第5話 暴走メトロポリス


 久しぶりの雲一つない休日だった。

 突き抜けるような青空の下、所賀発ところが あたるは、日高葵ひだか あおいとクラスメイト数人と共に、洗練されたデザインの電車に揺られていた。

 柔らかな日差しが車内に差し込み、これから始まる小旅行への期待感を煽る。


 目的地は湾岸エリアに広大な敷地を確保して新設されたばかりの研究学園都市。「ネオ・フロンティア・シティ」

 日本の、いや世界の科学技術の粋を結集して作られた、まさに未来を体現するモデル都市だ。

 発たちが通う中学校が提携する高等専門学校が都市内に設立され、今日はそのオープンキャンパスと都市の見学を兼ねた絶好の機会だった。


「うわー!  見て、あのビル! 」

「どういう構造してるの!?  ねじれてるよ!」

「ガイドマップによると、あっちの公園は地面が全部ソーラーパネルで夜は発電した電気で光るんだって!」


 車窓から流れるように過ぎていく近未来的な風景に友人たちが次々と歓声を上げる。誰もが目を輝かせ、まだ見ぬ都市の姿に胸を躍らせていた。

 ジャーナリストの卵を自負する葵もその一人で、スマートフォンのカメラを構え、シャッターチャンスを逃すまいと夢中になっている。

 彼女の瞳は好奇心に満ち、きらきらと輝いていた。


「すごい!  まるでSF映画のセットに迷い込んだみたい!  アタルくんもちゃんと外見なよ!  こんな景色、滅多に見られないんだから!」


 葵に名前を呼ばれ、発は無感動に顔を上げた。だが、彼の興味は友人たちを熱狂させるきらびやかな摩天楼にはなかった。

 数秒で視線を再び手元へと落とし、タブレット端末に表示された無味乾燥な文字列を追い始める。

 それはこの都市の交通管制システムに関する公開仕様書だった。


「一見、完璧なシステム。

 だけど完璧なシステムほど、たった一つのバグが致命傷になる。

 ……ここのシステムはあまりに中央集権的すぎるな。全ての管制機能を単一のメインサーバーに依存している。

 堅牢なセキュリティを謳ってはいるが、もしコアを乗っ取られたら都市機能は完全に麻痺するぞ」

「もー、せっかくの学校見学なのに、相変わらず理屈っぽいんだから」


 葵は楽しそうに、しかし少し呆れたように笑った。彼女にとって、発のこの種の懸念はいつものことだった。


「まあ、アタルくんがここに住んだら面白半分でハッキングして交通システムをメチャクチャにしそうで、逆に怖いけどね!」

「僕はそんな無意味なことはしない」


 発が真顔で即答する。

 葵は「冗談だってば」といたずらっぽく笑ったが、その言葉が皮肉にもすぐそこに迫る未来を予見していることなど、まだ誰も知る由もなかった。




 都市の玄関口であるセントラルステーションに到着した一行は、目的地の高等専門学校まで市内を網羅する最新鋭の全自動運転ポッドで移動することになった。

 それはガラス張りのチューブの中を磁気浮上によって滑るように静かに進む、優美な卵形の乗り物だ。

 友人たちは未来的なデザインとその無音の乗り心地、そして広がるパノラマビューに、またしても大きな歓声を上げた。


 ポッドは滑らかに加速し、高層ビル群の間を縫うように上昇していく。

 眼下に広がるのはクリーンで整然としていて、完璧に管理された未来都市の姿。

 ゴミ一つ落ちていない道路、整然と動く自動運転車、緑あふれる空中庭園。それは人間が作り上げた理想郷そのものだった。


 だが発はその完璧さに、どこか人間味のない無機質な退屈を感じていた。

 完璧すぎるがゆえの脆さ。

 彼の脳裏には、先ほど読んだ仕様書の脆弱性がこびりついていた。


 その時だった。

 何の前触れもなく、ポッド内のすべてのディスプレイがけたたましいノイズを発して明滅し、次の瞬間、不気味なピエロの仮面をつけた人物の映像が大きく映し出された。

 窓の外に目をやれば、都市のあらゆる場所にあるデジタルサイネージも、同様にジャックされているのが見て取れた。

 都市の神経網が、一人の怪人に掌握されたのだ。


『我々は「ノーフューチャー」。システムに脳まで支配され、思考停止した豚どもに、本物の恐怖ってやつを教えてやる』


 電子的に歪められ、不快なエコーのかかった音声による短い犯行声明。

 それが終わるか終わらないかのうちに、発たちが乗ったポッドが耳障りなアラート音をけたたましく鳴り響かせ、シートに体がめり込むほどの強烈なGを感じさせる異常加速を始めた。




