僕の家族

@nobuhiro5963

第1話

「おーいハジメ飯だぞ」

同僚のサトルが3階から降りて来た。

「ああ、今降りるよ」

ハジメは足場の上から返事をすると慣れた手つきで降りて来た。

「どお、そっちは」

サトルに聞かれて「まあまあかな」と答えた

サトルとハジメは同じ建設会社の社員だ。

二人共同期で、同い年なので気が合う。この日も都内のマンションの新築現場で作業をし

ていた。

「今日は何食べにいこっか?」サトルが聞くと「いいよ、いつもの牛丼屋で」とハジメが

答えた。「お前毎日同じのでよく飽きねーなー」サトルが関心した様に言うと「んーそお

?」とハジメが言ってヘルメットを足場で作ったヘルメット置き場に置いた。

二人で牛丼屋に向かいながら午前中の進み具合を話した。初夏の風が気持ちいい、スッキ

リ晴れた天気で現場仕事には最高の日だった

お昼時の混雑した店内で二人は並んでカウンターに座って話をしながら牛丼が運ばれて

来るのを待っていた。

「また子供の頃思い出しちゃったよ」

ハジメがサトルに言うと、

「またかよ、そういうのなんかの前ぶれかもよ」とサトルは冗談ぽく言って牛丼が運ばれ

て来たのを見つけて割り箸を掴んだ。

まもなくハジメの牛丼が運ばれて来て二人は食べる事に集中した。

その日の午後はさわやかな天気も手伝ってか、だいぶ仕事が進んだ。17時になって現

場の後片付けを終わらせてサトルとハジメは軽バンを止めた時間駐車場へ向かった。会社

に戻って次の日の段取りをして社長に進み具合を報告した。ハジメ達の会社は社長とハジ

メとサトルそれとおじさんが二人、おじさん二人は以前は外注さんでやってて二人共その

まま社員になった職人さんだ。だから基本的には一人で現場に行って一人で現場をこなし

ている。主にリフォームの現場だ。ハジメがいる建設会社は新築半分リフォーム工事半分

の会社だ。社長の考えで、自分でやれる事はなんでもやる。大工工事から電気工事、水道

工事、クロス工事、勿論必要な資格はなるべくみんなに取らせようとする。今流行りのス

タイルだ。なんでもこなす職人を多能工と呼ぶらしい。文字通り多くをこなす能力を持っ

た工事士だ。聞こえは良いが、要は雑工だ。でも極めるとそれはスーパー職人だ。と社長

はいつも言っている。それもこれも時代の流れだろう。ハジメ達の年代で職人をやってい

る方が珍しい。職人人口は減る一方でもう昔のように、おれは大工だとか俺は左官屋だと

か今は言ってられないのだ。一人で何役もこなさないと現場が回らず請負金額とにらめっ

こしても自分達の一日の単価がまともな金額では無くなってしまう。世の中にはそんな金

額で請負う方が悪いんだろうと言う人もいるが、オイオイ、そんな金額に下げたのは誰だ

よ、とうちの社長はいつも嘆いている。安く安くと言われ、泣く泣く頷いた金額がその後

の相場にされ、その後はそこから更に安く安くと言われるのだ。そんな事を続けていたら

世の中から職人がいなくなるのは当たり前の話でなぜそうなる前に気が付かなかったの


か、気が付いてもその波を止められなかったのだろうか、今更の話である。多能工という

選択は正しい選択なのか、社長は飲み会になるといつもその事を話す。おかげでハジメと

サトルも社長の影響を受け、まだ二人共27歳と言う若さで今後の建設業を本気で心配し

ている

元外注さんのおじさん二人は名前を斉藤清63歳、五十嵐正男65歳、二人共大工だ。

斉藤さんも五十嵐さんもその道でずっとやって来たせいか、あまり大工工事以外の仕事は

やりたがらない。以前飲み会の時に二人に聞いてみたことがある。斉藤さんは結構頑固な

人で「俺はずっと大工でやって来た。今更生き方は変えられねえ。」それもそうだ、と素

直に思った。五十嵐さんは人当りもいい人で、「うーん、ハジメちゃん、俺ももうちょっ

と若かったらハジメちゃんとか社長とかみたいに色々やってみたいとは思うんだよ。でも

