第3話 検死
3- 検死
政治家の暗殺事件では、1963年11月22日金曜日に、アメリカ合衆国のテキサス州ダラスのエルム通りで起きたジョン・F・ケネディー暗殺事件が大きい。ケネディーの死体は、ベセスダ海軍病院に運ばれ検死解剖が行われた。致命傷がどれか?何発被弾したのか?弾道の推測による犯人の位置方向の特定、などがレポートされた。ケネディーの狙撃は2方向射撃又は3方向射撃と言われていて、これはプロの殺し屋組織が確実にターゲットを殺すために用いられる手段だと言われている。ケネディーはパレード中に車の上で狙撃された。犯人は「共産主義者オズワルドの単独犯行だ」とすぐばれる嘘をアメリカ政府は公表したが、ケネディーの乗った車にはかなりの弾が撃ち込まれていた。同乗していた上院議員にもあたっている。「皆殺しにするつもりだ」と上院議員は叫んだ。裏切られたようなこの一声は、暗殺を事前に知っていた可能性を示唆させた。ケネディーには後方から撃たれた弾が背中から喉に貫通し、窒息したと言われている。後方からはビルのかなり上からの狙撃だったので、それを知っていた上院議員は自分には当たらないと思っていたのか? 何発かは外れたようだが、ケネディーを暗殺したとどめの一撃は、パレード前方右側の小高い丘の柵から頭頂部左側を貫いた一弾だった。その瞬間はケネディーの妻のジャクリーンがケネディーを抱え込んでいたので、貫通した弾がジャクリーンに当たる可能性があったが、プロの狙撃手は全く彼女に影響の及ばないスーパーショットでケネディーの脳を吹き飛ばした。吹き飛ばされた脳の内容物は横を走行していたバイクの警察官にバケツの水をぶちまけるように降りかかったという。警察官は骨片で手に怪我をしている。これにより暗殺は前後2方向射撃が行われたと認められているが、当時はすべて後方からの射撃だったと、オズワルド単独犯説に無理やり導くうその報告書をアメリカ政府は公表していた。現在はこれらのことが明らかにされている。
アメリカ軍には、ベトナム戦争で腕を磨いた狙撃手がたくさんいてテレビ番組にもなっているが、ケネディーはベトナム戦争参戦を拒んだために暗殺されたともいわれているので、ケネディーを狙った狙撃手は、朝鮮戦争かひょっとすると第二次大戦中にナチス相手に腕を磨いたプロだったのもしれない。最近では中東戦争で活躍したスナイパーの映画ができている。
駅のロータリーで銃撃された大物政治家は、ヘリコプターで運ばれて大学病院で司法解剖された。犯人は金属製の筒を2本束ね、木製の板やテープで固定した手製の銃に散弾数発を詰め込み犯行に及んだ。犯人の父親は一流大学出の裕福な家庭だったが、母親が宗教にはまり全財産を寄付し、それが政治資金になったと思い込んだ犯人が政治家殺害に及んだ事件だった。だが犯人の手記には「殺害する意義は今となっては分からないが実行する」というマインドコントロールされて暗示にかかっているような内容がかかれていた。逮捕後犯人は所轄のローカル警察署に留置され、これだけ大きな事件にもかかわらず、東京に移送されることは無かった。東京で取り調べは行われてはいない。政治家の暗殺後、アメリカからもロシアからも篤いお悔やみが届くと言う友好関係だったことから、犯人の背後にもし組織があったとすれば、それは国内の組織だったのではないであろうかと思われる。私の子供の頃の夢からはそれ以上のことは分からない。現地に行ってそっと花を手向けた。
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