 「ノーフューチャー」の声明は、現実のパニックを引き起こすための号砲だった。


 ポッドは正規のルートを大きく逸脱し、管制システムが絶対に許容しないはずの別ラインへと分岐器を破壊するほどの勢いで乱暴に侵入していく。


 窓の外では視界に入る他のポッドも同様に制御を失って暴走し、発たちの乗ったポッドと同様にチューブ内を高速で移動していた。

 地上では自動運転の乗用車やバスが互いに衝突し、いたるところで黒煙が上がり、くぐもった爆発音が防音ガラス越しにも断続的に響いてくる。


「うわぁぁぁっ!」

「な、何なのよこれ!  止まってよ!」


 友人たちの絶叫が狭いポッド内に反響する。

 発たちのポッドも急カーブを曲がりきれずにガラスチューブの内壁に激しく機体をこすりつけ、耳をつんざく金属音とまばゆい火花を撒き散らしながら、猛スピードで突き進む。

 ディスプレイに表示される速度計の数値は、安全限界を示すレッドゾーンをとうに振り切って上昇を続けていた。


 そして、悪夢が現実の形をとる。

 前方のチューブの合流点で、同じく暴走した別のポッドがこちらに向かってくるのが見えた。

 ヘッドライトが凶悪な眼光のように、チューブの奥で輝いている。


 まだ距離はある。だが、互いに限界を超えた速度で接近している。

 このままでは、あと数十秒の後、正面から激突するのは火を見るより明らかだった。


 理想郷のはずだった学園都市は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


「みんな、衝撃に備えて!  シートベルトをしっかり締め直せ!  頭を下げて、体を丸めるんだ!」


 パニックで泣き叫ぶ友人たちを前に、発の声だけが冷静に響いた。その声には恐怖をねじ伏せる鋼のような意志が宿っていた。


 発は友人たちに指示を飛ばすと同時に、通学カバンから愛用のラップトップと自作のインターフェイス・ケーブルを瞬時に取り出す。

 そしてポッドの座席下にある緊急メンテナンスポートのカバーを、指がちぎれんばかりの力でこじ開け、ケーブルを無理やり接続した。

 凄まじい振動と遠心力が発の体を容赦なく揺さぶる。

 だが発は歯を食いしばり、超人的な速度でキーボードを叩き、発の指がまるで独立した生き物のように鍵盤の上を舞う。


 都市交通のメインサーバーの深い階層へと正規のルートを無視して強制的に潜っていく。

 パスワード、多重ファイアウォール、暗号化プロトコル。

 犯人が仕掛けた幾重もの悪意に満ちた罠を、発は驚異的な集中力で次々と看破し、突破していく。


「くっ……!」


 ポッドが再び壁に激突し、ラップトップを持つ手が滑る。画面に意味のない文字列が並んだ。

 隣に座っていた葵が、恐怖に震えながらも、必死に発の体を支える。


「アタルくんっ!」

「大丈夫だ……!」


 正面から迫るポッドのライトが、急速に大きくなっていく。衝突まで、あと十秒もない。友人たちの悲鳴が絶叫に変わり、もはやこれまでかと目を固く閉ざした。

 その絶望的な状況下で、発の思考はさらに加速する。


「見つけた……!  ……なんて悪質なワームだ。……システムの破壊と暴走が目的じゃない?  これはっ――!?」

 発はそのワームプログラムのソースコードの奥深くに隠された、真の目的に気づき、背筋に冷たいものが走った。

 これは単なる愉快犯のテロではない。


「……パニックに陥った人間の脳波の乱れをデータ化して、リアルタイムでどこかへ送信している?  まさか……、この都市全体が巨大な感情収集装置だっていうのか!?」


 思考している間にも、敵のポッドは目前に迫っていた。

 衝突まで、もう何秒も無い――。

 気になる点はまだ山ほどあったが、今は生き残ることが最優先だ。

 発は即席で組み上げたワクチンプログラムの実行キーを祈るように叩きつけた。

 プログラムが光の速さでメインサーバーのコアへと直接流し込まれる。


「うわぁぁぁぁっ!!」


 衝突を覚悟した友人たちの絶叫がポッド内に響いた。


 ――その瞬間、発の耳を支配していたすべての騒音が嘘のように意識から消え、ただ一つ、鼓膜を突き破るような金属の絶叫――強烈なブレーキ音だけが世界を支配した。


 強烈なブレーキ音が鼓膜を破らんばかりに鳴り響き、正面から迫っていたポッドが火花を散らしながら、発たちのポッドのわずか数センチ手前で緊急停止し、発たちの乗っていたポッドも、まるで糸の切れた操り人形のように急減速し、惰性でしばらく滑った後、軋むような悲鳴を上げてチューブ内で完全に停止した。


