備える2人(ミュリエル視点)
「ミュリエル。お願いが、ある」
午後の日差しが差し込む執務室、昼食を共にして戻ってきてからすぐのタイミングで、アル様から声をかけられる。いつもの優しい声音には、ほんのわずかなためらいが感じられた。内心首をかしげながらも、静かに頷く。
「なんでしょうか?」
「僕に、お守りを作ってもらえませんか」
「お守り、ですか?」
真剣な眼差しに、自然と指先を膝の上で揃えていた。突然の申し出に戸惑いながらも、真っすぐ彼の顔を見つめ返していたら、膝が当たるくらいの近さに旦那様が座った。自分でも気付かぬうちに緊張していた指を、優しい手が撫でてくれる。
「常に身につけられるように、胸ポケットに入るくらいの小さなものが欲しくて。ミュリエルを感じられて・・・守ってくれるような、そんなものを」
言葉の最後が少し曖昧になる。あまり聞いたことのない声色に、どきりとしてしまう。目の前には、眉をそっと寄せて許しを請うような切なげな表情。
この表情をしているときのアル様は、その、色気がすごいのです・・・
だんだんと熱を帯びる頬を自覚して、膝の上で手を握った。
「わかりました。がんばって作ってみます」
「ありがとう。あまり気張らずに、ミュリエルが作りたいものでいいからね」
困ったら、他の人の力も借りていいから。
その言葉と共に優しく微笑んでくれる彼に、引き受けて良かったと心から思った。
アル様は、私に何かを強制したことはほとんどない。この国の文字を学びたいことも、刺繍がしたいことも、全て私の願いを受け入れてくださった結果だ。
そんな彼が、私を頼ってくれる。願いを口にしてくれる。自覚した瞬間胸がいっぱいになって、奮い立つ思いでした。
△▼△
その日の夕刻、早速図書室に向かいました。司書長のミネルヴァに許可をもらって、レネにも手伝ってもらって。古い魔導図鑑や護符の経緯についてまとめた本を読みました。
ページをめくりながら、魔の国においての『お守り』の意味と、それに込める願いの形を学んでいく。
目にとまった様々な形状、素材、図案をメモしつつ、私は頭を抱えました。
「うーん・・・」
どの図案も美しくて、それぞれの意味があって素敵です。けれど、これと思える答えが見つからずに、翌日訪れたのは衣装部屋でした。
常に新しい布と香油の香りが漂うこの場所で、アル様の親友兼忠臣であるトレーシーは衣服を仕立てています。
いつも、身にピッタリと合った服を生み出す彼なら、いい案を一緒に考えてくれそうな気がしていました。
事前に来訪を知らせていましたが、レネがノックをする後ろで少し緊張しながら応答を待ちます。
「失礼いたします」
「ああ、入って・・・どうした? ミュリエル様が1人でここに来るのは珍しいな」
真っ赤な髪を百合のベレッタでひとまとめにした彼は、白いシャツの袖をまくりながら慎重な声で迎えてくれました。少し、お疲れの様子です。お仕事が立て込んでいるのでしょうか。
私はちょっと申し訳なく思いました。
「お忙しいところすみません。少しだけ・・・お話を聞いていただけますか?」
「もちろん。ただ侍女も一緒にな」
そうして、私は勧められた椅子に腰かけるなり、レネの差し出す紅茶も待てずに昨日頼まれた内容を話しました。
男性の上着の胸ポケットに入るサイズのお守り。側に感じられて、守ってくれるようなもの。
話しながら、自分でもくすぐったくなるような気持ちが出てきて。それでも、彼の願いを真剣に受け止めたい。だからこそ、迷ってしまうことを正直に伝えました。
「それで、持ちやすくて・・・私を感じられるようなものって、どうしたらよいのかわからなくて」
対面して座るトレーシーは少しだけ唸りながら、握っていた裁ちばさみをテーブルに置いた。長い指が紅茶を手に取り、一口。
「うま・・・正直に言うが、ミュリエル様が作るものなら陛下はなんでも喜ぶぞ。だから細かな条件を言わなかったんだろうな」
「そう、でしょうか?」
「喜ぶに関しては
「なるほど・・・」
「ただ、デザインが可愛らしすぎると、常に持ち歩けないから意味ないな」
式典中、それが陛下のポケットからはみ出てたら俺は確実に二度見する。
真剣に考えすぎて、ちょっと前のめりな私に気付いてくださったのか、ポツリと漏らした冗談にくすりと笑ってしまいました。
いつもお仕事を真面目にされているのでわかっていますが、アル様と話す時の彼はとても楽しそうで、会話力に尊敬の念を抱きます。
うーん、としばらく二人で考え込んでいましたが、思いついたかのように、一つ案をくれました。
「魔力を込めた刺繍糸とか、古語の文様はどうだろう。思いのこもった言葉を編み込めば、目立たなくても意味は深くなる。陛下も、そういうの好きだから」
「古語の、言葉・・・」
