再開と再演
────それは、とても不思議な場所だった。
音のない劇場。
時間が止まっているわけでも、空気がないという訳でもない。
ただただ音だけが存在しないその場所を、指揮者は歩いていた。
(私は死んだのだろうか)
と朧げな頭でぼんやりと考える。
ファントムに敗れ指揮棒を折られた所までは覚えているが、そのあとのことはさっぱり分からない。
気がついたらこの音のない劇場を目的地を忘れた亡者のようにフラフラと彷徨っていた。
捨てられていた缶を蹴り飛ばしてみる。
哀れな缶は何度か床の上を音もなくはねた後コロコロと転がり壁にあたるとそのまま静止した。
その缶から壁伝いを見上げると、演劇、オペラ、ミュージカル、様々ポスターが貼られている。
「空が堕ちた日」「星の亡霊」「追想のパレード」...そのどれもが今までの自分達の戦いの日々を想起させるものであった。
しかしその中に1枚、違和感を覚えるものがある。
「ふわっとフォルテ:アンコール」
今まで何度も見てきた単語だが、アンコールとはなんだ?
見てみるとそのポスターがはられた壁の横にはいかにも入れと言わんばかりに扉があるではないか。
指揮者は誘われるままにその扉の取手に手をかけた。
ガチャリ、とは鳴らなかったがそのような手応えで扉はすんなりと開いた。
部屋の中には観劇用と思しき長椅子が整然と並んでおり、その向く先にはこじんまりとしたステージがある。
果たして後ろの方の席はあのステージが見えるのだろうか、などと他愛もないことを考えながら指揮者が部屋に足を踏み入れると、おもむろに扉が閉まり照明が消える。
指揮者は言葉を失った。
真っ暗な劇場の中にあって唯一スポットライトによって照らされたあのこじんまりとしたステージの上には一脚の椅子。
そしてその椅子に座っているのは...
「エレノア!」
指揮者はそう叫ぶやいなや駆け出していた。
忘れもしない、あの日、あの時、瓦礫の中へ消えていったライバルの姿がそこにあった。
暗闇の中、階段で何度か足を踏み外しよろけながらもただ一点を見据えステージへとかける。
ステージ上の少女は気にとめた様子もなく、まるで幕が上がるのを待つ役者のように静かに手元の指揮棒を眺めていた。
指揮者がやっとの思いで自らの辿り着いた事をみとめた少女は静かに椅子から立ち上がり
「ごきげんよう、お会いできて光栄ですわ“新たな指揮者”さん」
と、まるで初対面のように言うと恭しく一礼した。
「君、君は、エレノアなのか?」
たずねながらも指揮者はどこか確信めいたものを感じていた。
近くで見ても目の前に佇む少女は、月の光を編み込んだようなしなやかな金色の髪も、陽光を浴びた海のように透き通った碧い瞳も、自信に満ち溢れたその声音も、指揮者のよく知るエレノア・アメリー・ド・リュトヴァロワそのものだ。
「私が誰か、なんて些細なことですわ。貴方が“そうだ”と思うなら、私はエレノアであるべきなのでしょう」
指揮者の問いにそう答えると少女は軽く息を吐くと靴の踵を合わせるとピンと背筋を張り姿勢を正す。
「私の名は、エレノア・フォン・アルトハイデ。この劇場の最初の観客にして最後の役者」
と高らかに宣言した。
その後小さな声で「いえ、“まだ役を降りていない者”とでも、言えばよろしいかしら」と付け足したがこれは指揮者の耳には入らなかった。
ただ状況が理解しきれずに呆然とする指揮者にどこからか取り出した指揮棒を握らせ
「さあ……“もう一度、開演を”。今度は、貴方の番ですわ」
と、そう言った。
気がつくと指揮者はファントムと対峙していた。
折られたはずの指揮棒はそのまま、まるで時間が巻き戻されたかのような感覚にめまいがする。
「オーホッホッホ!私のライバルともあろうものが情けないですわね!」
隣にはまるで最初からいたかのようにエレノアの姿があった。
周りを見ても誰もこの状況に疑問を持っている様子はない。
「では特別に私が手伝って差し上げましょう!ノブレスオブリージュですわ」
わけもわからないままエレノアに合わせて指揮棒を振り上げた。
【補足】
ふわっとフォルテ 第2部 第3章『月の檻』 第9話「もう一度、開演を」で起きた衝撃の出来事について話そう。
と言っても上で書かれたことが全てなんですけど。
エレノアとして生き、エレノアのように考え、エレノアのように振る舞う、エレノアのような誰か。
それはもうエレノアだろ。
しかし私達は第1部での彼女の最期を知っている。
ネット考察勢によると
・この架空のソシャゲ自体がひとつの演劇であり「エレノア」という役割を与えられた役者というメタ的存在なのではないか。
・何者かが彼女を演じている(AI、クローン、影、残響)。
・マジで【ジャスティス☆オブリージュ】エレノア仮面がエレノアと同姓同名の別人だった説
などが言われている。
因みに架空のソシャゲ本編では地の文がなかったのでこの時主人公が何を思っていたかは実は明示されていない。
音楽や効果音も流れず、背景描写だけで進みエレノアのセリフだけが聞こえるといった演出だった。
作者の思想が多分に反映された二次創作ということがわかる。
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