きっと俺がハジメちゃんたちみたいに動こうとすると、きっと会社に対して迷惑をかける

ことになる。わかるかな?」

ハジメはその事をいつも考えている。

ハジメとサトルは初めから何でも出来る職人として社長に育てられて来た。いろんな資格

も取ったしいろんな仕事を覚えた。高校を出てからもうすぐ10年、ハジメちゃんもサト

ルちゃんもよくここまで覚えたわね。と事務をやっている社長の奥さんにも褒められた。

社長からすると、かなりドキドキだったらしい。普通は一つの職業を一生懸命に覚えて一

人前になって行くものなのに、あれもこれも色々言われて、よく辞めると言い出さなかっ

たものだ。と思っていたらしい。その事を考えると、きっと自分には一緒に悩んでくれる

サトルがいたし、上手く教えてくれた社長がいたからだと思う。実際現場では何も知らな

い若造二人も連れて歩いて、よく社長もブチ切れなかったものだと今考えると本当に凄い

社長だと思った。

サトルと次の日の朝の出発時間の打合せをして別れた。サトルもハジメも最初の三年間は

材料置き場のプレハブの2階に作った部屋に住んでいたが、プライベートが欲しくて四年

目に会社の近くのアパートを借りた。社長が家賃を半分負担してくれ、それを聞いたサト

ルが「俺もいいすか?」と社長の奥さんに聞いていた。社長の奥さんはサトルの行動に凄

くうけたらしく、笑いながら「サトルちゃんらしいわね。」と言っていた。結局サトルは

悩んだ挙句、自分と同じアパートに越してきた。「これじゃ意味ないじゃん」と言うとサ

トルは、「いいじゃん、寂しいんだよ。でも1階と2階だからいいだろ?」と言って自分

の行動を正当化していた。サトルの人懐っこさには本当に嫌味がない。素直を絵に描いた

ように裏表もなく誰にでも好かれる性格だ。ハジメもサトルが居たから田舎から出て来て

見ず知らずの場所で9年もやってこれたのだろう。

家に着いてシャワーを浴びて出掛ける準備をした。今日は月に一度の飲み会の日だった

。家の会社は毎月第一土曜日の夜に会議を兼ねた飲み会をやっている。社長が月に一回位

みんなで飲もうと言い出してかれこれ四年位続いている。勿論社長のおごりだ。近所の焼

き鳥屋と決まってはいたが、五十嵐さんと斉藤さんと別な現場に行っている為、こういう

会でもないとなかなか会う機会がない。ハジメは結構この会を毎月楽しみにしていた。

店に着くと、もうみんな揃っていた。


社長の挨拶があり、「みんなお疲れさん、これから段々と暑くなって来るから水分補給を

こまめにとるように」と言って乾杯した。

焼き鳥をかじりながら斉藤さんとサトルが魚釣りの話しをしていた。その話しを聞きなが

ら飲んでいると社長に「ハジメ、今度店舗工事をとろうかと思っているんだが、お前どう

思う」と言われた。

「そうですね、店舗は勝負が速いし良いとは思うんですが物にも寄りますよね。なんか宛

でもあるんですか?」ハジメが聞くと「んー前に設計の先生の仕事した事あっただろう」

「横浜の現場ですか?」「ああ、あの時の仕事を見て是非うちにやってほしいって言って

来てな」と言いながら社長も何とも言えない表情をしている。それもそうだ、その現場は

何の打合せもなく勿論工程も適当で何とか終わった現場だからだ。「社長がやるって言う

ならやりますけど」頭にあの現場がよぎる。

「うちとしては仕事だから断ることもないとはおもうんだが、みんなに負担がかかるのは

目に見えてるからな。みんなの意見を聞いてから返事しようとは思ってる。」五十嵐さん

はどう思う。「私はハジメちゃんと同じく社長がやるって言えば断る理由もありませんが

、せめて工程管理はうちでやらせてもらえないですかね」五十嵐さんも前回相当残業して

、なんとか終わった苦い思い出があるため、普段の五十嵐さんにはない位強い口調だ。魚

釣りの話をしていたサトルと斉藤さんも五十嵐さんの口調からただ事じゃないと思った

のかこっちの話に加わってきた。「社長マジすか?またあの設計さんの仕事やるんすか?

