王国の王太子の話(レオフリート視点)

王国の王太子であるレオフリート・フォン・エッセンベルク視点



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あの絵本を初めて読んだのは、4、5歳の頃だっただろうか。

『英雄王と聖女』―今でも王国の子供たちに広く愛される児童書だ。初代の王と聖女が困難を乗り越え、圧政を強いていた魔王を倒し、王国を築いたという嘘のようで本当の物語。

幼かった私は、その史実に心の底から憧れを持っていた。

勇敢で、危険を顧みず自ら先頭に立ち、魔を退ける王。それを守護し、慈愛を持って傷ついた民を癒す聖女。手を取り合い、国をおこす2人。

いつか私も、こんな風に国を守れる王になる。そして隣には・・・聖女のような、優しく美しい女性がいてくれる。幼いなりに、そんな未来を夢見ていた。


王家に生まれ、私には兄弟がいなかった。だからこそ、王太子としての道を疑うこともなく歩んできた。

剣、魔法、学問、礼儀、それから政治まつりごと

父王に倣い、教師に教わり、時には臣下と切磋琢磨し他の誰よりも早く習得し、そして数多くの責務を背負った。眠る時間さえ惜しいほどに。

それでも、私には成し遂げたい夢があった。だから挫けず歩けた。初代の王のように、強く賢く、美しく生きたかった。


生まれながらに、風の加護があったのは幸運だった。昨今魔力はあっても杖も触媒も必要とせずに行使する魔法は、使いこなすのが難しい。そのため王国内では魔術師ばかりが増え、魔法使いは数を減らす一方だ。

しかし、私は内にある魔力をもって空気を感じ取り、自在に操ることができた。

剣との相性もよかったらしい。当時、剣術指南役を務め、現在は護衛であるカールに魔法剣の素質を指摘されたとき、自分の中の何かがはっきりと形を持った気がした。

これは、私にしかできないことだ、と。


ただ、成人を迎える年になっても。傍らにあるべき聖女はどこにもいなかった。

いや・・・1人、似たような少女ならいた。

マリアンヌ・フォン・アイスナー。侯爵家の令嬢で、幼い頃から式典や学舎、夜会で度々顔を合わせた。深い紫の瞳に、背で柔らかく波打つ銀の髪。彼女は『英雄王と聖女』に描かれていた聖女そっくりの容姿を持っていた。聖魔法にも治癒魔法にも秀でていて、聖女候補として長く教会にいたせいか、生粋の貴族にしては民を慮る慈悲深さすらある。


「彼女こそ、王国の聖女です」


教会の熱心な信奉者や古くからの貴族たちは、事あるごとに口を揃えて言った。

でも、惹かれなかった。子供の頃から現在に至るまで、これほどまでに聖女を求めているのに。

ただ、向けられた彼女の笑みに温度を感じなかった。いや、感じたくなかったのかもしれない。

・・・これではない。そう心のどこかで思いながら、私は忙しさを理由に多方面から勧められる婚約をかわし続けていた。



△▼△



そうして時が流れた。いつしか私は『夢』よりも『国』の現実に向き合うようになっていた。

そして今から一年と少し前、魔の国との国境に長く配されたハグマイヤー辺境伯が、攻め滅ぼされたわけでもないのに魔の国にくだったと聞かされたとき。

王太子としての務めよりも、一人の人間としての驚きが先に来た。なぜ? と、何度も自問した。

頻度は多くないが、式典でも顔を合わせたことのある辺境伯はいつも冷静で豪胆、同じく魔法を操る先輩として学ぶことが多かった。貴族らしさは薄いものの、彼自身は王に忠義を誓っていたはずだ。

けれど、確認のため送った書簡の返答は裏切りだった。

父王は王座の間にて、私に命じた。

 

「王国の威信にかけて、ダンジョンを制覇せよ。正式に聖女と認められた、アイスナー侯爵令嬢と共に」

「はっ」


そうして、マリアンヌを含むパーティと共に辺境伯が作ったという試練の地に向かって進み出した。


「ふふ・・・王太子殿下とふたりきりで馬車に乗る日が来るなんて。昔のわたくしに教えてあげたいくらいですわ」


祝典を終え、乗り込んだ馬車の中。

馬車の車輪が、石畳から土道に変わる音を拾い上げたとき、ようやく式典の緊張がほぐれた気がした。だが、真正面に座るマリアンヌの表情には、むしろ別の意味での余裕がにじんでいる。

笑みと共に差し出された手には、白いオペラグローブがはめられていた。私は視線を逸らし、その申し出を流す。式典後で、襟元は緩めたとはいえ互いにまだ礼装のままだ。さすがに今、身を寄せることはないだろうと思っていた。


「失礼。聖女様の信奉者達から、恨まれたくはない」


馬車の進行方向向かって右は私の護衛騎士であるカールが馬に乗っているが。反対側はマリアンヌの護衛であるルイスだ。自らも聖魔法を操る聖騎士であり、槍の名手だと聞いている。普段から目元を覆う兜を被っているため表情も読みにくく、注意が必要そうだ。


