1.これを憧憬と呼ぶにはあまりにも時が経ち過ぎている

-side由衣-

 吾妻由衣あがつまゆいは憂いていた。

 どうしたら良いのだろうかと、どうしたら良くなるのだろうかと。

 現在自分は結婚適齢期。付き合っている彼氏にはその意思は希薄で、結婚するか別々の道を歩むかの選択を真剣に迷っていた。向こうには希薄ながらも"考えている"の言葉は貰っている。なら、もう少し待ってもいいのかもしれない。そう思った矢先に彼氏の転勤話が浮上。気軽に会えない距離となるのに、私の事など気にする素振りもない。流石に物申しても良かったのかもしれない。

 言えなかったが。

 だが、そんな日常の折、職場の同僚から猛アプローチを受けた。

 とても良い人だ。こんな良い人なんて居るのかと思うくらいには。だが、自身の男を見る目の無さは異常だ。本当は別の意図があるんじゃないかと訝しんでしまう。

 あぁ、天秤にかけてしまっている。

 深い、深いため息が出た。自己嫌悪で嫌になってしまっていた。

 自身の年齢と彼氏と職場の同僚、それらが板挟みとなって、考える事がいよいよ億劫になりかけた頃、とある招待を受けた。

 懐かしい、そう思った。

 中学の同窓会だ。



 会場には早々に着いた。当然、ひとりではなく友人たちと一緒に。

 既に多くの人達が集まっていた、時間前だというのに結構な人数だ。

「吾妻さん久しぶり」

 グラス片手に挨拶をしてくれたのは幹事である同窓だ。温厚で人当たりが良く、良い人であった事は覚えている。左手には……金色の愛の証明が輝いている。

「久しぶりだね」

 微笑むと、向こうも嬉しかったのか顔を無邪気に綻ばせた。

 少し、胸にある想いが去来した。

「ねぇ、あれ安田やすだじゃない?」

 幹事の彼と軽い会話を終えた後、友人の栗田夏美くりたなつみが隣に立って、会場端で騒いでいる人物を指差す。

「えっと……」

 覚えていない……という訳ではないが、接点があまりなく思い出す記憶が薄いといった所か。それを察してか夏美ことナツは私の頭に手を置く。

「由衣はあんまり喋ったことないか」

 ナツは軽い調子で歩いていく。当然私もそれについていく。

 私はいつもこんな感じで少し他の友人たちとは別の扱いを受ける。それが少し嬉しく、少し不満でもあった。

「あれあれ~、栗田と吾妻さんじゃーん」

 酒気を帯びた息と真っ赤な顔で挨拶をしてくれた安田、くんはしっかりとべろんべろんに酔っぱらっていた。時間前なのに一体この短期間でどれくらい飲んだのか。

 彼は距離感近く、今にも肩に抱きついて来そうな勢いだった。

 「うん、久しぶりだね」

 こういう手合いには心得ていることがある。

 それは、面倒くさい親父相手には柔らかスマイル首傾げセットだ。これを提供すればどんな相手でも途端に態度が柔らかくなる必殺技なのだ。

「うっわ……」

 安田くんは手を額に当てて天を仰いだ。

 しまった、これは悪手だったか。良く考えたら距離感近い相手にこんな事したら逆鞘になってしまうのではないか。

「……俺、実は吾妻さんのこと好きだったんだよね」

「やめろバカ」

 ナツが安田くんの頭を小突き、我に返った安田くんは冷静になったのか申し訳なさそうな顔で頭を下げた。

 多分この人は悪い人ではないな、そう思った。

 少しの罪悪感に苛まれていると、喧騒から大きな声が聞こえた。

「あー! ナツに由衣さんだー!」

 振り返ればかつて同じクラスだった友人たちだ。

「わー、二人とも変わってないねー!」

 そう言って手を握ってくれる。

 華奢な左手には、私には付いていない綺麗な輝きがある。

 彼女はとても綺麗になっていた。女性として幸せを掴んでいる、そんな幸せな雰囲気を漂わせているからだろうか、キラキラと眩しく見えた。

「元気してた?」

「うん、元気元気」

 笑顔に応えて、少しオーバーに声を張る。彼女はブンブンと手を振っては大袈裟にリアクションして、近況を話し始めてくれた。

 夫が仕事で夜遅いとか、子どもの口癖があまりにも悪くて教育方針をしっかり定めた方が良いのではないかとか、夫に相談してるけど仕事で疲れてるからか、すぐに寝てしまって不満だとか。