「いやいや、まだ決めたわけじゃないんだが前回の事があるからな、みんなの意見を聞い

てからにしようと思ってな」「俺は嫌ですよあんなめちゃくちゃな現場やりたくないです

よ」サトルは前回、会社を辞めたいとまで言っていたから当然の反応である。

「俺はやってもいいよ」予想外の発言があったのは斉藤さんだ。全員一瞬斉藤さんの顔を

凝視した。「店舗工事なんてそんなもんだ。まともな工程とれる現場なんかないよ。だか

ら普通より良い単価なんじゃねーか」

斉藤さんは頑固だが物わかりは良い。筋が通らない事に対しては絶対に曲げないが、仕事

がキツイとかそんな事には怒らない。いわゆる昔気質なのだ。そんな所に社長が信頼して

いるのも頷ける。

「社長だって良い単価の仕事だから断らずにみんなに相談してるんじゃねーか。その辺分

かってやれや」

みんな一呼吸あった後、サトシが「そっかそう言う事か、じゃあやって見る?」そう言う

と社長が「まあ斉藤さんの言う通り店舗工事はキツイ分単価が良いから助かるんだが、俺

はみんなが嫌なら断ろうとは思ってる。ただ五十嵐さんが言うように工程管理の件は、こ

っちから言ってみるのも手だと思うから先方さんに話して見るか、それで条件が変わるよ

うなら、またみんなに相談させて欲しい」

そう言うと社長は生ビールを一気に飲み干した。ハジメはそんな社長の事が好きだった。

お金の事だけを考えれば別に自分達に相談なんてしないで、今度の現場はここになった、

とだけ言えば済むのに、いつもこうやってみんなの意見を聞いてくれる。だからきっと五

十嵐さんも斉藤さんも自分より年下の社長の事を社長と認めてくれるのだろう。社長も凄


いがやっぱりおじさん二人も凄い人達だ。

ハジメは本当にいい会社に入ったなと思いながら、みんなのちょっと赤くなって笑ってい

る顔を眺めながら生ビールをのどに流し込んだ。

いつもの様に現場で作業をしていると社長がやって来た。定例会議に出る為だ。

「ハジメ、水分ちゃんと摂ってるか、のどが渇いてなくても一時間に一回は水分補給しろ

よ」社長の口癖だ。5月とは言え暑い日は汗をかく、ただマンションの中は日影が多く風

通しも良いのでこの時期はあまり休憩時間以外は水分を摂らない、トイレにも行きたくな

るし、のどが乾かないからなおさらだ。それも分かって社長が言っているのだろう。

「サトルは何階にいるんだ?」

「今日は4階に居ます」

「そうか分かった」

そう言うとスポーツドリンクを置いて4階に向かって行った。

時計を見るともうすぐお昼だった。まもなく4階からサトルと社長が下りて来た。

「ハジメ、社長がラーメン奢ってくれるって行こうぜ」定例会議が13時からなので3人

でラーメン屋に行く事になった。

お昼ちょっと前ということもあって、まだそんなに店内は混んでいなかった。3人でテー

ブル席に着き注文をする。ランチタイムはライス無料だったので3人共ライスを付けた。

「ところでこの前の話なんだがな」社長が水を飲みながら話し始めた。

「やっぱり請けてみようかと思う」

サトルとハジメがお互いの顔を見つめた。

「まじすか?」サトルが言った。

社長はその言葉に頷いて、こう付け足した。「もちろん、みんなが嫌だって言うならやめ

ようと思ってる。ただ先々の事を考えると、やっといた方が良いと思ってな」

「わかりました」ハジメがそう言うと

「じゃあ、やりますか」サトルも調子をあわせた。お昼を済ませた後、社長は定例会議に

出る為現場事務所へ向かった。サトルとハジメは時間駐車場に停めてある軽バンの中でさ

っきの話をしていた。

「ああ、やっぱやるのかー」

サトルが憂鬱そうに言うとリクライニングシートを倒し深く息を吐いた。「しょうがない

よ。社長が決めた事だし、社長もお金の事とか俺らには言わないけど、きっと色々あるん

じゃないの?」ハジメが言い「そうだな」とサトルも頷いた。そのまま二人共昼寝をした

ハジメは子供の頃の夢を見ていた。市民プールで友達と遊んでいる夢だった。最近よく子

供の頃の夢を見る、何故か夏休みの夢が多かった。キラキラと水面がゆれ、水しぶきの中

子供たちのはしゃぎ声が聞こえてくる、バシャバシャと水の音が聞こえ子供達が笑ってい

る。

アラームが鳴り、二人共体を起こす。

ハジメはまた子供の頃の夢を見た事を不思議に思っていた。

なぜこんなにしょっちゅう同じような夢を見るのか、最近はサトルに話してもからかわれ


るだけなので話さなくなっていた。

もしかしたら、何かの前ぶれなのか?前にサトルに言われた事を思い出していた。

午後の仕事も始まり、次第に夢の事など頭から離れて行った。

社長が定例会議を終えて戻って来た。

