『起きて半畳、寝て一畳』 その③

 しかし、マグナリア市内は車が使えない。こういう時に素早い移動ができないのは辛いな――そう思っていた。


「よっしゃ! 行くぞぉ!」


 我々が『足』として使うことになったのは、人力車だった。

 ジーンが座席に乗る我々二人を牽引するというのだ。

 ただ、所詮は人力。そんなスピードは出ないだろう。


「でっぱぁ~つ!」


 そんなことはなかった。その細腕からは考えられないほどのスピード。一応、隣のエイラタンが回転灯を掲げてはいるが、これを規制しないなら車が使えない意味がないほどだ。


「うおっ!」


 カーブの度に、振り落とされそうになるのを、エイラタンが私の首根っこを掴み、引き戻す。


「あ、また発生。目的地変更!」


 ブレスレットでレーダーの遠隔読み取り結果を見たジーンは大きく右に方向転換する。

 今度こそ私は座席から吹き飛ばされた。間一髪で、エイラタンに腕を掴まれ落下は免れたが、片手で回転灯を掲げる彼女には私を引き上げる余裕はない。

 しばらく私は、座席後方からはためく旗のようになっていた。

 そんなフォーメーションでいた時間は長くはなく、すぐに更新された目的地へと辿り着く。


「こりゃあ、ひでぇな」


 土塊が道路一面に散乱していた。どうやら、ここで中規模の曲芸の催し物が開かれていたらしい。残っている曲芸師のワゴン、散らばった曲芸用の道具、楽器からそう察した。

 騒がしい曲芸師の一団、それを見物に来ていた客が彼女にとって『邪魔』だったのだろう。それを土塊に変えてしまったのだ。

 道の端には、その被害から逃げられたと思しき見物客や曲芸師がいた。彼らの表情には恐怖が張り付いていた。数多の人間が土塊に変わる瞬間を目撃したのだ、正気でいるのが不思議なくらいだ。


「とりあえず、残っている人に事情聴取した方がいいかな。次の反応がどこで出るか分かんねぇし」


 ジーンは人力車を離れ、残っている人の元へと向かう。エイラタンも降りて、同じようにするようだ。

 私はどうしようか。事情聴取の仕方など教わってはいないのだが、小説の取材をするのと同じ要領で聞けばいいだろうか。


「すみません。ちょっとお聞かせ願いますかね――」


 人力車を下り、道の端で蹲っている女性に声をかけた。

 すると彼女は顔を上げる。

 それは、エイラタンが書いた似顔絵とそっくりだった。


「っ!」


 私は、つい驚いてしまった。それがいけなかった。


「ちっ……『邪魔』」


 ぐりぃっ!


 私の体を、何者かが握った。その時、その巨大な者が、私の目に映り始めた。

 鹿の頭を持った人間のようではあったが、腐るを通り越し朽ち果てていて、原形が想像できない。骨と皮しかないが、肝心の皮は破れ垂れ下がり、時たま骨を露出させてしまっている、

 枯れた臭いが、鼻を衝く。


「うおぉ、お」


 それは、私を天に向かって投げようとした――その瞬間であった。


 ビシィッ!