「昔から知っている仲だもの、もっと近くに座ってくださってもいいのに。ねぇ、レオフリート様?」

「知っているからこそ、互いにこの距離が一番落ち着くだろう。この先は揺れもあるし、重心が偏ると危険だ」


彼女の提案に、努めて平静に返す。だが、私の態度にさらに刺激されるのか、手を膝に戻したマリアンヌはどこか楽しげに小さく笑った。


「では、こうして見つめ合うだけでも充分、ということかしら」


まつ毛の陰から見上げるような視線。銀色に縁取られた濃い紫が光を宿している。それだけ見れば、慈悲深き聖女のそれだ。

・・・長らく馬車に共に揺られることになるのだ。はっきりさせておこうと心に決めて、私は重い口を開く。


「マリアンヌ嬢。私たちは使命のために旅立つんだ。それに、互いに婚約者もない」

「あら、さすがは王太子殿下。誰にでも誠実でお優しいのね」


赤い唇から返されるのは冗談とも、本音とも取れる言葉。返す言葉を見つけられず、今度こそ視線を窓の外へと向けた。遠ざかっていく王都の赤い屋根が、どこか現実味を失っていく。


「ねえ・・・レオフリート様」


その声音が、いつになく底に響いた。ふざけている風でも、媚びる風でもなく研ぎ澄まされた意志の刃のようなものを感じさせる。

なんら疑問はない。彼女は聖女候補の使命として魔物討伐に数多く参加している。正直、王太子として制約のある私よりも実践経験は多いだろう。

その振る舞いすら、信奉者を増やしているのだから頭が痛い。王家と、教会。民からの信頼など、バランスを取るのは私の政治仕事だ。


「もし・・・この旅で、あなたが大義と理想の狭間で揺れたとき。わたくしの言葉だけは信じてほしいの」

「どういう意味だ?」

「だって、あなたには国があるでしょう? でも、わたくしにはあなたしかいないのよ」


そう告げるマリアンヌの顔には、切なさと寂しさが貼りついていた。だが、それは本心をひた隠しにする表向きの顔である。たった1人の王位継承者として会議に、夜会に数々の辛酸を舐めた私は直感でそう思った。


「忘れないように、しよう」


それだけを返して、頬杖をついて窓の外に視界を固定した。どこまでも澄んだ空に、風が巻いている。何もかもを振り払うような速さで。



△▼△



「ようこそ、魔の国へ」


久しぶりに浴びた陽光は西に傾き、森に覆われて翳っていた。ダンジョンの奥底から地上に転移した私たちを出迎えたのは、シルクハットを胸に携えた緑髪の青年だった。臨戦態勢を解かない私たちにも臆することなく、深々と頭を下げたその男は自らを宰相—クリスと名乗った。


「陛下より、ダンジョンを初踏破された皆様のご労苦に敬意を、と申しつけられております。魔王城へ馬車をご用意しております」


森より伸びる石畳の道、その先に豪奢な馬車が二台控えていた。私達が普段乗るものよりも背が高く、彫刻は見覚えのないもの。肌こそ同じ色だが、従者らしき者も皆、角や長い耳を持つ異種族の特徴を持っていた。


「・・・あれに、乗るのか」


思わず漏らした言葉を、髪を整えていたマリアンヌが横から聞き咎める。


「レオフリート様、魔族たちが敵意を向けていないのは明白ですわ。ダンジョンに仕掛けられていた趣向は、彼らのものではないようですし」

「そう、だな」

「それに、何よりわたくし自身が守護を祈りますもの。ご安心なさって」


美しい銀色の髪を揺らし、マリアンヌは胸元のロザリオを握ってかざした。聖女としての威厳を見せるその仕草に、私以外のパーティメンバーたちは次第に従っていく。


・・・だが私の中の何かが、警鐘を鳴らしていた。

ダンジョンの最奥には、確かに元辺境伯のものとよく似た紋章があった。だが、それは荒れ果てた石碑のようで、今の魔王の政とは無関係と見える。

むしろ、ダンジョンが溢れるのを塞ごうとする入り口の方に、なんとなく魔王の意志が感じられたのだ。

考える。政治的には、歓待を受けた身で魔王陛下への礼節を欠くわけにはいかない。だが。

乗り込む直前、クリスにも従者にも背を向けてマリアンヌに耳打ちした。


「マリアンヌ嬢、用心はしてくれ。君の力を信頼して言うが、ここから先は何が起きるか分からない」

「ええ、分かっていますわ。けれど、魔王に会うのは今が好機です・・・レオフリート様、覚えておいてくださいまし。わたくしたちは、試しの門を越えた勇者と聖女。どんな相手でも臆することはありません」


微笑む彼女の紫紺の瞳は輝き、自信に満ちていた。私は頷き、扉が開かれた馬車へと足を踏み入れた。座席は深く柔らかく、窓から吹く風は微かな異国の香りを運んできた。


・・・鬼が出るか、邪が出るか。

ロザリオは手にしながらもひとつ欠伸をしたマリアンヌを横目に、私は剣を抱えたまま油断なくソファに腰掛けた。



△▼△



馬車に揺られること数日、漆黒の城壁をくぐった瞬間に私は思わず息を呑んだ。重々しい鋳鉄の門を抜けた先の、見渡す限りの景色が全ての想定を覆していたからだ。

日没直前の光を受けて石畳は赤く染まり、空には飛行種が滑空しながら移動し、店先では角を持つ老婆が菓子を売っている。小鬼の子どもが家路を急ぎ、背の高いエルフがそれを軽々と避ける。通りには笑い声が溢れていた。