「じゃあハジメ、先に帰るぞ」

ハジメと4階にいるサトルに声を掛け、帰って行った。

その日は少し残業になった。他の職方との調整があるので、たまに残業になるのは仕方が

ない。サトルも下の階に降りて来て、二人で作業を進めた。

淡々と作業を進めていると、サトルが何気なく聞いてきた。

「ハジメ、お前好きな人とかいないのか?」

いきなりの質問にハジメの手が止まる。

「いや、ハジメは真面目だから仕事終わってからどっか行ったりしてないだろ。こんな仕

事だから現場で女の人に会う事もあんまりないじゃん。このままだと俺ら一生独身じゃね

え」

「んー確かにそうだな、彼女か、」

言いながらハジメの頭の中に高校生の時につき合っていた͡娘の顔が浮かんで来た。

髪は長いストレートで目鼻立ちがはっきりしていて、日本人離れした感じの娘だった。

ハジメの上京を期に別れてしまったが、特に嫌いになったから別れたと言う訳ではなかっ

た。彼女も東京の大学に進学しようとしていたのだが、親に反対され仕方なく田舎の専門

学校に通うことになった。当時はそれでも連絡はとっていたのだが、お互い新しい環境に

慣れるのに必死で次第に縁遠くなっていた。今頃どうしているんだろう。ハジメの脳裏に

当時の彼女の姿が浮かんだ。

「なんか変な事聞いちゃった?」

サトルがちょっと申し訳ないような顔で言った。

「いや、何でもない」ハジメは愛想笑いを浮かべて再び手を動かし始めた。

「サトルこそ好きな人いないのかよ」

そう言うとサトルがニヤッと笑って、「俺みっちゃんがいいなあって思って」

みっちゃんと言うのは、いつも社長のおごりで飲みに行く焼き鳥屋の娘だ。

「え?そうなの?だからたまに一人で焼き鳥屋に行ってんのかー」

なるほどとハジメは思った。一人で飲みに行っていったい何が楽しいんだろうと思ってい

たからだ。

「みんなには言うなよ。特におじさん二人に知られるとうるせえからよ」

そういうとサトルはわざとらしい顔をしてみせた。

2時間程残業をして、次の日の段取りをすませると二人は現場を後にした。

会社に戻ると事務所にはまだ明かりが灯っていた。

「お疲れ様です」ハジメとサトルが中に入って行くと、社長とおじさん二人が例の店舗工

事の話をしていた。社長が設計事務所に連絡を入れると、早速一件図面を貰って来ていた

ハジメもサトルも余程その設計事務所の仕事をやる人がいないんだなあと思った。

「で、工程管理はこっちでやれる事になったんですか?」五十嵐さんが聞くと、


「それは大丈夫だ。それどころか助かりますって言われたよ。勿論現場管理費は出してく

れるそうだ。それでだ、」そういうと社長は全員の顔を見て

「現場監督をハジメかサトルのどっちかにやって欲しいと思っている、で、五十嵐さんか

斉藤さんにその現場に入って欲しいと思うんだがどうだろうか」

「新築マンションの方はどうするんですか」ハジメが聞くと

「そっちは俺がフォローする」と社長が言い「まあ今決めろとは言わないから、ちょっと

みんな各自で考えてみてくれ。ただ店舗の方もあまりのんびり構えてられないから、今度

の土曜日にまた話そうか」そう言ってみんなの目を見た。

アパートに帰りながらサトルが「どうする」と聞いてきた。ハジメは少し考えてから、「

いいよ、俺が行くからサトルはマンションの方頼むよ。」と言った。サトルが例の設計事

務所の事をあまり良く思っていないことをハジメは分かっていたので自分が行こうと思

ったからだ。

「いいのか?」サトルはほっとした顔をしてハジメの顔をみた。

「ああ、どっちにしても会社でやるって決めたんだし、やるしかないもんな、ただきつく

なったら助けに来てくれよ」ハジメはニヤッと笑ってサトルの顔をみた

部屋に帰ってから、ハジメは高校生の時に付き合っていた彼女を思い出していた。

ずっと忘れていた。いや、思い出さないようにしていただけかもしれない。今となっては

どうしようもないのだが、今更ながら後悔していた。あの時自分も田舎にとどまっていた

ら別な未来が見えていたかもしれない。そんな事ありえないのだが、やっぱり考えてしま

う。ハジメは自分の優柔不断につくづく馬鹿だな俺と思っていた。

その夜また子供の頃の夢を見た。

やっぱり小学校の夏休みの夢で、みんなでカブト虫を採っていた。サンサンと降り注ぐ太

陽の日差しの中、森の中に入り足元の葉っぱの下を掘った。昼は土の中に隠れて寝ている

、のを子供達は知っていた。長靴を履いて小さなスコップと虫かごを持って一生懸命探し

て歩いた。一度ハジメはオオクワガタを捕ったことがあった。その日は凄い金額になった

。4人で行って一人2000円を超えた。

