第20話 魔女の話 前編



「輝夜?」

考え事をしながら歩いていると唐突に話しかけられた。

ショートカットの女子高生。背が高いが、ボクのようにやせ型ではなく、がっしりとした体型。中学時代の友人だ。

瞬時に意識を切り替える。

萌夏もかじゃん。久しぶり」

右手を上げると、乾いた音でハイタッチが交わされる。

「いったー。力強すぎ!」

「ごめんて」青山萌夏はケラケラと笑う。「なにしてたん?」

「帰ってるだけ」

「そっか。あ、中学の時に一緒にバスケやってた輝夜。こっちは、同じクラスのミカコ」

「ども~。その髪、かっこいいね」

「ありがとう。よろしくね」

真っすぐに褒めてくれるのは珍しい。少し照れながら三つ編みを撫でる。

「輝夜はさ、うちの学校からバスケで推薦もらってたの。なのに、桃陰とういんのオープンキャンパスに行ったら、急にがり勉になって、推薦を蹴って桃陰に行ったの」

その空いた推薦の枠に入り込んだのは萌夏だ。

「萌夏が行こうって言ったんじゃないか」

「冷やかしだったじゃん。まさか急に進路変更するとは思わなかった。メガネなんかかけちゃって」

「止めてよ」

メガネに手を伸ばされて、一瞬素が出てしまう。

「頭良いんだ」

「人生で一番勉強したよ。バスケで体力と根性はあったからね」

ミカコにガッツポーズをして見せる。

「それで受かるとことが凄いよな。バスケはやってるの?」

「やってない。中学ですっぱり止めた」

「そっか……、なんで?」

萌夏は少し怖い顔で訊いてくる。

「なにが?」

「バスケ止めたこと」

進路を変えたのは、前世の記憶を取り戻したからだ。そしておそらくそのきっかけになったのであろう、乙輪と再会するためだ。しかしそんな本当のことは言えるわけがない。

「そうだなぁ。カッコよく言うと、限界を感じたから」

「限界?」

「このままバスケを続けてどうなるのかな?って思った。それで、日本代表に入ったり、プロになったりって未来が全然見えなかった。そうしたら、続けられなくなった」

「日本代表は凄いよね」

「そうめっちゃ凄い!」

ミカコの言葉に乗っかった。

「ふーん」

萌夏はまだ納得していないようであったが、納得させてあげる義理はない。

「萌夏はどう?レギュラーなんでしょ?」

逆に質問する。

「私は……、ケガしちゃって。休養中」

想像通りの答えが返ってきた。スポーツ特待生が放課後に、ミカコのようなスポーツとは無縁のタイプと歩いているということは、そういうことだ。

「早く治ると良いな」

それでこの話は終わろうと思ったが、そう簡単にはいかなかった。

「そういえば、桃陰には聖女と魔女がいるって聞いたことがある」

ミカコが思わせぶりに言う。

「聖女と魔女?」

「そう。それで、聖女はどんなケガでも治してくれるんだって」

「本当か!」

「そんなことない」

苦笑しながら手を振って否定する。

「そう呼ばれている生徒はいるけど、雰囲気で呼ばれているだけだよ。どんな怪我でも治せるような人が、学校に通ってるわけないじゃん。癒し系ではあるけどね」

科学実験室でくだをまいている姿は見なかったことにして答える。

「えー、じゃあ魔女は?」

「黒い実験着で歩いてる」

「なにそれ?」

ミカコはひっひっひっと、なぜか魔女っぽく笑った。

「桃陰ってがり勉ばっかだと思ってたけど、そんな変なやつもいるんだな」

ボクのことだけどな。

「変な奴はどこにでもいるよ」

「確かに」

萌夏は豪快に笑った。


「じゃあ、そろそろ行くね」

「おう。また連絡する」

これは連絡のないパターン。いや、萌夏みたいに鈍感なタイプなら逆にあるのかもしれない。

分からないので、手を上げるだけで答えた。


二人の姿が小さくなってから、ふうっと息をついた。普通の女子高生のふりをするのは疲れる。それに加えて、中学校までの輝夜は明るく活動的なスポーツ少女だった。そのふりをするのは更に疲れる。

ちゃんと丘上輝夜をできていただろうか?

