天井のない空
melonアルバニー
第1話
トイレに向かって歩く蘭子の後ろ姿を俺は頬杖をついて見ていた。
蘭子は少しだけ左足を引きずっている。
5年前から思うように動かなくなってしまったらしい。
俺は蘭子と簡単に呼び捨てできるほど、歳をとっていない。
だからこうして心の中だけで蘭子から「さん」をとってみる。
俺は19歳になったばかりで蘭子は50歳なのだ。
今いるこのカフェの店員もさっきからチラチラと俺たちを盗み見をしている視線を感じた。
俺と目が合うと目を逸らし、でも、また懲りずに同じ動作を繰り返す。
その目線は俺を苛立たせた。
「もう出ましょう」
トイレから出てきた蘭子は俺を見下ろすように立ち、そう言った。
「座んないの?」
まだ蘭子の紅茶は飲みかけだったから俺はそう言ったが、蘭子の指には既に伝票が挟まれていた。
「出てもいいけどどこに行く?」
「どこにも。うちに帰る」
「久しぶりの休みなのに?」
「休みでも。必要がないのに外にいるの好きじゃないの」
これ以上何を言っても蘭子が帰ると言ったら帰るのだから俺はささやかな抵抗をやめた。
「わかった。外で待っててよ」
俺は蘭子から伝票を取り上げレジに向かった。
「あのカフェ最悪。ジロジロ見てきて」
カフェを出た俺はそう言って蘭子の手を取った。
「ジロジロ見られるのはあのカフェに限らないし、あの店員が悪いんじゃなくて、私たち単純に目立つのよ」
「そうかな。俺は目立つからって見ないけど」
「あなたはそうだから私みたいな女と付き合ってるの。普通は気になる」
「そんなの関係ないよ。好きになっちゃったのが蘭子さんなーの」
俺は冗談ぽくそう言っていつのまにか離されていた蘭子の手をもう一度繋いだ。
「あなたは若いから恥ずかしくないのかもしれないけど、私はこうするの恥ずかしい」
俺は蘭子の言い分を無視して手を繋ぎ続けた。
蘭子の手はとても暖かく俺の冷たい手が蘭子の温度全てを吸収してしまうようで少しだけ悪い気がした。
でも、蘭子によって俺の体温が調節されると俺はひどく安心した。
俺たちは黙々と家までの道のりを歩いた。途中、小さなスーパーで寄り道をした。蘭子は妙にスーパーが似合う女だった。
スーパーというか所帯じみた場所が似合う女だった。
それはもしかしたら蘭子が昔主婦をしていたからなのかもしれない。
正確にいうと未だに籍は抜いていないのだから蘭子はこの世の誰かの奥さんなのだ。
旦那から逃げる目的で蘭子はこの街に来たらしく、左足が不自由になってしまったのもその旦那に原因があるらしかった。
蘭子は不自由な足を庇うことなく、さっさと必要な物だけをカゴに入れて歩いた。
その蘭子の後を俺はまるで家来のように付いて回った。
俺は蘭子がまとめ買いをしているところを見たことがなかった。
この先絶対に必要になるものが特売で売られていてもその時に必要のないものに蘭子は目もくれなかった。
今日1日を精一杯生きれればそれでいいといったあまりにも欲のない生き方が身に染みているように見える蘭子を俺は不憫に思うことがあった。
天井のない空 melonアルバニー @mie0226
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