本当に宝探しだった。一攫千金だった。大人がギャンブルにハマるのも今なら理解できる

翌朝目が覚めると、布団の上でボーっとしながら昨夜の夢を思い返した。もうあの時代は

帰ってこない、なのにあの頃の夢をよく見る

田舎に帰りたいのかな?自分ではそんな事考えてないつもりだが、何か引っかかっていた

「おはよう」ハジメが会社に着くとサトルが缶コーヒーを飲んで待っていた。

「おはよう」サトルが眠そうに答える。

車のエンジンをかけ、いつもの様に他愛もない話をしながら現場に向かった。

朝礼を終え、昨日の現場を見た後サトルの居る4階に移動するため、ハジメは一度一階に

ある材料置き場に降りて行った。材料置き場を整理していたその時、「あっ!」と言う声

がして、声が聞こえた上を見上げようとしたその時、ゴンと言う鈍い音がしてハジメの目

の前が暗くなった。

現場が騒然となった。材料置き場の横にあったプレハブの休憩室から人が出て来る。騒ぎ


が聞こえた各階の廊下にも作業をしていた人が次々に顔を出す。四階にいたサトルも顔を

のぞかせた、その瞬間サトルの顔が青ざめた「ハジメ!!」

サトルの顔に冷たい汗が流れて来た。

あわててサトルは一階に向かって走り出した

途中足場のパイプやら作業員やらあちこちに体をぶつけながら降りて行った。

ハジメはその姿をボーっと見ていた。

「あれっ!何で!」

わけが分からなかった。自分が倒れている。それを自分が見下ろしている。周りに人だか

りが出来ていて、騒いでいる。と、そこにサトルが人だかりを掻き分けて来て、しきりに

何かを言っている。騒然とした中、人々の声がただの雑音にしか聞こえない。サトルがハ

ジメの体をゆすろうとして、誰かに何か言われている。血は出ていないようだ。なぜかハ

ジメは自分を見下ろしながら冷静に状況を見ていた。

雑音が続く中、救急車が到着した。

救急隊員が降りて来てハジメの所に近づく。

サトルが大声で何か言っているが周りの雑音の中にまぎれて何を言っているか分からな

い。救急隊員がハジメを救急車に乗せようとしていると警察官が二人やって来て何かを話

している。警察官と救急隊員が何かを話してハジメが救急車に乗せられて走り出していく

はっとしてハジメも後を追いかける。救急車を目で追いかけると、救急車の屋根の赤色灯

がやけにまぶしい。近くのわりと大きめの病院に救急車が横付けされると後ろのハッチを

開けてハジメがストレッチャーに乗せられ病院の中に連れて行かれる。

追いかけて行くと何やら色々検査を受けている。今、ハジメを見下ろしているハジメは事

故のせいだろうか、上手く脳が働かなかった。検査を受けている自分を見て、なんで自分

が自分を眺めているのか、今ここで寝ているハジメを見ている自分は何なのか、考える能

力が欠けている感覚だった。何もかもぼやーっとしていて、まるで酒を飲んで酔っている

様な感覚だった。

そう言えば現場はどうなっているんだろう。

そう思った瞬間、現場にいた。

サトルと社長がプレハブの休憩室で何かを話している。何を話しているんだろう。と思っ

た瞬間、プレハブの休憩室を上から眺めていたハジメは休憩室の中にいた。

「で、その時ハジメは息をしていなかったのか?」

「はい、してなかったです。」

「そうか、分かった。とりあえず病院に行こう」社長とサトルは休憩室を出て行った。

現場は作業を中断していた。警察が現場検証を始め、作業員は皆困った顔をしてそれを眺

めていた。一人青ざめた顔をして震えている作業員がいた。きっと上から物を落とした本

人だろうと思った。

ふと何を落としたんだろうと気になって警察官が持っている物を見ると足場の単管パイ

プだった。

ハジメはボーっとしながら考えた。


そうかーこれが落ちて来たのかー

あまり考える力がない頭で何となく理解しようとした。

それが落ちて来て自分に当たって気を失ったのか。

ハジメは、自分は気を失っているのか、と理解し始めた。その時物凄い頭痛に襲われ、意

識は暗闇の中に消えて行った。

ハジメが気が付くと病院の中で寝ている自分の姿があった。相変わらず自分はふわふわ

した感覚でそれを天井から見下ろしている。

社長とサトルが丸椅子に座って寝ているハジメを見ている。何となく理解し始めた。今の

自分は意識だけここにいるのか?だとしたら自分は死ぬのか?段々とハジメの意識がは

っきりしてきた。つまり自分はパイプが落ちて来て頭にあたり、今ここに気を失っている

のか、その時また物凄い頭痛に襲われて気を失った

気が付くと何も状況は変わらずハジメはそこに寝ていた。ハジメは考えた。そこに寝て

いる自分に帰れれば元に戻るのか?