 悪意は無いとわかっているからこそ、自分がそれ系の話題を気にしてしまっているのが嫌でもわかる。嫌だな自分。

 そういえば、どれくらいの人たちが結婚しているのだろう。

 雑談の最中さなか、意識して周りを見てみると全体の半数くらいはどうやら世帯を持っていることに気付いた。対して私は何も持っていない。

 いや、正確には持てそうで持てないが正しいのだが。

 そう考えると、途端に心に仄暗ほのくらい何かが駆け走った。

 私はこのままで良いのだろうか、何度考えたかわからない感覚が私を襲う。足元の感覚が薄れていく。怖い、怖い。

 寂しい。

 心が小さく声を上げた気がした。



-side良明-

 吉田良明よしだよしあきは同窓会に行くのが怖かった。

 親友である長田明良おさだあきよしからの誘いでなければ間違いなく行くという選択は取らなかったであろう。大して仲良くない人間が大多数であったし、学生時代の自分はひどく利己的であったから、正直当時の自分を知る人と会うのは少し気が引けていたし、会いたいが会いたくない人も居た。

「澤田さんも来てくださいよ~」

 直前まで、彼はもう一人の親友であり小学生時代の同窓である澤田翔さわだしょうとカラオケに来ていた。情けなくも縋りながらついてきてほしいと懇願していた。

「いやいや、俺が行っても知らない人が大半じゃないですか」

「でも小学校一緒だったじゃないですかー」

「そりゃ小学校の同窓会なら行きますけど……中学だしなぁ……もう一回メンバー見せてもらっていい?」

 スマホを取り出してライングループのメンバーを見せる。

「いち、に、さん……喋れる人三人しかいないですね」

「はい、すいません」

 がくりと肩を落として落ち込む。

 彼が来てくれれば心の平穏は保たれたというのに。

「まぁ、がんばってください。家で陰ながら応援してます」

 そう言う彼の手元には父の日のプレゼントが入っている紙袋が置いてある。無理にお願いをすれば彼はきっと来てくれるが……先約が先約だ、無理を言うのは互いの為にならない。

