第二話「黒猫の喫茶店」
◆
日曜日の昼下がり。
表通りの方は人で賑わっているが一つ筋を外れれば閑散としている。
奥に進めば進むほど人通りが少ないので親善試合の代表選手という有名人を連れていても目立つことはない。
「口では何だかんだ言って、隼人さんも男の人なんですね」
「どういう意味だ?」
「こんな人気のない道に連れ込んで。いったい私をどうするおつもりですか?」
人目につきたくないので薄暗い道を歩いていたがあらぬ誤解を生む。
会話が少ないせいもあり、コツコツと響く足音や薄暗い風景が余計に臨場感を煽っていた。
「どうするつもりだと思う?」
家の中の会話を考えると真面目に訂正するだけで疲れそうだ。
目的地までまだかかるので適当に会話を繋いでおこう。
「東の姫から『隼人さんは紳士的』と聞いておりますので、普通に目的地に向かっているだけですかね」
「あいつのことだから一言『ヘタレ』とでも言っていただろ」
「わかるんですね」
「伊達に三年間もあいつのワガママを聞いてないからな」
初対面の第一声が『私を守らないで』。
思わず引き受けたのが護衛役だったが疑ったレベルだ。
「まるで元カノみたいですね」
「ハッハッハ……キツい冗談を言うな。しばくぞ」
あいつが元カノ?
もし付き合う男がいるなら余程心が広いか真性の
「元カノはともかく仲はいいですよね」
「主従関係に仲もいいも悪いもないだろ」
「そうですかね。護衛役を辞めても東の姫のお願いを聞いたじゃないですか」
「親善試合のことか? あれは国民なら誰だって出たがる」
出場するだけで大変な栄誉と名声を得られる。
勝っても負けても賞賛の声を受けられる、ノーリスクハイリターンの行事だ。
「隼人さんは例外のようですけどね」
「どうしてそう思った?」
「私の顔を見て『……誰?』というような顔をしました。急に召集された人でも確認ぐらいすると思います」
「単に対戦相手に興味がなかったんじゃないか?」
試合が始まる前から失礼な態度を取っていたようだ。
抗議のジト目が突き刺さる。
「それに神聖な試合と思うなら躊躇わずトドメを差していると思います」
「相手がお姫様だからな。負かしてプライドを傷つけるのが面倒だったんだ」
「自分で自己満足と言いましたよね?」
「都合の悪いことは忘れることにしている」
会話が途切れない。
コミュ力お化けというよりも単純に話すのが上手い。
処世術に長けているし、相手のことを良く見ている。
普通に好感も持てるし、俺なんか選ばなくても結婚相手には不自由はないだろうに。
変わったお姫様だな。
「隼人さんのように信頼できる方がいて東の姫が羨ましいですね」
「どこをどう聞けば信頼しているんだ?」
「深く考えずに何かを任せられる相手というのは大事なんです。特に私たちのような立場の人間には」
彼女たちのような立場に限らず、肩書きだけで人を判断する人は多い。
ただ国の要人に対してだけは普通のことだ。
その人ひいては国を守るためには私情を捨てて気持ちを無にしなければ思わぬ落とし穴に落ちてしまう。
そうならないためにある程度の距離を保つ必要。
俺達が特殊なだけだ。
「もし信頼しているならクビにはしないだろ」
地雷と思われても心外なのであえて触れる。
「私が東の姫と知り合ったのはここ一年ですが、彼女は『大事なモノ程、自分から遠ざける』そういうタイプだと思います」
「……」
あのバカはいつだってそうだ。
自ら渦中にいながら決して助けを求めない。
手を差し伸べるだけで苦しそうな顔をする。
助けたことが間違いだと言わんばかりに悪態をつき。
それでいて何かに縋るような……もしくは寂しがるような顔をする。
「楽観的だな」
「隼人さんもわかっているからお願いを聞くんじゃないですか?」
確信を持った優しい声音に思わずそっぽを向く。
「お願いなんて可愛いものじゃねえよ。あれは命令の間違いだ。それに聞くのもただの気まぐれだ」
「ふふ。そうですか」
知ったかをされたらウザいはずなのに不思議と嫌な気分にならない。
「ここだ」
そうこうしている内に目的地の黒猫のシルエットが描かれた看板がある喫茶店に到着。
「シャノワール?」
「見た目はアレだが味は保証する」
――チリーン
「何だ隼人かよ」
バーカウンター越しに俺たちを出迎えたのは薄い色のグラサンをかけた茶髪の男。
怪しさと胡散臭さが滲み出るこの店の主の名前は
五歳年上の従兄弟だ。
「いらっしゃいませぐらい言えよ」
「お前の場合は客か怪しいからな。それにちょうどよかったお前に聞きたいこと――」
鏡夜が言葉を詰まらせる。
グラサン越しだがその視線は俺の背後に向けられていた。
「女連れとは珍しいじゃねえか」
鏡夜も昨日の親善試合を観戦していたはずなので一目見て連れてきた少女がアリシアだとは気づいている。
「まあな。奥の個室を借りるぞ」
性格上そのことを言及したり、茶化したりすると思ったが……何かあるのか?