映画の世界みたいにそこにぶつかって行けば戻れるのか?ハジメは試してみる事にした

ベットに寝ている自分に思いっきり突っ込んでいった。ズキンと何かにぶつかる感触があ

って弾き飛ばされ、目の前が暗くなった

気が付くと何も変わらなかった。

何回も何回も同じ事を繰り返した。

そのたびに弾き飛ばされ気を失った。

「くそっ」

舌打ちをして悔しがった。

何か方法は無いのか?ハジメは考えた。

考えると、物凄い頭痛に襲われる。

段々と気が遠くなる。

そして、そのまま気を失った。

どの位の時間が過ぎたのだろう。

窓の外は暗くなっていた。

ベットに横たわっている自分は相変わらずそこに寝ている。ベットの脇には花が花瓶に挿

してあった。

誰か来たのか、ふと、ハジメは会社のみんなが気になった。

様子を見に行ってみるか。

外を見た瞬間、会社にいた。

「えっ」

何だ?ハジメは理解できないでいた。

今病院の中だったはず。もしかして、

ハジメは目を閉じてベットを想像した。

目を開く、

ハジメが寝ていた。


「やっぱり」

もう一度目を閉じて会社を想像する。

目を開く、

「やっぱりだ」

俺、瞬間移動してる。

「すげえ」

思わず声に出して喜んだ。いや、喜べることでは無いはずなのだが、とにかく凄いの一言

だ。

会社の中には全員がいて今後の事を話している。

「とりあえず明日から一週間は現場が止まるそうだ。」

「サトルはその間、五十嵐さんと斉藤さんの現場に応援で入ってくれ。」

そう言うと社長は席を立ってトイレに入った。

「とりあえず明日は俺の現場手伝ってくれるかい」五十嵐さんがそう言うとサトルが「分

かりました。何か持って行くものありますか?」と尋ねる。

「いや、材料はみんな現場にあるから自分の腰道具とインパクト位で大丈夫だよ。明日の

朝7時30分に出ようか」

「わかりました」

そう言ってサトルが席を立とうとすると社長がトイレから出て来て、みんなで飯でも食い

に行くか?酒はやめとこうな、と声を掛けた。

「そうだな」

と斉藤さんが立ち上がり、五十嵐さんもサトルもそれに続いた。

いつもの様に近所の焼き鳥屋に行くと、

「いらっしゃい」といつもの笑顔でみっちゃんが出迎えてくれた。

「皆さんお揃いで、第一土曜日じゃ無いのに珍しいわね。ハジメ君はいないのね。」事情

を知らないみっちゃんが何気なく言った

「いや、今朝現場でハジメが事故にあっちゃってね。今病院に入院してるんだ。」そう社

長が言うと

「えっ、大丈夫なの?」

「うーん、頭ぶつけちゃったからなぁ、ヘルメットは被ってたんだが、けっこう上から降

ってきたからなぁ」

「降って来たって何が降って来たの?」

御通しを持って来て、みっちゃんが聞くと、

「いや、鉄パイプが降って来たんだよ」

「えっ?鉄パイプ?」

「鉄パイプが降って来たの?」

よほど信じられなかったのだろう、

「ああ、ただ縦に落ちてきたらやばかったそうなんだが、幸い横でぶつかったそうだ。だ

から外傷は殆どないんだが、脳にかなりのダメージを受けたそうだ。」

みっちゃんの顔が白くなって行くのが分かった。


それを見た社長が、

「まあ、医者の先生が言うには脳の腫れが引いて来れば状況が変わって来るかもしれない

とは言ってたんだが、」

今日一日で社長は何回この話をしたんだろうと聞いていたサトルは思った。

昼過ぎにはハジメの親が来てこの話をし、その後現場事務所に行ってこの話をし、警察署

に行ってこの話をし、労働基準監督署に行ってこの話をし、相当やつれた顔をしていた。

社長にとっても大変な一日だったんだなとサトルは思った。そしてそれを上から眺めてい

たハジメもまた同じ思いでいた。