 話を切り上げて、お互い何曲か歌った。歌は良い、自身の代わりに叫んでくれている気がするから。良明はそう思いながら歌っていた。

「お、いたいた」

 しばらくして、部屋の扉が開いた。振り返ると長田が立っていた。

「おー、おさちゃん久しぶり」

「久しぶり翔~、元気してた?」

 そうか、もうそんな時間か。腕時計を見ると会合の時間まであと十分を切っていた。

「元気元気、同窓会楽しんできてね」

「あざす、じゃあ……ほら行くぞ」

 長田は親友の肩を叩いて立ち上がるように促す。

「行きます、か」

 良明は重い腰を上げて立ち上がった。



 入口を通って、会場の左右を見渡すと綺麗に男女で分かれていた。

 左側は女性、右側は男性。

 案の定というか、やはりというか、喋れる人は少なかった。当然承知していた事だが。

「右奥、空いてるね」

 おさちゃんは右奥を指差す。

「じゃあ、そこ座ろうか」

 幹事たちに軽い挨拶を終え、僕らは奥の席へと歩を進めた。座席に向かって歩く最中、ある女性と一瞬目が合った。

 彼女は楽しそうに談笑し、身振りの延長線で僕と視線が交錯したようだった。なんてことはない一瞬の時間、特別な空気間も存在しない至って普通の瞬間。

 元気そうで良かった、そう思った。これだけで来た甲斐があった。十年振りに会えたこの瞬間に、僅かな充足感を覚えた。

「それにしても、みんな変わんないな」

 おさちゃんはいろんな人に手を振り、軽い調子で一言二言話している。本人は否定するが、対人能力が高い。

「変わらないね……でも、何人かは顔がわからないなぁ」

「あー一致しない人は居るなぁ。それにしてもお腹空いたなぁ」

 加齢と共におさちゃんのお腹は年々張り増してきたが、心做しか今日は少し凹んでいる気がする。

「あれ、おさちゃん少し痩せた?」

「痩せた痩せた、ちょっと今減量頑張ってるんだよね」

 素晴らしい。この歳になると食べた物が翌日に残ったりする事がある。今のうちに健康を意識するのは大事だと思う。僕も見習おう。

「じゃあ、料理はあんまり取り分けない方がいいかな」

「いや、それとこれは別だ」

 取り分けるまでもなく、既に口に運ばれていた肉類たち。

 食べるんかい。思わず心の中で突っ込む。

「ま、今日は無礼講か」

 飽きぬ友人との会話に安堵を覚えつつ、僕らは料理に舌鼓を打った。


 会合はつつがなく進んでいた。懐かしい友人たち……といっても数人程度だが、とも話は比較的弾んだ。意外だったのは当時喧嘩っ早いイメージのあった人が、立派に世帯を持って、仕事にプライドを持って働いていた事だ。

「吉田くんって同業だったんだね」

 そんな彼と今仕事の話で盛り上がっている。

 悲しいかな、男の子のさがなもので、仕事の話というのは正直楽しい。これまで培った技術やノウハウを理解されるというものは実に嬉しく感じるものだ。

 所謂メーカー勤務だったらしい彼だが、そのプロ意識は退職して尚健在で、目を輝かせながら材料の良し悪しや今後の業界の先を憂いていた。そんな彼と話していればこちらも燻っていた火が燃え上がるもので、気付けば仕事談議に花を咲かせて小一時間は経ってしまっていた。

「ここで固まってないで他の人たちともそろそろ話してもいいんじゃない?」

 そう言って僕たちの座席に加わったのは幹事の一人である鈴木だ。才色兼備の文武両道で有名だった彼女だが、その風格は今も健在で、実に出来る人オーラが凄かった。

 もちろん僕は話したことがほぼない。

 程なくして鈴木に半ば強制的に野に放たれることになった僕らは、ちょっと話しやすそうな人たちの懐へ潜り込まなければいけなくなってしまった。

 といってもメーカー勤務の彼はコミュニケーション能力が高いので早々にグイグイと輪の中へと入っていってしまったが。

 ちなみにおさちゃんは既に他の人と盛り上がっている。ちくしょうめ。

「おっす、アキ」

 どうしたものかと考えている時に名を呼ばれて肩を叩かれた。

 振り返ると、山口明人やまぐちあきとが立っていた。

「おー、アキ久しぶり」

「うわ、懐かしいなぁ……ダブルアキ」

「そうだね。まぁ、ダブルどころかクワトロいたんだけどね」

「確かにそうだった」

 彼とは幼稚園から中学までの約十年程の付き合いだった。と言っても一番仲良かったのは幼稚園の頃なので、友人という感覚よりかは隣人という感覚の方が強い。

「最近どう?」

 アキはビールが入ったグラスをあおりながら尋ねてきた。上気した顔を見るに、それなりの量のアルコールを摂取しているらしい。

「ぼちぼちかな、楽しいよ。アキは?」

「同じ同じ。アキは……結婚したんだね」

 左手薬指の指輪を眺めながら彼は言った。酷く羨むような視線はきっと気のせいではないのだろう。

「まぁ、ね。アキは?」

「ご覧の通りなにもないでーす。……はぁ」

 彼のこれまでに一体何があったのだろうか。僕は彼が善人であることはよく知っている。なんせ変わり者だった自分に変わらぬ態度で接してくれていた数少ない人物の一人だったのだ。

