第23話:金は貸すもの──ギルド銀行の誕生
朝の執務室。窓から差す光で、机の上の硬貨が小さくきらめいた。
魔鉱貨、帝国金貨、銅貨——形も重さも違う金属が、散らばったまま動かない。
「これが最初の壁だ」
加賀谷零は椅子に浅く腰を掛け、硬貨を指で弾いた。澄んだ音が一つ。
「通貨はそろった。けど人はまだ、どれを信じればいいか迷ってる」
リィナは向かいで帳簿を閉じる。
「共通通貨を作っただけでは不十分、と?」
「ああ。次に越える壁は“払ってもらえる”という信用だ」
加賀谷は羊皮紙に二本の線を引いた。
「商品があっても現金が足りなきゃ取引は止まる。だから後払いを保証する“封印手形”を用意する」
「魔法で改ざん不能にするのですね」
リィナの瞳が光る。いつしか彼女は数字の議論に物怖じしなくなっていた。
「最後の壁は資金源。店を開きたくても元手がない連中が山ほどいる」
加賀谷は新しい紙を取り出し、中央に大きく“銀行”と書いた。
「貸す場所を作る。利息は初年度ゼロ。黒字になったら利益連動だ」
「商人ギルドは渋りますわ」
「利で動く相手だ。儲け口を見せれば黙る」
そのやり取りを後ろで聞いていたミロが小さく手を挙げた。
「れいしゃちょー、試算は出てます。預金が集まれば一年で貸付原資は三倍に膨らみます!」
「よし、実行だ」
◇ ◇ ◇
数日後。王都の中央通りに新築の石造りが完成した。
《ギルド信用取引所》——扉が開くと同時に、行列ができる。
「利息ゼロって本当か?」
真新しい窓口に、あごひげの商人が身を乗り出す。
「初年度は利息なし。黒字になったら返済の二割を納めてもらいます」
案内役のギルド員が封印手形を差し出した。淡い魔法光が走り、偽造防止の紋章が浮かぶ。
「二割? 帝国の金貸しは五割取るぞ」
背後の農夫が目を丸くする。
「払えないときは?」
「倉庫を魔導で封印します。返済が済めばすぐ解除」
ギルド員は淡々と答えた。
列の最後尾にいたレオン・グレイブが、頬杖をついてにやけている。
「利息ゼロに担保封印。これじゃ古株の金貸しが泣くわけだ」
加賀谷は肩をすくめた。
「金の流れは早い者勝ちだからな」
◇ ◇ ◇
夕刻。行列が途切れた取引所の二階バルコニーで、リィナが街を見下ろした。
朝は閑散としていた通りに、荷車が行き交い始めている。
「……動いていますわね」
陽が傾く石畳に、彼女は小さく笑みをこぼした。
「通貨——信用——融資。三つそろうと、本当に人が動くのですね」
「血が巡り始めただけだ」
加賀谷は隣に立ち、遠くを指さす。
「次は、運ぶ血管と、働く筋肉を作る。自由都市と雇用市場だ」
リィナは風に揺れる髪を耳にかけ、真剣な横顔を見つめた。
「そのときは、わたくしも前線に立ちますわよ」
「頼りにしてる」
加賀谷は短くそう言い、歩き出した。
魔鉱貨の音が、夕暮れの石畳に小さく響いた。
魔鉱貨の澄んだ音が石畳に跳ねる。
加賀谷が歩き出そうとしたとき、リィナの袖がそっと彼のマントをつかんだ。
「大公閣下。せっかく街が動き出したのですもの、わたくしたちも“お金を回す側”になりませんか?」
加賀谷は目を瞬き、すぐに口角を上げる。
「――いい提案だ。自分たちで火を入れないとな」
◇ ◇ ◇
夜の王都。中央通りは、魔導灯と屋台の明かりで昼間以上ににぎわっていた。
香ばしい串焼きの匂い、焼き菓子の甘い香り、行商人の威勢のいい声。魔鉱貨が小気味よくやり取りされ、通りは活気に満ちている。
「まずは、あの菓子を」
リィナが指さした先の屋台で、薄紫色の花蜜ケーキが並んでいた。
「二つ頼む」
加賀谷は魔鉱貨を置く。屋台の主人は目を丸くし、深々と頭を下げた。
「まさか大公閣下じきじきに……あざっす!」
受け取ったケーキを一口。花蜜の優しい甘さが口いっぱいに広がる。
リィナは目を細めた。
「これだけで、ここに人が集まる理由がわかりますわ」
「金が回れば、味にも投資できる。味が上がれば、さらに人が来る。正の循環だな」
そのあと二人は、革細工の屋台で財布を新調し、流行りの魔導小物を試し、路地裏の歌姫が奏でる笛の音を足を止めて聴いた。
歩きながら、加賀谷がふと笑う。
「経済を語るより、こうして使うほうが早いかもしれないな」
「ええ。数字の裏には、こういう楽しい夜が隠れていますもの」
リィナの頬に夜灯が映え、その笑顔に加賀谷も思わず見とれた。
だが次の瞬間、彼は軽く手を叩く。
「よし。今日は“実地検証”だ。もっと使おう。屋台を全部回るぞ」
「ぜ、全部!?」
「俺たちが回れば噂になる。明日には、“大公と公女が夜市で散財した”って見出しが載るさ。宣伝費も兼ねてる」
リィナは困ったように笑い、少しだけ頬を染めた。
やがて肩を並べると、二人は活気あふれる夜の通りへ再び踏み出した。
魔鉱貨が跳ね、笑い声が弾む。
公国の経済は、今夜も着実に回り始めていた。
◆あとがき◆
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