ヒロ 六月二十九日 火曜日 十七時


 施設は跡形もなく吹き飛ばされ、辺りに止めてあったであろう車はひしゃげて、逆さまで転がっていた。

 散らばった瓦礫を避けながら歩き続けること数分、地面に横たわる彼女を見つけた。

 セナの体にはいくつもの激しい火傷の傷があり、ひどいところは焦げたように黒く染まっていた。

「セナ……」

 彼女の名を呼びながら、身体を抱えると、彼女はゆっくりと目をあけ、俺を見据える。

「……ヒロ。来てくれたんだね……」

 そう呟く彼女の目に力はなく、笑みはどこかぎこちない。

 しかし俺には、彼女がどうにかいつものように笑ってくれようとしているのが分かった。

「ごめんな、今まで会いに来なくて。……すぐ病院に行こう。今ならまだ――」

「ヒロ、あのね……」

 彼女の言葉に、俺は続きを話すことはできなかった。これが彼女との最後の会話になる気がして、俺はまた、彼女の話を聞くことしかできない。

「あのね……わたし、ヒロのこと……あいしてる……」

「……っ、俺も、俺もセナのこと愛してる! だからもう喋るな……」

 ふいに、腕にもたれる彼女の重みが増す。それがどういうことか理解したくなくて、俺は何度も彼女の名を呼ぶ。

 しかし、彼女はそれに反応することなく、力なく俺の腕の中で眠っている。

 俺は事実を受け入れたくなくて、空に向かって泣き叫んだ。言葉にならないくらい、まるで咆哮のように、空の星に願うように叫んだ。鼻水が溢れ、喉が切れて血が出ても、息をするのも忘れるくらい何度も何度も叫んだ。


 どのくらい叫んでいたか、空が再び暁に染まる頃、俺は彼女を抱えて歩き出した。

 時間は巻き戻らない。後悔は取り返せない。でも、生き続ける限り、必ずまた後悔は生まれるだろう。

 それでも、生き続けるしかない。彼女の死を無駄にしないためにも、俺は生き続ける。

 俺たちには、まだ未来があるから。

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