第19話 元気の素
朝、
「衛生兵!衛生兵!」
少女の、切羽詰まった声が響いた。
「しっかりしろ、傷は浅いぞ!」
そう叫びながら、少女が部屋から飛び出してくる。
双子だからこそ、オタクだからこそ、事前打ち合わせなしで紡がれる素晴らしい様式美。
「えっ?まじ案件?」
部屋から飛び出してきた明子は目を丸くする。
姉の晴子が乙輪を背負っていたのだ。長身の乙輪を小柄な晴子が背負っているために、髪や制服が乱れてお互いにあられもない姿になっている。
「どうしたんだ?」
いつもは部屋の奥でにやにやと笑っている輝夜が珍しく立ち上がった。
「聖女様、校門で会った時から疲労困憊で、それでも巡礼されたんですけど、ここまで来てついに力尽きたんです」
「乙が疲労困憊?」
晴子の説明に輝夜は怪訝な顔をする。
強力で、ほぼ無限の治癒能力を持つ乙輪は、疲労困憊なんて言葉とは無縁だ。疲れれば自分で癒せばいいのだ。
「よっこらせ」
晴子と明子が協力して、実験台前のいつもの丸椅子に乙輪を座らせる。乙輪はぐったりと実験台に上半身を横たえた。
「コーヒーよりもエナドリの方が良いか?」
「買ってきます」
輝夜がつぶやくや否や、晴子は部屋を飛び出していった。
「それとも、気付け薬でも作ろうか」
「魔女が作った気付け薬なんて嫌よ」
乙輪がようやく口を開いた。
「エナドリ買ってきました!」
輝夜が生徒会に工作して、この部屋の近くに自動販売機を設置させている。晴子はすぐに帰ってきた。
「ありがとう」
乙輪は身体を起こしながらプルタブが開けられた缶を受け取り、一口飲んだ。
「はぁ」小さく息をつく。
「エナドリの元気が出る感ってなんなのかしら」
「大量のカフェインで興奮して、大量のブドウ糖で頭の回転を速くしているんだ」
「そういうつまらない話をしているんじゃない」
「ごめん」
いつもの調子を取り戻してきた乙輪に、輝夜は安堵しながら謝る。
乙輪はエナドリの缶に疲れた目を向ける。
「カフェインにブドウ糖……ってことは、コーヒーに砂糖を入れて飲んでいるのと同じってこと?」
「成分は同じだけど量が違う。エナドリに入っているカフェインや糖分はコーヒーの五倍程度だ」
「五倍って……、それって逆に大丈夫なの?」
「エナドリを七十本ぐらい一度に飲んだら、カフェインの致死量に到達するはずだ」
「致死量って、エナドリ飲んだら死んじゃうんですか!」
晴子が慌てて声を上げる。
「私、聖女様を殺しちゃうの?」
「七十本飲んだら、でしょう。一本飲んだぐらいで死ぬようなものを、学校の自動販売機で売っているわけないじゃない」
乙輪は呆れた声で宥める。
「どんなものにだって致死量はある。水の致死量は約六リットルだ」
輝夜が豆知識を披露する。
「私、夏は喉が乾いてめっちゃ水飲むんです!絶対六リットルぐらい飲んでいます!」
晴子がまた大きな声を上げる。
「言い過ぎ。確かにめっちゃ飲んでるけど、六リットルなんか飲めるわけない」
明子が冷ややかに指摘する。
「そうかなぁ」
「六リットルって大きいペットボトルで三本よ。そんなに飲んだら、ママ激怒だよ」
「激怒だな。でも、それぐらい飲んでる」
晴子は謎に自信満々で言い切る。
「絶対飲んでない!」
「飲んでいるって」
「それはともかく」
珍しく輝夜が、双子の掛け合いに介入した。
「乙はなんでそんなに疲れているんだ?エナドリなんか飲まなくても、自力で疲労回復できるだろ」
「身体的な疲労回復は簡単だけどね、精神的な疲労はそうじゃないのよ。エナドリの、回復した――感が効く気がするわ」と、空になった缶を小さく振る。
「精神的な疲労って?」
輝夜はあえて軽い口調で訊ねる。
乙輪は少し言いよどんだ後、答えた。
「……この週末、前世に戻っていたの」
――
一拍置いた後、大きな驚きの声が起こった。
「いつ?」
いつもは斜に構えている輝夜が前のめりになって訊ねる。
「だから週末。土曜日の朝方に寝てから、ついさっき起きるまで」
「起きるまでだって?」
「そう。戻っていたって言ったけど、身体はずっとこっちにあったみたい。寝ていて、意識だけが前世に戻っていたんだと思う」
「二日間ずっと寝ていたんですか?」
晴子が訊ねる。