「お好きに。飲み物は?」
「後で言いに行く」
「わかった」
「行こうか、アリシア」
「わかりました」
アリシアの反応を見たが初対面っぽい。
それに俺と鏡夜が従兄弟であることも知らないようだ。
元主や父さん達が俺のことをどこまで話をしているかわからないので確かめておく必要がある。
そういう意味でもここへ来たのは正解と言えるな。
◆
奥の個室に対面で座り、アリシアにドリンクメニューを渡す。
「アールグレイで」
「了解。注文してくるから待っていてくれ」
「お願いします」
はてさて、話の内容が内容なのでどう切り出したものか。
席に着くまでに考えるしかない。
「アールグレイ二つ」
「了解」
「で、何か聞きたいことがあったんじゃ――危な!」
投げ渡された鏡夜のスマホを受け取り画面を見る。
『今どきメールかよ』とツッコミそうになったが、差出人が俺の父親だったので納得した。
「今朝の九時に届いた。しかも、風見家の公式ではなく俺個人にな」
メールの内容は俺とアリシアが婚約したというもの。
普通跡取りが婚約したなら代々的に公表するはずが、個人的な連絡に留めている訳は一つしかない。
「また姫様関係か?」
「察しが良くて助かる」
訳アリなのは確定。
浮かれなくて正解だな。
「鏡夜はアトリシア公国の情勢について何か知っているか?」
後はその訳アリの内容だ。
拒否権はないにしても事前に知れるなら知っておきたい。
「ネットに転がっているぐらいだな」
「調べてほしい」
「明日は学園だろ? 直接言えよ」
「どうにもきな臭くてな。早めに情報が欲しいんだ」
悪い予感が外れてくれればいいが、こういう時に限ってドンピシャで当たるんだよな……。
「わーったよ。言っといてやる」
「助かる。それとこのメールだが……」
「妹に届いていたらお前はここに来れてないだろ」
「違いない」
あの生真面目な従兄妹のことだ。
訳アリで婚約したという不誠実なことをしていると知ればすぐに飛んでくる。
説教というなの裁判が始まり、求刑は間違いなく
それまでの猶予がどれだけ残っているのかが不明。
「そろそろ戻らなくていいのか?」
「少しぐらい休憩させてくれよ」
不思議と気疲れはしないが慣れない状況に戸惑う。
「紅茶が冷めるだろ」
「わかったよ」
トレンチに乗せられたティーセット。
香りだけでいい仕事をしているのがわかる。
口が悪いくせに料理の腕は一級品だな。
「あ、そうだ。昼メシ時だし、アレを頼む」
「お前、本当にアレ好きだな」
「美味いからな」
どこの国の料理か知らないがここに来る時は毎回食べている料理。
最後の晩餐に何かを選べとと言われれば真っ先に思いつくモノ。
「お前な……ま、いいか。ほら、さっさと紅茶を持っていけ」
「へいへい」
やっぱり積もる話をするなら美味しいご飯は必要だろ。
◆
席に戻るとオルレアンが店内を見渡していた。
「すみません」
「お姫様にとってはこういう店は新鮮だったか?」
昔何度かあのバカを連れてきていたせいで麻痺していたが、もう少し格式高い店を選ぶべきだったな。
「ええ。ですが、落ち着いたいい雰囲気のお店。積もる話をするからピッタリですね」
こちらの思惑はお見通しってことかよ。
「お店の方とはお知り合いですか?」
「従兄弟だ」
「なるほど」
紅茶を出すと優雅に紅茶を飲む。
お茶を飲む時よりも様になっている。
「美味しいですね」
「お口に合ったようで何よりだ」
剣を置いて膝をつき合わせたほうが隙がない。
お姫様は伊達じゃないか。
「私に聞きたいことがあるじゃないですか?」
剣技と一緒で先手を取るのは変わらないようだ。
「そりゃあこの先夫婦になる、相手だからな。知りたいことなんて山程ある」
「ふふ。普段の隼人さんってわかりやすいですね」
「どういう意味だ?」
「夫婦になるではなく、夫婦になるかもしれないの言い間違えですよね」
少し言い淀んだだけで見透かされる。
油断ならないがこういう手合いには慣れている。
「そんなわけねえよ。こんないいお嫁さんが嫁ぎにきてくれるんだ。願ったり叶ったりだ」
「私にはお仕事をする方の目に映っております」
「面白いことを言うじゃねえか」
「わかりやすいですよ。特に家での会話。否定的だったのに東の姫が関わっているとすぐに受け入れた」
よく見ている。
剣を交えていた方が考えを読まれなくていいかもしれない。
「おそらく隼人さんは私の容姿にも地位にも興味がないでしょうし」
「いや別に。地位はともかく女性として魅力的だと思っているが?」
色々と面倒事を抜きにしたら付き合いたいレベル。
しかも、無条件で剣士として育てていいとか贅沢すぎる。
「その言葉に嘘はなさそうですね」
「どれだけ信用ないんだよ」
「まだ出会って二日ですからね。これからですよ」
その信用していない相手と婚約して家に住もうとしているのはどうなんだ?
