第三章:旅立ちと最初の仲間 〜勇者ユウト〜
第三章:旅立ちと最初の仲間 〜勇者ユウト〜
世界が、少しずつ、変わっていく音がした。
朝露に濡れた土の匂い。小鳥のさえずり。どこまでも広がる空の青。
——でも、それら全てが、どこか遠く感じた。
僕は村の門を背に立ち尽くしていた。
(……これが、旅立ちか)
見送りに来てくれたのは、父と母、そして近所の子どもたち数人だけだった。
「勇者として」送り出されるには、少し寂しい見送りだったかもしれない。けれど、僕にはこれで十分だった。
「ユウト。お前は決して“選ばれただけ”じゃない。自分で“選ぶ”人間になれ」
そう言ってくれた父の手は、昔よりずっと大きく、そして少しだけ震えていた。
母は何も言わなかった。ただ、優しく、僕の手を握ってくれた。
それだけで、胸がいっぱいになった。
(僕が選んだ道だ。絶対に、後悔しない)
背に差した剣は、父が若いころに使っていたもの。
柄には無数の傷があり、血と汗と想いが染み込んでいた。
母から受け継いだ治癒の魔法は、まだ不安定だが、旅の中で鍛えるしかない。
そして、心にしまったのは——
巾着袋に刺繍された、あの名前。
「……あかり」
幼馴染の名。僕の旅の理由。
“神崎朱莉”という少女を、かつてのように笑わせるために——
村を出てすぐ、旅は想像以上に過酷だった。
日差しは強く、夜は冷え、食料はすぐに尽きる。
けれど何より厄介だったのは、「戦う」という現実だった。
初めて遭遇したのは、森の中で迷っていた時だった。
獣人系の野生獣──“牙持ち”と呼ばれるオオカミのような魔物だ。
「っ……!」
構えた剣が重い。心臓が跳ねる。足が動かない。
(前世では、ゲームの中だけだった……けど、今は)
「うぉぉぉッ!」
声を出すことで恐怖を誤魔化し、斬りかかる。
魔物の動きは素早く、牙が目の前に迫る。
反射的に放った治癒魔法が自動的に発動し、ギリギリのところで傷を塞ぐ。
——三度斬り合い、四度目の斬撃で、ようやく倒した。
膝をついて、呼吸を整える。
「……っは、はあっ……くそ……」
でも、分かった。
僕は、ちゃんと“生きている”。
戦えるし、死なない。前世の知識だけじゃない、剣も魔法もこの体に宿っている。
そして、ほんのわずかに体が軽くなった。
(これが……成長、か)
不思議だった。傷を癒やす速度も上がっている気がしたし、視界も広く感じた。
まるで“自分自身がアップデート”されていくような感覚。
その夜、森の中の焚き火で休んでいると、どこかから物音がした。
「誰か……いるのか?」
剣を手に立ち上がると、茂みの向こうから現れたのは、
ぼろ布を纏った小柄な影——
「うわああ! ごめんなさいごめんなさい! 食べ物を少しだけ、少しだけでいいから!」
……女の子だった。獣人の。
耳が垂れ、尻尾が痩せている。まだ十歳前後だろう。
泥にまみれ、手足は傷だらけ。それでも必死の目でこちらを見ていた。
「……飢えてるのか?」
「食べてないの、二日……いや、三日かも……」
焚き火のそばにあった干し肉を、迷わず彼女に差し出した。
(この世界では、与えることは弱さかもしれない。けど)
前世の“朱莉”が言っていた言葉が、心をよぎった。
「勇者っていうのはね、ただ敵を倒すだけじゃだめなんだよ。
“守る”ことができなきゃ、本当の勇者じゃないの」
——そう、あの子は笑って言っていた。
「名前は?」
「……ラナ。ラナ・ルーファ。父さんも母さんも、逃げ遅れて……あたし、一人になったの」
ラナは、ただの獣人の子どもではなかった。
数日後、一緒に旅をしていた最中、盗賊に囲まれたときだった。
「おい坊主、剣を置け。連れの子は好きに使わせてもらうぜ?」
男たちが嘲笑う中、ラナは無言で腰に差していた短剣を抜き、
一瞬で男の喉元に突きつけた。
「次は、耳を削ぐよ?」
目が、獣のそれだった。
彼女の父親は元傭兵で、戦闘の技を叩き込まれていたのだという。
見た目に反して、ラナは驚くほど機転が利き、身軽で、冷静だった。
それでも彼女は、夜になると震えていた。
小さな焚き火の前で、尻尾を抱え、時折こっそり涙を流していた。
「ユウト……あたし、間違ってないよね……?」
「間違ってないさ。君は、ちゃんと強いよ」
そう言って彼女の頭を撫でると、ラナは小さく微笑んだ。
それが、僕の最初の“仲間”だった。
僕たちは今、北へと進んでいる。
魔王の軍勢が現れたアズダール山脈を目指して。
村を焼かれ、家族を失い、それでも笑おうとする少女を見て、
僕はもう一度決意を胸に刻む。
(朱莉、君がどんな姿になっても……僕は、君を取り戻す)
それは“勇者”としての決意ではない。
“幼馴染”としての、ただひとつの願いだった。
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