「そうみたい。伯母さんが金曜日の夜から社員旅行に行っていてね。日曜の夜に帰ってきたときは、早い時間から寝ているのね、としか思わなかったんだって。今朝、起きてこないから起こしに来てくれて、それでようやく目が覚めたってわけ。起きたら土日すっ飛ばしていたからびっくりしたわ。しかし二日間寝っぱなしって身体が辛いわ」
うーんと伸びをして身体を伸ばす。
「どうして前世に戻ったんだ?」
「分からないわ。一人だったから少し夜更かしはしたけれど、いつも通りに寝たら、いきなり前世に戻っていたの」
「ただの夢じゃないんですか?」
冷静を装いながら明子が訊ねる。
「その可能性もあるけどね……」
乙輪は反論せず、再び疲れた顔をする。
「夢にしてはリアルだったし、それにただの夢なら、二日間も寝ることにはならなかったと思う」
「そうですね……」
「前世で何をしてきたんですか?魔王倒しました?」
「倒した倒した」
乙輪はふざけた感じで言った後、遠い目をしながら話した。
「私、今まで、勇者と一緒に魔王を倒す旅に出ていて、最終的に魔王と闘っている時に勇者を庇って死んだって言っていたでしょう。本当は死んだときのことははっきりと覚えていなかったの。今回の夢を見て思い出したんだけど……、面倒くさいからもう夢って言うわね、死んだ理由を思い出したの。魔王が攻撃してきて、それを勇者が受けるんだけどそれが凄い攻撃でね、防御しているのに一発で勇者のヒットポイントが一になるの。それを私が全回復させるんだけど、即座に次の攻撃が来てまた一になる。魔王はビームみたいなのを撃ってきていて、だから私の治癒魔法もビームみたいに勇者にかけ続けて。それが延々と続いてね、さすがの私も魔力を使い果たして力尽きたの。それを死んだと思い込んでいたのね。それが前回までのあらすじ」
「ということは続きがあるんですね!」
「あったのよ」
「聖女様の復活きた―――!!!」
晴子のテンションは爆上げだが、乙輪のテンションは上がらない。
「復活ってほどのものではないけど……、私が力尽きるのと同時に、魔王も魔力切れを起こしたの。私も魔力が0になっただけで死んではいなかったのね。仲間が回復薬を使ってくれたらすぐに起きたわ。起きたら魔力がなくなった魔王と勇者が肉弾戦をしていたわ」
「ステゴロですね!」
「ステゴロ?」
「素手で喧嘩をすることです」
「ううん。勇者は剣を使っていたし、魔王もなんかゴテゴテした武器を使っていた」
「それは肉弾戦とは言わないのではないですか」
「そうなの?まぁともかく、回復した私の援護や仲間たちの助けもあって、勇者は魔王を倒したの」
「はしょりすぎです!」
「細かい戦闘描写はいいでしょ。とにかく勇者が勝ったのよ」
「それでこっちに帰ってきたんですか?」
「だったら良かったんだけどね」
乙輪は再び疲れた顔をする。
「一ヶ月かけて城に帰って、それから祝勝会とか色々あったの。その後は教会に戻って、ろくに休む間もなく新たなお役目を押し付けられて、なんやかんやしている間に隣の国が攻めてきたから回復係として軍隊に入れられて……、そんな感じで三年の月日が経ったわ」
「だからはしょりすぎです!」
「もうめんどうくさいじゃん。一々覚えてないし」
「仕方ないですね。それで、三年経ってどうなったんですか?」
「どうもなってないわ。伯母さんに起こされたからそこで強制終了よ。最後はなにをやっていたかな?服を藪に引っかけて、敗れていないかどうかを確認していたような気がする」
「地味すぎ」
明子がぼそっと突っ込む。
「うっさいわね」
「……もしかして、二晩で三年分の夢を見ていたのかい?」
「その通りよ。もう頭がパンクしそうだわ」
輝夜の質問に、乙輪はまた突っ伏しながら答えた。
予鈴が鳴った。
輝夜は額に手を当て、残念そうに呟く。
「エナドリの話で時間を使いすぎた。前世帰りの話をほとんど聞けなかった」
「前世への帰り方なんか分からないわよ。ねぇ、ここで休んでいても良い?」
「別に構わないけど、一人で寝ていたらまたあっちの世界に行ってしまうかもしれないぞ」
「それはイヤ」
乙輪は面倒くさそうに立ち上がるが、ふらっと足元が揺らぐ。
「乙!」
輝夜が着ていた黒い実験着が宙を舞い、乙輪を包み込んだ。
「大丈夫か?」
駆け寄って肩を貸す。
「今日はもう、帰った方が良いんじゃないか?」
「ちょっとした立ち眩みだよ」
乙輪はそっと身体を離して、自分で立ち上がってみせた。
「そう?」
輝夜は心配そうにしながらも、それ以上は止めなかった。