「たとえば『共に有る』とか、そういった誓いの文だな。ムズイから正確な綴りは教えられないけど、言葉さえ決まれば下地に書くよ」
ずっと考えていたことの、目の前が開けた気がした。私は唇を結んだまま、ゆっくりと頷いた。
「トレーシー様、ありがとうございます。とても、素敵なものにできそうです!」
その日の夜、分けてもらったとっておきの刺繍糸と白い布をそっと箱から取り出した。糸は、白と黒の2色で白い方は草木染めの最中です。いい色になるといいのだけれど。
静かな寝室で、枕元の水晶の灯りだけが作業台と化したドレッサーを照らしている。
私が考え、トレーシーに書いてもらった古き言葉は願いでもあり、誓いでもありました。
針を通しながら、私の脳裏に浮かんでいたのはアル様と過ごした日々でした。
ー生きるのを半ば諦めていた私に、寄り添い優しい言葉をくれた。
ー何気ない日常、菓子を差し入れたときは穏やかな黒い瞳を輝かせて、完食してくれた。
ー夢にうなされて、心配げに起こしてくれた夜は深く尋ねず、ただぬくもりをくれた。
傍にいたいと思うのは、ただ守られていたかったからではない。今は与えられるばかりでも、少しでも返したい。役に立ちたいと、そう思うから。
私は糸を往復させながら、静かに願いを込めていく。周りの音も、景色も何も目に入らない。
薄いシルクの白布に黒羽色の糸で編み込まれたその言葉は、光を宿しているように見えた。
仕上げに小さなハーブ袋を内側に縫い込んだ。一息ついて、ううんと背伸びして。詰める予定の花たちを見やる。
窓辺に並ぶのは、セージと少しのラベンダーと、温室に咲いていた小花の花びら。こちらはまだ乾かしている最中です。
特別な香りではない。けれど、私らしさが出せていると思えるものができました。
△▼△
数日後、静かにそのお守りを掌に包み、彼の執務室を訪れました。
「アル様、お時間よろしいですか?」
「ええ、ミュリエル。どうかした?」
「できました!」
差し出したそれを、彼は大切そうに両手で受け取った。
お守りは、シルク布製の小さな香り袋。触れた瞬間、微かな香りが鼻をくすぐる。
「信じて、守る・・・」
「ふふ、私には読めないので、つづりが合っているようで良かったです」
言いながら、声がかすかにかすれる。緊張と、彼の手の中で温められた袋から、より香りが漂ってきたから。
何度見ても、刺繍の趣向の1つにしか見えない古き文字。中央に書かれたそれを丸く囲むレモンイエローの花たちは、実際に詰めてある花がモチーフになっています。
「それから、中には金木犀をメインにポプリを詰めました。糸も金木犀で染めたのですが・・・ちょっと、色が薄くなってしまって」
一応、全ての花にオレンジの糸で縁取りをつけたのですが見た目上、菜の花にも見えるので慌てて付け加えます。アル様は目を細めて頷き、かわいいよ、と花の刺繍を撫でてくれました。
・・・金木犀は、私の誕生花です。彼が知っているかはわかりませんが、秋の夜に香りだけではっきりと存在を知らせる、小さな小さな花なのです。
どきどきした心臓の音が、耳のすぐ奥でしているかのようで。反応を待ちます。
「・・・その、ご満足いただけましたか?」
「とても、素晴らしいよ。ありがとう、ミュリエル」
アル様は、ふんわりと微笑んだ。心から嬉しそうに、目元をゆるめながら。
受け取った香袋を、上着の内ポケットにそっと収めた。まるでそこが、いちばん安心できる場所だと知っているかのように。
「君がくれたハンカチを毎日ずっと持っているけど、これからは僕の胸の上に、いつでもミュリエルがいるだなんて」
「アル様!」
「ちょっと幸せすぎて目眩がしそう・・・」
その腕に抱きしめられて彼を見上げ、それからはにかんでいる自分に気づきました。
喜んでもらえたことが、幸せそうに微笑んでくれたことが、何より嬉しくて。
どんな時でも、どんなに離れていても。
私を一番大切にしてくれる彼のために在りたいと願った、誠実な願いです。
△▼△
後日、お返しにと頂いた包みを開けると、黒のビロードの生地に淡い紫の糸で刺繍されたバラの図案の香り袋でした。
思わず言葉の前に涙が出てしまって、アル様を慌てさせてしまったけれど。
上品で優しい香りと熱に包まれて、安堵してしまっただけなのです。
ーーーーーーーーーー
「今月の給料、見た?」
「ええ、寛大なアルディオス様に感謝なさい」
「・・・俺、刺繍針持ってる陛下初めて見たわ」
「!! なぜ私を呼ばないのです!?」
「めっちゃ上手かった」
(ただ誓いの言葉は慣れてきたから自室で、って言われて見せてくれなかったんだよなー・・・ミュリエル様、うっかりしてくれねぇかな)
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