「私、明日お見舞いに行ってみます」

そう言うと社長に病院名を聞いていた。

「まぁ色々あった一日だったがお疲れさん」

そう言うと社長はみんなに気を使ってか明るくふるまってノンアルコールビールを喉に

流し込んだ。

五十嵐さんも斉藤さんも元々口数が少ないせいか静かに飲んでいた。

静まり返ったその場に耐えられなくなったサトルが口火を切った。

「社長、ハジメの意識が戻らなかったら予定してた店舗工事の方はどうするんですか?」

「ああ、今俺もそれを考えて居た所だ」

「今回は降りるしかないか、五十嵐さん、斉藤さんどう思う」

「俺は社長が降りるっていうなら反対はしないよ。ハジメちゃんが頭で入る予定の工事だ

ったしな、」と五十嵐さん。

「斉藤さんは?」

「そうだな、俺も社長が辞めるって言うなら反対はしないが、やるって言うなら、もうす

ぐ俺の入ってる現場も落ち着くから俺が代わりに頭張っても良いぜ、但し俺一人じゃ無理

だな、そんな体力残ってないよ、この年じゃ、外注入れるか、サトルに補助してもらうか

しないとやりきれないだろうな。」

社長はずっと何かを考える顔をしていると、コップに入ったノンアルコールビールを流し

込み、

「そうだな、せっかく縁あって貰った話だ、やって見るか。」

社長の顔は何か吹っ切れたような顔になっていた。

「斉藤さん、頼めるか?」

「ああ、任せておけ」

「それとサトル、斉藤さんのフォローしてくれるか?」

「ええ、マジすかー」

「おいおい、そこは任せとけ。だろ」と五十嵐さん。

「分かりましたよーやりますよーでもマンションの方はどうするんですか?」

「そっちは俺と外注さんで何とかする」と社長が言い、ちょっとだけ明るい雰囲気に戻っ

た。

「これでハジメが無事に目を覚ましてくれれば最高なんだが、」社長はそう言うとみっち

ゃんにノンアルコールビールのおかわりを催促した。


ハジメはその一部始終を見て申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

自分さえ事故に遭わなければこんな事にはならないはずだったのに、みんなに迷惑をかけ

る事もなかったのに。悔やんでも悔やみきれないもどかしさが全身を駆け巡った。

焼き鳥屋の晩飯を食べ終わりサトルがアパートに帰るとハジメの部屋の明かりがつい

ていた。なんで明かりが点いているんだ?と思い部屋の呼び鈴を鳴らすと女の人の声が聞

こえた。

ドアが開いて中から顔を覗かせたのは中年の女性だった。

サトルは戸惑いながら「あの、ここ、ハジメの部屋じゃ」

中年の女性は「あ、もしかしてサトル君かしら」と言い「あ、はい」と返事をする。

「息子がいつもお世話になってます」と言い、

お辞儀をされた。

「あ、ハジメのお母さんですか?」そう言うとサトルもお辞儀をして返した。

「暫く御厄介になります。社長さんには無理を聞いて貰って、すみません、ここから病院

に通うのが一番かな?と思って無理なお願いをしちゃいましたの。」

「そうだったんですか?すみませんこちらこそ誰もいないはずの部屋の電気がついてた

もので、泥棒でも入ったのかとおもっちゃいました」

頭をかきながらサトルは答えた。

「せっかくだからお茶でもいかが?」

そう言うとハジメのお母さんは部屋に通してくれた。

「ちょっと片付けしてたから、散らかってるけどごめんなさいね」

そう言いながら小さい一人用の鍋でお湯を沸かしてくれた。

「こちらこそ夜分遅くにすみません。」

サトルは自分の部屋よりずっと奇麗に片付いているハジメの部屋を見ながら言った。

そう言えばアパートに越してからハジメの部屋を見るのは久しぶりだなと思った。

「サトル君の事いつも電話で話すのよぉ。現場であった出来事とか、サトル君の田舎の話