準備室のドアを閉め、廊下を並んでゆっくりと歩く。
「私は、」
二年生の教室が近づいたところで、輝夜が口を開いた。
「前世に帰りたいなんて思ってないから」
「そう……」
乙輪はちらりと輝夜を見る。二人の視線が微かに触れる。
「私も思ってない。今回のはただの偶然よ」
「なら、今度乙が眠ったままになってしまったら、私が起こしに行く」
「そうね。お願いする」
乙輪はふふっと笑う。
「保健室で横になってくるわ。放課後起こしに来て」
「一緒に行こうか?」
「それぐらい大丈夫よ」
乙輪はそう言ってから、大きなあくびをした。
『ちゃんと起きた』
目を覚ました乙輪はまずそう思う。
前世には行かなかったし、夢も見なかった。
ここが保健室であることも、ちゃんと認識できる。
「ご機嫌はいかがですか?」
ベッドの横に座っていたのは晴子だった。
「……あんた授業は?」
「聖女様が倒れたのに、授業なんか受けてる場合じゃありません!」
保健室であるのを意識しているようで、声量はいつもより抑え気味だが、力強く答える。
「倒れたわけじゃない。寝てただけよ」
「ゆっくり寝られましたか?」
「おかげさまでね。何時?」
「もうすぐ昼休みです」
「そう。お腹空いた」
今朝は普段通りの朝食を食べてきたが、二日間何も食べていなかったことを思い出す。
「購買でパンを買ってきましょう!」
イスを鳴らしながら勢いよく立ち上がる。
「パンじゃ元気にならない」
「だったらなにが良いですか?……ってまさか」
晴子は乙輪の嬉しそうな顔を見て、しかめ面をする。
「ラーメンを食べに行きましょう」
「やっぱり!学校を抜け出すんですか?」
「今日はもう帰る。あんたはついてこないで良いわよ」
「一緒に行きます!」
憤慨する晴子に、ふふっと笑いながら乙輪はベッドから出る。
留守の養護教諭にメモを残す。その間に晴子は輝夜と明子にラインを送る。
二人が校舎を出たところで、昼休みを告げる鐘が鳴り、校内が一気に騒がしくなった。
「どこに行くんですか?」
「麺屋阿武羅」
「またですか?」
ウキウキと声を弾ませる乙輪にとは裏腹に、晴子はうんざりとした顔をする。
「が、お昼は別の店としてやっているって知ってた?一度行ってみたかったの」
「だったら良いですけど。……なんですか?」
乙輪がじっと顔を覗き込んでいるので、晴子は不思議そうに訊いた。
「なんだかんだ言うけど、ついてきてくれるのね」
「聖女様には一生ついていくって決めていますから」
「なんでそこまで私を信奉するの?もちろん、命を救ってあげたけどさ」
「そうですね」
晴子は空を見上げながら、ちょっとだけ考えた。
「私は聖女様に救われたんです。死んじゃうのは嫌ですけど、死んじゃったのは車道に飛び出した私が悪いんだから仕方ありません。でも、それで終わりじゃなかった。異世界に転生させられそうになったんです。知らない世界で、一人で、何かやらされるところだったんです。よく分からない神様の都合で!そんなの絶対に嫌です。私はアキや、パパやママや、聖女様たちがいるこの世界で生きていたいんです。異世界で暮らすぐらいなら死んだ方がましです。だから、聖女様は私を生き返らせてくれただけじゃないんです!」
「異世界ってそんなにイヤ?」
「この世界で生きていたいんです」
「私は、あんたがそんなに嫌がっている異世界転生者なんだけど」
乙輪は愚痴って見せる。
「はい。だから、聖女様も魔女様も凄いなって尊敬しています」
曇りも迷いもないキラキラと光る瞳が眩しい。
前世で、聖女カタリナは人々から敬愛の目で見られていた。
しかし、ここまでまっすぐな目で見てもらったことはあっただろうか?
人々が見ていたのは聖女の力だったり、その背後にいると思われていた神の姿ではなかっただろうか?
「異世界転生も悪いことばかりじゃないわ」
なにごとも、良いこともあれば悪いこともある。
乙輪にとって、異世界転生してもっとも悪かったことは、神様に祭り上げられたことだ。
なら良かったことは?
「あんたの命を救うことができたしね」
それは結果的に、輝夜との出会いにもつながった。
「はい」
晴子は満面の笑みを見せる。
その笑顔はエナドリよりも元気が出る。
背油ラーメンのスープよりも、きっと。
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