 身じろぎしていた私が、ジャケットの下に身に着けていたチョッキに、それの皮が触れた。

 斥力のような物が、チョッキとそれの掌の間に発生した。

 これはマグナリア教会祓魔師部署の支給品のチョッキ――どこかの世界から流れ着いた防弾チョッキという代物なのだ。

 私はそれの掌を離れる――ただ、これだと。


「わぁ~っ! 落ちる落ちる落ちる落ちるっ!」


「はぁ~い」


 しかし、地面に激突する前に、私はエイラタンにキャッチされた。


「分かったでしょう? 異次元から来る悪魔という存在は、逆にこの次元のものにしか触れられなくなるんです。なので、今度はジャケットも異世界産の物にしましょう」


「あの、もしかして、体で覚えさせるタイプの職場ですか、ここは」


「いずれ、わかる時が来ますよ。今は、見ていてください」


 エイラタンは私ではなく、別の方向を向いた。それは少し離れた位置にいるジーンの方向であった。私もそちらを見る。


「よぉ、悪魔。以前別次元から流れ着いた本で読んだんだけどよ、悪魔ってのは『七つの大罪』ってやつで分別できるらしいぜ」


 ジーンは右手にトンカチ、左手にネイルガンを装備する。

 すると、彼の頭上に、鹿頭の悪魔と同じくらいの大きさの両の掌が現れた。それらは同じようにトンカチとネイルガンを装備していた。

 血管を浮き上がらせていて、赤い皮膚も相まってひどく怒っているように見えた。


「お前は、『傲慢』って奴かな。人間、生きてりゃ誰かしらの『邪魔』になるもんだけどよ、それを我慢するのが人間ってもんだぜ?」


 説法を聞きかねた悪魔は、ジーンに掴みかかる。

 その掌に、ジーンはネイルガンで釘を打ち込んだ。彼の頭上の掌も、同じように巨大な釘を打ち込んだ。


「!」


 怯む悪魔。しかし、容赦なくジーンは追撃していく。

 今打ち込んだ釘を、トンカチで更に打ち込む。頭上の掌も連動して動く。


「そうだよなぁ! 今まで抵抗しない奴らばかり狙ってきたもんなぁ! どうだぁ! 触れてはならぬ物をち込まれる気分はぁ!」


 悪魔は呻き、掌の釘を抜こうとする。だが、次々と体中に釘を打ち込まれ、まるでサボテンのようなオブジェに仕上がっていく。


「ぶもぉぉぉぉぉぉっ!」


 悪魔は苦痛の叫びを上げ、暴れまわる。ジーンは赤い掌に掴まり、時には足場にしながら、宙を駆け巡って躱す。その最中にもネイルガンとトンカチを使って悪魔に釘を打ち込んでいった。


「ヒャッハー!」


 ひどく楽しそうに、己の何倍の大きさの悪魔を圧倒していくジーン。


「すごい……というか、すごすぎてこれじゃあ」


「あまりに一方的、ですか?」


 その風景を見て私は呟く。その言葉を継ぐエイラタン。


「我々は悪魔の弱点を知っています。隠れている悪魔を見つけてさえしまえば、その後行われるのは『祓い』ではなく『狩り』なのですよ」


「『狩り』……『悪魔狩り』」


「だから、祓魔師ふつましという看板には多少の偽りありですね」


 いずれは私も、悪魔を狩れるようにならなくてはならないのだろうか。今闘っているジーンのように、圧倒的に、嗜虐的に。

 私を狙うあの悪魔を狩ることが、私なんかにできるのだろうか。


「まぁ、千里の道も一歩からですよ。これから頑張っていきましょう」


 エイラタンは気軽そうに言った。私は愛想笑いを浮かべ、頷くしかなかった。


「終わりだぁ! 『傲慢』なる悪魔よ!」


 悪魔の上空から飛び降りるジーン。ネイルガンで釘を打ち込み、そして落下の勢いに任せてその釘をトンカチで打った。赤い掌もそれに続いた。


「ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 頭頂部の罅が、釘だらけの全身へと容易に広がっていく。そして崩れるのと同時にそれは爆発四散した。


「いやぁぁぁぁぁぁ!」


 そして、悪魔と結託していた女も大きな悲鳴を上げ、そして逃げ出した。


「あ、待て!」


「追わなくて大丈夫です」


「いや、でも」


「大丈夫です……ですが、心配ならば、書いてみてはいかがですか?」


 エイラタンは女がいた場所から何かを拾い上げる。石のような物体だ。

 私は察知する。それはあの女に関わる何かで、それに触れれば私の能力が発動するのだろうと。

 私は意を決してそれに触れた。


■■■■


「はぁ――はぁ――はぁ」


 殺される。

 あの悪魔がやられたように、私も殺される。

 そう思い、死に物狂いで逃げる。


「はぁ――はぁ――はぁ」


 私は悪くない。

 悪魔のせいだ。私はただ、『邪魔』なものを排除しただけ。むしろいいことをしていたんだ。

 邪魔なものがいなくなればいなくなるほど、人は広々と生きられるのだ。

 だから私がしたことは正義だ。善だ。

 私は悪くない。


「はぁ――はぁ――はぁ――痛いっ!」


 足に、激痛が走る。

 私は転んでしまう。

 そして気が付いた。私の足が大きく抉れていることに。

 そしてその抉れている周辺は石のようになっていて、ぼろぼろと崩れていっていることに。


「いや! 痛い! 痛い!」


 石化してもなお、その痛みが続く。崩れ落ちた欠片もまだ生きていて、千切れた痛みを私に伝えてくる。

 崩壊が止まらない。痛みが倍加していく。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」


 そして私はやがて、ただのいくつかの石ころになった。

 だが、痛みと意識は続いている。

 それは多分永遠に続くのだろう。

 永遠に。


■■■■


「……これで、これでいいのですか?」


 あまりに残酷な結末に、私は思わず聞いてしまった。


「えぇ。異次元の悪魔と契約した時点で神の加護は外れます。その後何が起きるかは我々が知るところではありません」


「そんな……」


「厳しいですが、救いは善き者の所にしか訪れないものです。それに、忘れてはならないのは、我々は救い手ではなく祓魔師エクソシストでしかないのですよ」


 私は辺りを見る。

 彼女という呪いの主が砕け散った影響だろうか、土塊に変わっていた人々は元の姿に戻っていた。


「教会の者です! 怪我をしている方、体に不調がある方は申し出てください!」


 エイラタンは辺りに声をかけつつ、戻った人達の方へと行ってしまった。


「これだけの人々を助けられたからいいじゃねぇの。それ以上に何を望むんだい、ゲイリー?」


 こちらに来ていたジーンはそう言った。

 まだすべてに納得がいったわけではないが、私はただ頷くことにした。

 神は許してくれるのだろうか、悪魔と契約した彼女にまで平穏を望んでしまったことを。

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