 そんなアキが幸せじゃないなんておかしい。

 やるせない気持ちが沸々と湧き上がってくる。

「アキは良い奴だから、絶対幸せになるよ」

「アキは良い奴だなぁ……」

 持っていたグラスを掲げて視線を合わせてくる。どうやら改めて乾杯を求めてくれているらしい。

 カチンと軽快な音を立ててグラスを呷る。アルコールが身体を走る感覚はいつになっても慣れないが、このお酒は、悪くない。

 アキはどうやら最近頭髪が気になってきているらしい。なんともまぁ切実な悩みである。よく分かるが。

 しばらく他愛のない雑談をしていると、向かいに座っていた同窓が声を掛けてくれた。

「あ、ごめんね、話の腰折っちゃって。アキくんと話してみたくて」

「どっちのアキ?」

「あ、吉田くんの方です」

 山口の方のアキくんは、苦笑いを浮かべながらどうぞと手で話を促した。

「えーっと、ほぼ初めましてだよ、ね?」

「あ、はい、ほぼ初めましてです。東川弘ひがしかわひろです」

「あ、ご丁寧にどうも。吉田良明です」

 お互い浅く会釈をする、

「いやお見合いか」

 すかさずアキが突っ込む。

「いや、なんか緊張して」

「って言われるとこちらも緊張して」

 同性同士とは思えないギクシャクした空気感。

「だって、ねぇ?」

 彼は煽情的な眼差しでこちらを見てくる。

 あれ、これなんか既視感。なんだろこの感じ、最近あったような。

「えっと……よ、吉田アキくん!」

 あ、これあれだ。

 告白だ。

 え、告白? なんで?

「は、はい」

 思わず背筋を張る。やばい、めっちゃ動悸がする。緊張する。

「なんでそんなにカッコイイの!?」

 違った。全然違った。やばいめっちゃ恥ずかしい。

「いやだって、こんな男前で背も高くて理路整然していて落ち着いた人なんて初めて見たよ!」

 彼はどうやらこの会合に僕が到着してから、ずっと僕を見ていてくれていたらしい。身振り手振りで己のかっこよさを語ってくれているのが、なんだか可愛く見えた。

 いや、男なんだけれども。

 しかし、理路整然としていたのは最初は烏龍茶で凌いでいたからで、落ち着いているのは喋れない人が多いからなんですけどね。

「いやいや……まぁ、でも嬉しいです。ありがとう」

「ホントにかっこいい……」

 僕の何が彼に刺さったのか甚だ疑問だが、ほぼ初対面の同性にそういう事を言われるのは正直嬉しい。異性からよりも、同性からの褒め言葉の方が個人的には重みがある。

 しかし、貰ってばかりというのも嫌ではある。あまり慣れていないが、思っていることを口に出してみることにした。

「でもヒロくんの方がかっこいいよ、中学の頃からそう思ってた」

 ほぼ初対面と言っても、こちらは向こうを認識していた。

 人畜無害のイケメンサッカー男子、そんな認識だ。

「いやいやいや、アキくんと比べるのはおこがましいよ」

 どこがそんな彼の琴線に触れているのだろうか。こちらの言葉を即座に一蹴して、瞬く間に形勢は向こうが優勢となった。

 やるな、人畜無害のイケメンサッカー男子。

「いやいやいや、おこがましくなんてないです。僕もそう真っ直ぐに言ってくれるヒロくんみたいになりたいよ」

「いやいや、これ以上かっこよくなってどうするつもりなの」

 真っ直ぐな意見は強い。僕はそう学んだ。圧倒的熱量でこちらを肯定してくる人を止めることなど出来ないのだと、人生で初めて気付いた。恐るべし、人畜無害イケメン。

「お前ら野郎だけでイチャつきすぎだろ……」

 有難い助け舟が来た。そうだ、一人でダメなら二人だ。ターゲットを増やすべきだ。

「いや、僕はアキもイケメンだって幼稚園の頃から思ってたからね?」

「あ、それ僕も。アキくんかっこいいよね、バスケも上手だったし」

「いやいや、そんなことないから」

 作戦は功を奏した。無事矢印は三方向に散らばって集中砲火を食らうことはなくなった。

 三人でやれこいつの方がかっこいい、あいつの方がイケメンだ等々、終始人を褒めまくる事となった。実に平和な会話。男同士でホント何やってるんだろうね。

 そんな平和な会話も、幹事の一言で一旦幕を閉じることとなる。

「中締めまであと一時間になりました、その後も残って楽しむことは出来ますが、念の為お時間に注意してくださーい!」

 会合は既に二時間が経過していた為か、場は十分に温まっていた。その言葉を皮切りに、様々な人たちがまだ話すことが出来てない人たちの輪に入って行った。当然アキやヒロくんも同様に座席から立って移動して行った。