いや、ボクは正真正銘の丘上輝夜なのだけど。

輝夜とエウラリアの意識が混濁する。

いつもより気分が悪いのは、前世の記憶を取り戻した時のことを思い出したからだろうか?

ベンチに腰を下ろす。


「限界を感じたから」

そんな言葉が不意に思い出された。

意識したことはなかったが、輝夜は本当にそんなことを思っていたのかもしれない。

甘っちょろい話だ。

魔女エウラリアの人生では、限界を感じているような余裕はなかった。

必死に、ただ必死に生き続けて、生きることに精一杯で、それで……殺された。


これは、前世の私、魔女エウラリアが殺されるまでのつまらない話だ。



前世の世界はこの世界で言う中世ヨーロッパに似ていたと思う。

魔法はない。

エルフやドワーフのような亜人種もいない。

蒸気機関も電気もない。

奇跡を起こしたという神の子を教祖に頂く宗教組織が幅を利かせていたが、私が住んでいた地方では土着の宗教に基づく風習に従っていることが多かった。

神様を見たことはなかったが信じている者たちは熱心で、自らが受けた恩恵を懇々と言ってくる者もいた。

神の力で病気が治ったという者もいたが、それには高額のお布施が必要だった。お布施を払っても死ぬ者も多かった。心付けが少なかったらしい。

教会には癒しの加護を授けることができる者などいなかったし、治癒魔法が使える聖女もいなかった。

医療と言えるほどの技術が発達していない世界で頼りにされていたのは民間療法だった。

薬草もその一つだ。

そこらに生えている草がなぜ熱を冷ますのか、傷を癒すのか、腹の調子を整えるのか。なぜ草によって効果が違うのか、草によっては悶絶するような苦しみを与えられ、酷い時には死に至るのか。切ったり、煎じたり、焼いたり、煮たり、乾燥させたり、混ぜ合わせたりするとなぜ効能が変わるのか。

それらを説明できる者はいなかった。

薬草師も知らなかった。過去から口伝されてきた方法に従っているだけだ。

私は子供の頃からおばあさんの薬草づくりを手伝っていた。おばあさんは彼女の先生と同じように、口伝えのみでその方法を教えた。そして指示通りに動くことを求められた。

指示以外のことをすると怒られた。なぜこのような作り方をするのかを訊くと、さらに怒られた。

過去から受け継いだものを引き継いでいくことが大事だった。


私はその流れに一石を投じた。

使用する草を選別し、不純物を取り除いた。使用するたびに道具をキレイに磨き上げた。水は汲んでくる場所によって癖が違うことを見つけ出した。与える薬はきちんと計量して、適切な量を渡すようにした。その際に包む紙にも気を使った。

現代風に言えば、品質管理を向上させた。

それだけでも、よく効く薬だと評判になった。

工夫の効果に気を良くした私はその先を求めた。


もっと効く薬を作りたい。

多くの人を助けたい。


その純粋な気持ちに噓偽りはなかった、と思う。

一方で、新しい薬を作るということは、新しい草を使うとか、新しい加工方法を考えるということだけではない。それらからできた薬が予測通りの効能を持つかどうか実際に試してみなければならない。

動物で。

人で。

病人で。

予測通りにいかないことも多々あった。死因が病気に寄るものか薬の効果に寄るものなのかはっきりしないこともあった。しかしそれらの積み重ねで新しい薬を作ることができ、多くの人を救うことができた。


でもそんな風に、好意的に受け取ってくれる人ばかりではない。

教会からの使者に拘束され、「この魔女が!」と殴られた私には何が何だか分からなかった。


「森の中で怪しげな呪いを行い、人々を惑わせている魔女」


人を惑わせている?

私は人を救っているだけ。

あなた達が信じる神の力では救えない人を。

「魔女」ってなんですか?