魔都。長く王国ではそう呼ばれてきた。だが、耳に届くのは喧騒、雑踏、住人の生活音・・・それは、目さえ閉じてしまえば王都のそれと何も変わらない。


「・・・どういうことだ」


思わず漏れた声に、誰も答えない。マリアンヌは馬車の隅で静かに目を閉じていたし、他の仲間たちも皆、沈黙していた。おそらく、同様に困惑していたのだろう。

馬車は、中央に広場を持つ大通りを抜け、魔王城を見上げる高台の麓、石造りのホテルの前で停まった。すぐに、2回ノックの後クリスが笑顔で扉を開ける。


「長旅にお疲れでしょう。本日は貸切にして各々方おのおのがたへ部屋をご用意しております。浴場は地下、夕食はお部屋にて。ご一緒に取られても結構です・・・ご用があれば、ホテルの支配人に何なりとお申し付けください」


宰相は髪色こそ目立つものの、小柄な容姿や丸い耳、軽やかな声に違和感などなかった。しかし、私はどこか人間離れした気配を彼に感じ取っていた。マリアンヌがちらと横目でクリスを見て、人好きのする笑みを浮かべて歩み出る。


「礼を言うわ。清めも必要ですし、ゆっくりさせていただくわね」


湯に浸かり、汗と埃を落とした後、部屋に置かれていたフード付きのコートに袖を通した。意外と着心地がよく、私の肌にも馴染んだ。何より、街を歩く民と区別がつかない点が人目を避けるに都合が良い。

部屋を出たところでカールが反射的に止めようとしたが、私はコートの下の剣に手を置き、静かに言った。


「見て回るだけだ。帯剣はするし心配は要らん」

 

一応、外出することを他のメンバーに伝える。カールとは目で合図し、少しだけ距離を取ってついてくるように指示するとゆっくり城下町の通りに出た。



△▼△



昼とは違い、夜の街は柔らかい灯りに包まれていた。通りの角では焚き火を囲む長耳の吟遊詩人が琴を弾き、小さな屋台には青肌の少女たちが焼きたての串肉を並べている。小型のゴーレムが荷車を引き、路地裏には夫婦らしき二人連れが並んで歩いていた。

しかし、抱いた感想は昼と全く同じだった。

魔物、魔族が集う国という先入観からすれば、血と魔力と混沌の世界を想像していた。しかし、目の前のこの街にあるのは、驚くほど穏やかな日常だ。むしろ王国の王都より静かで、清潔ですらある。

すれ違う者達も、目深にフードを被る私に好奇の目を向けることはなかった。周囲を見渡せば他にもいるからだが、干渉されないというのは、ある意味で恐ろしい。

秩序の裏には必ず力が働く。秩序が保たれるには、恐れられる存在が必要だ。

―これが、今代の魔王の治世か。


歩みを止め、視線を上げた。闇の中、そびえる城の先にほんのりと光が差している。まるで、誰かが見下ろしているような感覚に、夜風のせいだけではなく肩がひやりと冷えた。

再び歩き出そうとした時、どこからか花の香りがした。目を向ければ、薄桃の花弁をつけた植物が店先に吊るされている。


「ナハト・ミステル。夜香草だよ、お兄さん」


ふいに声をかけてきたのは、店先に座っていた老ドワーフの店主だった。男は鼻が利くなと笑みをこぼしながら、小瓶を差し出してくる。


「安眠によく効く。慣れない土地じゃ眠れないこともあるだろう?」


一瞬迷ったが、ホテルで換金してきた銀貨を一枚差し出してそれを受け取った。


「ありがとう・・・この街は、その、意外だな」

「初めてのやつは大抵そう言う。だが、ここは魔王様が治める国でなおかつお膝元だ。どんな種族にも居場所がある。ただし」


立ち上がっても、私の胸ほどまでしかない小柄な男はそこで目を細め、言葉を低くした。


「筋を通せない奴には、容赦がない。それだけだ」


なるほど、と微かに笑った。それは、為政者にとっての当然だった。誰にでも優しくなどできない。秩序のためには、非情が求められる場面も必ずある。

もし、まだ見ぬ魔王がそれを本当に成しているのなら・・・仮に敵だとしても、見てみたいものだ。その器の中身を。そして、その王の傍にいる妻とは、いかなる存在なのかを。


その夜、ホテルに戻って部屋の窓辺に立ち、魔王城を見上げた。露店で購入した小瓶を、手の中で無意識に転がしていた。

流石に封を開けたりしないが、先ほど嗅いだ甘い香りが静かに夜の空気に溶けていく。

宰相の言うところによると、数日待てば魔王への謁見は叶うという。あの城の中に、すべての謎の答えがあるのだと信じて。

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