 さっきまでの野郎同士の仲良い会話が懐かしい。取り残されると一気に侘しさが際立つ。

 さて、どうしようかと周りを見渡す。

 出遅れたのもあってか各所で既に新たなグループが形成されていて割り込む余地は無さそうだった。

「……お茶でも飲むか」

 やむ無しとソフトドリンク専用の冷蔵庫へと足を向ける。流石に三十路ともなれば一人で居ることにも抵抗はない。これが中学生の頃なら居心地の悪さを感じて逃げ出していたかもしれないが。

 冷蔵庫近辺の通路には男女数人のグループが微笑ましく談笑していた。

「あ、すいませーん」

 手を合わせながら割り込ませてもらう。実に過ごしやすい空間のお店だが、通路が狭いのが難点だな。

「吉田久しぶり」

 何のお茶を飲むか迷っているとそのグループの一人の女子が声を掛けてくれた。

「あー村田さんご無沙汰です」

 この人は三年生の頃に同じクラスだった人だ。

「全然変わんないね」

「そう? 村田さんも変わらないよ」

 実際本当に変わっていない。ハッキリと村田さんだと認識出来る。変わっている点は、お互いの薬指に指輪がある所くらいか。

「いやでも吉田くんはホント大人になったよ、かっこいいもん」

「わかるー」

 なんてことは無い社交辞令の会話に、グループの面々が加わってきた。

「ね、由衣ちゃん」

 そこには、あの吾妻由衣もいた。

「うん」

 グラスを両手で支えながら彼女は強く頷いた。

 それが、僕の胸を強く締め付けた。

「……吾妻さん、僕のこと覚えてくれてるんだね」

 そう言うと、信じられないという顔で僕を見た。

「当たり前だよー、

 そうか、忘れてはいないのか。

 彼女の言葉に少しばかりの安堵が生まれた。お互い忘れない存在というのは、嬉しくもあり、残酷であるとも感じた。

 僕は、彼女を忘れていない。

 そう、忘れるわけが無い。

 吉田良明の人生において、彼女、吾妻由衣は切っても切り離せない存在だからだ。

 


-side長田-

 俺はアキの親友だ。

 かけがえのない友だと自他共に認めている。

 小学三年生の頃から一緒に遊んできた。人生の五分の四近くを友人で居続けている。そりゃ特別な感情の一つや二つ、生まれて当然だ。

 アキは、精神が凄く不安定な奴だった。無理もない。仲間意識も家族意識も強いのに、両親は離婚して妹は離れ離れ、俺もよくお世話になっていた兄さんも中学一年生の頃に絶縁状態。

 よくもまぁグレなかったと褒めてやりたいくらいには、俺の目から見ても中々に環境が良くなかったと思う。

 そんなアイツも四年前に世帯を持った。

 俺はアイツに幸せになってほしかった。幸せになってほしかったから、本当に自分の事のように嬉しかった。

 結婚式だって昨日の事のように覚えている。感慨深かった、あの鬼のように怖かったアキの父親が目を潤ませながら、正装したアキの隣で幸せそうに笑っていたのだから。

 結婚する前も、した後も、よく昔話に花を咲かせる。

 大人になってから聞いたことだが、アイツはずっと忘れられない人が居たらしい。片時だって忘れたことがなく、まるで何かの呪いのようだと感じたのをよく覚えている。

 そんな話を直近でも聞いたからだろう。

 忘れられないという人物が、同窓会に来ることがわかった。

 別にどうこうしたい訳ではなかったし、なる訳もないと思っていた。ただ、アイツの過去が気持ち良いものに変わればいいと、それだけだった。

 俺はただ、アイツが報われればいいと思った。

「私は吉田くんのこと、かっこいいって思うよ」

 アキたちの会話が耳に届いた。

 アイツは、まるでそこに居ないかのような、今にも消え入りそうな顔で微笑んでいた。

 なぁ、アキ。

 なんでそんな表情をするんだ?

 どうしてそんな苦しそうに相槌を打っているんだ?

 俺は、もしかして余計なことをしたのか?