その地域に赴任した新しい教会長が点数稼ぎをするために「魔女狩り」を行っていたと知ったのは、しばらく後のことだ。多くの女が権力争いの犠牲になった。

「魔女」に定義なんてない。強いていえば、教会長の点数になる女だ。

火あぶり、石打ち、弓矢で射られるなど、ありとあらゆる拷問を受けた。

自分は魔女だと告白すれば処刑されたし、告白しなければ拷問が続いた。さっさと殺された方がましだったかもしれないが、そこまで頭が回らなかった。

そして夜は犯された。何人もの男が代わる代わるやってきて永遠に犯された。ろくに眠ることもできずに朝を迎えると、また拷問が始まる。

田舎の引きこもりの薬草師の娘は、あまりの環境の変化について行くことができなかった。ずっと呆然としていた。なぜ私はこんな仕打ちを受けているのだろう?漠然とそんなことを考え続けていた。

だから自死することもなく、生きながらえていたのかもしれない。


絶望の日々は唐突に終わった。教会はとうとう、告白がないままに私の処刑を決定した。

後がつかえていたのか。犯し飽きたのか。

とにかく、明朝の処刑が告げられた時にも、私はまだ現実が受け入れられずに呆然としていた。明日死ぬのだという事実をはっきりと認識できていなかった。

最後の夜、監禁されていた牢に司祭がやってきた。私を犯すためではない。

「懺悔しなさい。きっと神は、あなたの罪をお許しになられます」

もったいぶった言葉がきっかけだった。捕まってからずっともやがかかっているようだった頭が全力で回転し始めた。

「ふざけるな」

その強い感情は産まれて初めてのものだった。

許すとはなんだ!

私がどんな罪を犯したというのだ!

それを明らかにできない神に、なぜ許されなければならないのだ!

怒りと憎しみ。

うぶな田舎娘が知らなかった、熱く、どす黒い感情が体中を駆け巡った。


ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな!


殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!


これまでの人生で考えたことのない言葉が駆け巡った。

牢の冷たく硬い床に転がったままだったが、熱い激情で頭が沸騰しそうだった。

「誰か私に力をくれ!この国の人間すべてを殺せる力を」

心の奥底からそう願った。ひゅーひゅーとか細い声しか出せない喉で精一杯怒鳴った。

「我の頼みきくのであれば、そなたの望みを叶えよう」

 不意に声が聞こえた。低い低い、奈落の底から響いてくるような低い声。それでいて不思議と引き寄せられる声。


「なんだ?」

私の叫びには無表情だった司祭は、突然の声に周囲を見回すが誰もいない。


「きく!」

誰の声なのだとかどうでも良かった。力を与えてくれるのであればなんでも良かった。

「力をくれ!」

薄暗い牢の中に、漆黒の渦が空中に現れた。

「約束をたがえるではないぞ」

次の瞬間、渦から迸り出た力が私の身体を満たした。

魔力。この世には存在しないもの。

私は、そんな存在しないはずの力を一瞬で理解し、その使い方も分かった。

まずは拷問等でボロボロになっていた身体中の傷を繕った。潰されていた右目も、剥がされていた指の爪も、全て抜かれていた歯も、あっという間に再生した。

ボロボロの服を破り捨て、漆黒のローブをまとった。

木製の牢の扉を蹴り破ると、バタバタと足音が近づいてくる。

「何者だ」

番兵たちは毎晩犯していた女が目の前に立っていることが分からなかった。もっとも、足首の腱を切られた女が立っているのだから仕方がない。

右手を前に差し出し、爆発の魔法を試してみた。二人の番兵が一瞬で肉片と化した。

「ははは」

笑いがこみあげてくる。


「た、た、助け……」

司祭は腰を抜かして後ずさる。恐れと驚きが混じった顔、始めて見る表情だった。

「許してくれ、私はただ神の……」

「許さない」

汚れた壁に血飛沫が走る。


「ははははははははははははは」

今まで感じたことのない高揚感が身体中を支配する。

力を持つとは、自由とはこんなに気持ちが良いものだったのか!

高らかに笑い声を上げながら、階段を上がった。

世界で初めて、本物の魔女が現れた夜だった。


私は、捕らえられていた城塞都市を三日で壊滅させた。城主も兵士も司祭も坊主も商人も職人も農民も、男も女も、赤ん坊も老人も全部殺した。

「神様、なんでこんな酷いことが起こるのですか。なぜ私たちを救ってくれないのですか」

慟哭している老婆を、笑いながら焼き殺した。

「お前たちが神を信じているからだ」


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