 窓の外では、暴走していた他のポッドや地上の車も、まるでそれまでの狂騒が嘘だったかのように次々と整然と路肩や線路上に安全停止していく。


 静寂が訪れる。ポッド内には、友人たちの荒い呼吸と恐怖の余韻だけが漂っていた。

 わずか数分。発はたった一人で、巨大な学園都市の機能を崩壊の淵から救い出したのだ。

 



 後日、発は橘警部によって警察署の一室に呼び出されていた。

 無機質な取調室の重苦しい空気が発の肌に冷たくまとわりついた。


「……まったく、事件のあるところに必ずいるな、お前は」


 取調室の硬い椅子に座る発の前に、橘警部がコーヒーの紙コップを無造作に置いた。

 その口調はぶっきらぼうで、目の下には徹夜続きの疲労が色濃く浮かんでいた。


「結果的に大惨事が避けられたから良かったものの、一歩間違えればどうなっていたか分かっているのか。そもそも、なぜお前のようなガキが、毎回事件のど真ん中にいるんだ。いい加減にしてくれ……」


 それは賞賛ではなく、疲労と苛立ちが入り混じった、明確な叱責だった。

 発は黙って、その疲れた顔を見つめ返した。


「犯人の『ノーフューチャー』は?」

「……ああ、確保した。お前がプログラムに不正干渉した際、隠されていた発信源のビーコンが作動したおかげでな。……まあ、その点だけは感謝してやる」


 橘警部は腕を組み、忌々しげに言葉を続けた。


「連中は使い捨ての駒だ。

 反社会的な思想を持つ、腕利きのハッカー集団だが、自分たちが使ったプログラムにそんなおぞましい機能が隠されている事には全く気付いていなかった。

 『匿名の支援者からメールで送られてきた』の一点張りで、黒幕については何も知らん。完全に利用されただけだろうな。

 ……まあ、これはオフレコだ。本来、お前に話す義理はないが、貸しは作っておきたくないんでな」


 事件は一応の解決を見せ、発の活躍は同級生たちの証言から「暴走ポッドを止めた謎の中学生は、あの天才少年だった!」として、一部でセンセーショナルに報道され、発は再び時の人となった。


 しかし、発の心は重く沈んだままだった。

 晴れることのない暗雲が、思考を支配していた。


 ハッカーたちは、自分たちが使ったプログラムの本当の恐ろしさを理解していなかった。

 あのワームに仕込まれていた、「恐怖」という人間の根源的な感情をデータ化し、収集する技術。

 それは、これまで発が関わってきた一連の不可解な事件で使われた装置と間違いなく同根のオーバーテクノロジーだ。

 嫉妬、喪失感、絶望、そして今回の恐怖。

 犯人たちの動機や背景はバラバラだが、その裏で糸を引く存在は、明らかに同一の目的――負の感情の収集――のために動いている。




 そして、この大規模テロ事件の混乱が冷めやらぬ中、一つのニュースが世間を駆け巡っていた。


 巨大IT企業「クロノス・インダストリー」のCEO、ルカス・ミュラーが緊急会見を開いた。


 テレビ画面の中で、かつての友人は数年前とは比べ物にならないほど、自信に満ちた、洗練された青年の姿になっていた。

 彼は集まった報道陣を前に冷静に、そして力強く語りかけた。


『今回の悲劇を二度と繰り返してはなりません。

 人為的なミスや悪意ある攻撃に対し、現在の都市システムはあまりにも脆弱です。

 そこで我が社は、次世代都市管理OS『ハーモニー・システム』の導入を政府に強く提言します。

 これはAIが都市のすべてを最適化し、あらゆる脅威から人々を守る、究極の防衛システムです』


 完璧すぎるタイミング。


 テロによって人々の心に植え付けられた「恐怖」を背景に、自らのシステムを売り込む、見事なまでの手腕。

 発の脳裏でこれまでの事件のピースが、一つの巨大な絵を形作り始めていた。

 その疑念は、もはや揺るぎない確信へと変わりつつあった。


 発はモニターに映るルカスを真っ直ぐに見る事ができなかった。

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