ファンタジー習作短編集

星 海里

魔王の番人

ジリジリと容赦なく照りつける陽光の下、仰向けになったまま空を見上げていた。

もう立つ気力も、息を整える余裕さえも残っていない。


そんな俺たちを一瞥し、副団長――クロエ様が鋭い声を響かせた。


「まったく……もう動ける者はいないのか! 王国の盾たる騎士団員が、これほど無様で恥ずかしくはないのか!!」


返事はない。うめき声すら、もはや風にかき消されるだけだ。

かく言う俺も黙り込む。ここで返事なんかしようものなら、「まだやれる」と判断され、再び地獄の特訓に引き戻されかねない。


俺たち十数名の団員は、今まさに“実戦訓練”――という名の拷問を終えたばかりだ。

副団長が一人で俺たち全員を相手取り、全力で叩きのめしていくという、おなじみの“儀式”。


倒れた者には鞭打つように回復魔法を浴びせ、精魂尽き果て動けなくなるまで、何度でも立たせては打ちのめしてくる。

まるでゾンビ扱いだ。


「……はあ。仕方ない。今日の訓練はここまでとする。動ける者から訓練場を整備し、順次引き上げよ」


そう言い残し、クロエ副団長は踵を返して歩き出す。

屍のように転がる俺たちを一顧だにせず、鍛え抜かれた背中を陽光に照らしながら、凛とした足取りで去っていく。


その姿を見上げながら、俺はかすれた声で呟いた。


「……もう魔王だろ、あれ……」


 


※ 


夕刻、職務を終えて詰所を出たとき、不意に目に入ったのは、古びた倉庫の裏手へと歩いていく副団長の姿だった。


こんな寂れた場所に、何の用がある? しかも、辺りをキョロキョロと伺いながら、妙にそそくさと歩いている。

これは……怪しい。きっと何かある。


そう直感した俺は、音を立てぬよう気配を殺してあとを追った。

倉庫の裏を抜け、小さな木立の影に身を潜めて様子をうかがう。


そして、声を聞いた。


「にゃーにゃー……お前はほんと、かわいいなぁ……あれ? お腹撫でてほしいのか〜? よーしよし、モフモフして気持ちいいねぇ〜」


……思わず噴き出しそうになった。いや、ほんとによく堪えたと、自分を褒めてやりたい。


そこには、小さな白い子猫と、頬を緩めきった副団長がいた。

猫を腕に抱きながら、ふにゃふにゃな声であやし、柔らかい笑顔を浮かべている。


誰だ、この人は。

俺の知ってるクロエ副団長は、鉄の仮面をかぶった、血も涙もない女魔王だったはずだ。

あんな風に子猫を抱きしめ、満面の笑顔で「モフモフ〜」なんて言う人じゃ、断じてなかった。


「お前は、いつもいいなぁ……可愛いなぁ……私も、お前みたいになれたらよかったな……」


柔らかくつぶやいたその声に、俺は息をのんだ。

猫をあやすだけじゃない。彼女は――話していた。誰にも見せたことのない、心の内を。


「もちろん……騎士であることは、誇りだよ? でも、だからって“魔王”だの“鬼”だの言われると……やっぱり、ちょっとは傷つくんだよ……こんなこと、誰にも言えないしね……お前だけさ、聞いてくれるの……」


その言葉に、胸が締めつけられた。

あの副団長が、弱音を吐いていた。孤独を滲ませていた。


思えば当然かもしれない。

王国の最高戦力。模範の騎士。誰からも恐れられ、尊敬される存在でいなければならない。

そんな彼女にとって、本音を吐ける場所なんて、どこにもなかったのだろう。

この場所と――この子猫だけが、彼女の「人間らしさ」を許される場所だったのだ。


それを思うと、この秘密を誰にも明かす気にはなれなかった。


俺はそっと背を向け、足音を立てぬようその場を離れた。

そして決めた。二度と、誰にもこの場所を教えない。誰ひとり、踏み込ませない。


副団長――いや、“魔王”が、唯一ただの女性でいられるこの静かな場所を、俺が守ろう。

あの猫と、彼女の笑顔を、誰にも壊させないために。


 


だから、俺は今日からこの場所を守る。

魔王の番人になると決めたのだ。

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