とか、だからなんか初めて会った気がしないわね」

そう言うとハジメのお母さんはお茶を二つ持って来てサトルに渡した。

「そうなんですか、ハジメのやつお母さんには何でも話してるんですね。俺なんて殆ど家

に電話したことないですよ」

「ハジメは寂しがり屋だからね、寂しくなると電話してくるのよ、親はその方が安心だけ

どね。サトル君もたまには家に電話してあげないとだめよ。親は何時でも心配してるんだ

から。」そう言うとハジメのお母さんはにっこりとほほ笑んだ。サトルはハジメとの9年

間を事細かに話をして聞かせた。気が付くと夜の11時を廻っていた。

「遅くまですみませんでした。楽しかったです」サトルがそう言うとハジメのお母さんが

「いいえ、こちらこそ楽しかったわ。ハジメは良い友達がいて良かったわ。また話し相手

になって頂戴ね」そう言ってサトルに次の日の朝御飯に買って置いた菓子パンを渡した。

サトルは自分の部屋に戻るとシャワーを浴びてハジメのお母さんとの話を思い出した。

ハジメの小さい頃の話を一生懸命に話して聞かせてくれた。小さい頃身体が弱かった事、


よく熱を出して寝込んだ事、丈夫な子に育ってくれる様に体操教室に通ったこと、海水浴

に行って熱を出して帰って来た事、運動会のかけっこで1番になった事、夏休み中に子供

達でカブト虫を採りに行っていた事、それを売って小遣い稼ぎをしていた事、高校生の時

に彼女が出来た事、親は子供の事を見て無い様でしっかり見てるんだな、とサトルは思っ

ていた。明日、久しぶりに家に電話をしてみようかなと思った。

次の日サトルは約束した7時30分に会社に行くと、五十嵐さんが待っていた。

「おはようございます。」サトルが声を掛けると「おはよう、朝飯食ったかい」五十嵐さ

んの口癖だ、「はい、昨日の夜ハジメのお母さんに菓子パン貰ったんで今朝は食べました

「ハジメのお母さん?」

五十嵐さんも斉藤さんもハジメのお母さんがハジメの部屋に居る事は知らないので、昨日

の出来事を現場に向かう車の中で聞かせた。

「ああそう、ハジメのお袋さんハジメの部屋に泊まってるのか、まあそれが一番いいよな

「そうですね、俺もそれが一番良いと思います」

そんな話をしている内に現場に着いた。

五十嵐さんの現場はリフォーム工事が多い為基本的に作業は9時からだ。近所からクレー

ムが来るからである。

現場に入ると取敢えず今日の作業内容の説明をしてくれた。それから時間まで少しの間、

休憩となった。

「ハジメちゃん早く目を覚ますといいな」

五十嵐さんが何気なく呟いた。

「そうっすね」サトルが答える。

「今日、仕事終わったら行ってみますよ」

「そうだな、俺もなるべく行ってみるかな」

そう言うと時間も9時になったので作業を始めた。

病室ではハジメが横になっていた。

相変わらず気を失ったままで、腕には神経を落ち着かせる点滴を打っていた。

それを昨日同様上から眺めていたハジメが何とか自分の身体に戻る方法を考えていた。

瞬間移動が出来る事がわかったハジメが昨夜あちこちを飛び回っている時ふと、ガラスに

映る自分の姿が薄くなって居るような気がした。気のせいか病室のガラスに映る自分は濃

く映るような気がした。

何だか怖くなったハジメはなるべく病室に居ようと思った。何か分からないが凄い恐怖を

感じた。

そこにハジメのお母さんが入って来た。

ハジメの部屋の掃除を終えて、面会に来たのだ。

ハジメのお母さんは部屋に入ると花瓶の水を取り換えハジメのベットの横にあるパイプ

椅子に座りハジメの顔を眺めた。

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