「既婚者はやめなって」

「そんなんじゃないよー」

 お前は、もしかしてまだ、彼女を特別に思っているのか?

「吾妻さんって、人の事かっこいいって思うんですね」

 地に足のついていない声色は、喧騒の中でもハッキリと聞こえる。

「私のことどう思ってるの? ちゃんと人並みに思うよー」

 ちょっとした小悪魔のように、上目遣いにアキの瞳を捉えて離さない。

「そっか……なら、嬉しい」

「ふふ……喜んでもらえて良かった」

 彼女はアキの手を握って微笑んだ。

 それは、アキにとって何よりも残酷な事だという事は、俺にでもわかった。

「だから既婚者はやめなって」

「やばいよ由衣ちゃん」

「もーだから違うってー」

 俺は、してはいけない事をしてしまった。



-side良明-

「宴もたけなわではございますが、終了時刻となりました」

 名残惜しい声が方々から飛び交う。お酒の力は偉大だ、大して仲の良い人たちが居るわけでもない僕ですら、楽しいと感じたのだから。

「それでは、一本締めで締めさせていただきます。それでは皆様お手を拝借いたしまして……」

 皆が良い笑顔で準備をした。

「よぉーー!」

 パンッ。

 こうして久々の同窓会は円満に終わりを迎えた。

 名残惜しさが皆を留めていたが、何人かは帰路について行った。

「吉田くん、この後どうする?」

 裾を引っ張って可愛く微笑むのは吾妻さんだ。

 随分と酔っているらしく、行動全てが随分と危ういものに変わりつつある。

「ん、終電は過ぎてるからタクシー拾うか、朝まで時間潰すか……って感じですかね」

「そうなんだ」

「うん」

 遠くで二次会を募っている集団が見え、吾妻さんはそちらの方に視線を向けている。

 どうやら行くつもりらしい。

「吉田くんも行かない?」

 正直、どっちでもいいかなとは思ってはいた。

 来る前の後ろ向きな感情は既になくなっていて、楽しい気持ちが今は強い。

「私、吉田くんに来てほしい」

 背伸びをして耳元で囁いた。相変わらずニコニコと上機嫌に微笑んでいる。

「……ん、じゃあ行こうかな」

 