「口では勝てそうにないな」
「剣で完敗しているのです。他で負けてはいられません」
「別に争う必要はないだろ」
「……それもそうですね」
すぐに矛を収めて紅茶を飲む。
負けず嫌い…………ではないな。
むしろ昔の……誰かと比べられるのは当事者としては気持ちのいいものではないよな。
――コンコン
「いいぞ」
「お待ちどうさん」
鏡夜がトレンチ片手に個室に入室する。
湯気が立った料理からは食欲を誘う香ばしい香りが漂う。
「ようこそ、シャノワールに。歓迎しますよ、アリシア姫」
料理をサーブする。
ムカつくくらい様になってるな。
「ありがとうございま――。まぁ、これは」
「ガレット。っと、アリシア姫には説明は不要ですよね」
「ん? どういう意味だ?」
ガレットとオルレアンに何か関係があるのか?
「悪いな。うちの従兄弟が自分の好物がどの国の料理か知らないバカで」
「いえ、むしろ狙って出されたわけじゃないとわかったので嬉しいです」
二人の会話内容がわからずに首を傾げる。
「ガレットはアトリシア公国の伝統料理なんです。どうやら縁はあったようですね」
「そのようだな」
狙わずして向こうの好感度が上がったようだ。
「では、ごゆっくり」
鏡夜が退室してからナイフとフォークを持つ。
俺よりも早くオルレアンが口に運んでいた。
「中身はほうれん草、ベーコン、そしてチーズですか」
先程までの油断ならない表情が綻ぶ。
やはり円滑なコミュニケーションには美味しいご飯が必要だな。
「まさか大和でアトリシア公国の料理を食べられるとは思いませんでした」
「大和は和食文化が根強い。特に中心部では他国の料理を出す店が少ないんだ」
あるにはあるが『その国の人を連れて行くとがっかりするんだよね』と元主がボヤくレベルだ。
「和食も美味しいですが、やはり慣れ親しんだ味は格別ですね」
自国の人の唸らせるとは。
鏡夜の料理レベルってかなり高かったんだな……。
「隼人さんは料理の方は?」
「これと比べられると困るがそこそこ。ただ他人に出すには躊躇うな」
お姫様に手料理を振る舞う?
考えたくもないが一緒に住むならそうは言ってられない。
「では、私が作りましょうか?」
「……」
お姫様の料理。
しかも、異文化のお姫様。
「凄い疑いの目ですね」
「悪いとは思っている」
「どうやら東の姫は料理が苦手のようですね」
「あはは……」
一度だけ元主が気まぐれで城の台所で料理を作ったことがある。
話の流れで食べたことになったが、あえて表現するなら『料理ではなく、科学実験の産物』だろうな。
「わかりました。さっそく今晩証明します」
「いや、無理はしなくても……」
今日は日曜日で病院はやっていない。
家の救急箱に胃薬あったかな?
「今、凄く失礼なことを考えていますよね?」
「そ、そんなわけないだろ」
魔法で心でも読まれたか?!
「……予定変更です。街の案内は後日でお願いします」
完食したアリシアは席を立つ。
「どこへ行く?」
「食材を買いに行く前にホテルに戻って荷物を取ってきます。隼人さんは家で待機していてください」
「……はい」
知らぬ間に地雷を踏んでしまったようだ。
怒らせた女性ほど後が怖いものはないので大人しく従うとしよう。
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