 二次会に参加した人たちは約二十名だった。

 いずれも一次会で話したことがある人たちだったから、特に抵抗なく参加することが出来た。

「吉田くん来てくれてありがとう」

 そう言って微笑んでくれたのは向かいに座っているヒロくんだ。

「僕もヒロくんと話せて嬉しいよ」

「僕も吉田くんと話せてすごく嬉しい」

「……ねぇ、もしかして二人って出来てる?」

 会話に混ざってきたのは右隣に座っていた栗田だ。

「いや、だってこんなにかっこいいんだよ?!」

「おおう、すごい勢いだな」

 栗田は若干引きつつもヒロくんに落ち着けと言って宥めていた。意外と姉御肌なんだな。

「まぁうん、そうだね。でも吉田って昔から変わんないよね」

「そう?」

「そう。見た目ずっと一緒」

「中学生の頃から吉田くんともっと話せば良かった……」

「僕もヒロくんともっと早く出会いたかったよ」

「隙あらばイチャつくのやめろ」

 軽く肘で小突かれるが、言葉とは裏腹に栗田は笑っていた。

 どうやらノリはかなり良いらしい。

「そういえば、俺らって同じ幼稚園だったよね」

 緑茶ハイ片手に会話に混ざってきたのはアキだった。

 確かにそうだ、栗田とも同じ幼稚園だった。あんまり接点はなかったが。

「うっわ……懐かしっ。確かにうちら一緒だったね」

「あ、僕写真スマホにあるかも」

「まじ?! 見たいみたい!」

 三人で顔を突き合わせて幼稚園の頃の写真を見る。

 式を挙げた時の小物作成で写真をスマホに取り込んでいた。まさか役に立つとは。

「うわー、なんかめっちゃノスダルジーなんだけど」

「アキ変わんないなぁ」

「それはお互い様じゃない?」

「うわ、見て江原先生だよ。覚えてる?」

「覚えてる覚えてる。すごい優しかったよね」

「あれ、反対側にいるこの人ってバスの運転手もやってくれていたよね」

「そうそう! あーこうやって見るとうちら大人になったねー」

 栗田は被っている帽子を直しながら天井を仰いだ。

 無理もない、今から二十五年は前の話だ。

「なんか、置いてけぼり……」

「げ、元気出して東川くん!」

「ごめんごめん、アキのこと取ってごめんね」

 落ち込むヒロくんに吾妻さんが背中をさすって励まし、アキがフォローに回って吾妻さんの隣に移動してヒロくんを宥め始める。

「……そういえばさ」

「うん?」

 栗田にしか聞こえない声で呟く。

「吾妻さんとずっと仲良いよね」

「……ま、幼馴染みで親友だからね」

 僕がどんな話をするつもりなのか見当がついたらしく、先ほどとは打って変わって神妙な声色となった。

「……あれは、普段から?」

 静かに視線の先を促して、吾妻さんの方に焦点を移す。

 ヒロくんやアキの腕に絡みついたり、肩に頭を預けたり、明確に口説いてるかのような態度で二人と接している。

「違うよ」

 即答だった。

「あんな姿……うちらだって初めてで、動揺してる」

「そっか」

 栗田の目から見ても、かなり異質に見えるらしい。

 そうだろうな、僕の目から見てもおかしく見えた。

 一次会の時からそうだったが、彼女は所構わずいろんな異性に煽情的に接していた。既婚者だろうが独身者だろうが関係なく。時に唇が触れてしまいそうな距離で接していた。そんな姿に、彼女と仲の良い人たちから心配されていた。

 心配を、されていたのだ。

「……僕にもあんな事するとは思わなかったんだよね」

 そう口にすると、栗田は訝しげにこちらを見やる。

 そうか、あんまり話に聞いてないのかな。

「……僕はほら、昔彼女に二度振られてるから」

「あー……」

 憐れむような声色。

 そして、泣き出しそうな表情。

「由衣……」

 栗田は項垂れて動かなくなった。栗田の中で吾妻さんの人物像が歪んでしまったのだろうか。いや、いずれ気付くことか。

 栗田はやがて鼻をすすりながら顔を上げた。

「吉田、由衣は決してそんな人間じゃ」

「わかってる。……わかっているよ」

 よくわかっている。

 よく知っている。

 彼女は、決して人の気持ちを無下にするような人ではない。

 彼女は、決して人を否定するような人ではない。

「ただ、少し……迷子になっているだけ、そう思ってる」

「…………うん」

 膝に顔を埋めて、栗田の動きは止まった。

 良い人だな、栗田は。

 そして、泣いてくれる友人がいる彼女もまた、これまでの生き方が伺える。優しい人には優しい人が集まる。

「由衣はね、いつも男運がない」

 しばらくして栗田はぽつぽつと話し始めた。

「特に前の男が酷かった。由衣を傷付けるだけ傷付けて……なんで、あんな……本当に、許せない」

「うん」

「今日の由衣を見て、うちらはこれはこれで良い機会かもって思った。前の男も、今の男も、一回忘れて開放的になればいいって」

 それは、一度傷付いて、痛い目を見て、視野を広げるべきという事なのだろう。

「由衣は……良い人過ぎるんだよ」

 だから、彼女ばかり傷付くと。

 だから、彼女ばかり割を食って、幸せになれないと。

「やるせない」

 視線を再び吾妻さんへと戻す。

 変わらずアキとヒロくんと距離感近く楽しんでいる。

 ふと、会話の波が一瞬止んで三人は一息ついた。

 彼女は、吾妻由衣は、ひどく冷めた目で、グラスを見つめた。

「……やるせない」

 僕は同じ言葉を呟く事しかできなかった。



-sideナツ-

 吉田が由衣に告白をしたことがあるというのは聞いたことがある。

 なんなら吉田が由衣が好きだと少し話題になっていた記憶もある。

 私が記憶している吉田はどんなのだったろうか。確か……変わり者だった。女子人気はそんなになかったと思う。多分下位打線だ。

 それでも吉田は目立っていた。顔が良いからと、少し目立っていた。

 ある日、吉田良明が吾妻由衣の事を好きらしい、そんな噂が飛び交った。私は喋ったことはないが、はるという子が吉田に告白をして、断る理由として由衣の名前を出したとのこと。どこからか漏れた噂話に野次馬の女子たちは吉田に話を聞きに行ったりしていた。色恋など思春期の女子には格好のエサだ。

 吉田は、そんな野次に対して怒ったと聞いた。

 そんな噂話に、女子の中の吉田という評価は更に下落した。

 けれど、当時はそりゃ怒るだろうと思った。大切にしている気持ちを冷やかされれば誰だって良い気持ちはしない。

 由衣は、吉田の事を優しいと言っていたことがある。吉田は自分の事ではあまり真剣になれない。これは吉田と仲の良い男友達が言っていた。

 私は別に吉田の事なんてこれっぽちも気にしたことがないから、その時はなんとなく聞いていたが、長い年月を経てさっきようやく腑に落ちた。

 多分、きっと、吉田は自分の気持ちを冷やかされたから怒ったのではない。

 吉田の事を好きと言った女の子の気持ちを軽んじたから怒ったのだ。それがよく分かった。

 私は由衣の為に悲しんでいる吉田を見て、仲間を見つけられた気がした。

 こいつは少し、由衣に似ている。

 由衣も、人の為に何かを出来る人だ。

 優しさという言葉は由衣の為にあると言っても過言ではない。由衣は本当に優し過ぎるのだ。だからその優しさに付け込んで、甘えて、自分ばかりを優先する男どもが出てくる。

 どうしてそんな酷いことが平気で出来るのだろうか。言えるのだろうか。

 どうしてあんなに素敵で可愛い女の子を傷付けるのだろうか。

 由衣が一体何をしたというのだ。

 ただ、好きな人と一緒に居たいと、幸せになりたいと過ごしているだけなのに、何故平気で傷付けていく。

 許せない。許せない。

 ……けれど、もし、もっと視界が、視野が広がれば、もっと違う世界を見る事が出来れば、もしかしたら由衣が求めているものが手に入るかもしれない。

 再び傷付くかもしれないけれど、男なんてと思うかもしれないけど。一度、自分の為に遊んでみる事も必要なんじゃないだろうか。

 正論が正解ではない。

 そうだ、正しい事を諭す事が正しい結果や良い結果に繋がるとは限らない。羽目を外すべきなのかもしれない。

 吉田は……駄目だ。妻帯者だ。

 アキやヒロくん、それに安田も有りか。よし、独身組を由衣にあてがってみよう。

 もし由衣が満更でもなく、そういう気持ちが生まれるなら、それとなくアシストしよう。

 もしいい迷惑なら、すぐに切り上げよう。私が責任もって由衣を守る。

 私は、由衣が幸せになるなら他の奴が不幸になろうが知ったことではない。むしろ由衣が幸せじゃないこの世界がおかしいんだ。

「やるか」

 そう呟くと、吉田が目を細めて私を見た。



-side良明-

 時刻は深夜二時。

 二次会も間もなく解散といった空気になった。

 僕はもう帰る事は諦めていた。酔っ払いとは実に恐ろしいもので、帰りたくない帰りたくないという気持ちを最前面に押し出してお酒をかき込むのだ。

「三次会行くひとー!!」

「すごいな」

 シンプルにそう思った。

 流石にガス欠気味になってきている。お酒も飲んではいるが、正直酔う事なんてこれっぽちも出来ないから割と苦しい。

「吉田くんどうする?」

 リーダーシップの強い人物が聞いてきた。

 やりたことも出来たので、穏便に答えて上手く抜け出したいところだ。

「……終電ないし、僕はこのままカラオケにでも行って時間潰そうかなって思ってるよ」

「おー!! いいねカラオケ! カラオケ行く人ー!!」

 酔っ払いって本当に恐ろしい。

 あれよあれよとあっという間にカラオケに行く事になり、僕もカラオケに行く流れが出来上がってしまった。

「ダメかぁ……」

「何がダメなの?」

 項垂れて立ち止まっていると最後列に居た吾妻さんが僕の腕に絡みついた。

「いや、三次会の話」

「……行かないの?」

「いや……うーん。……吾妻さんは、どうする?」

 良い機会だ。少し勇気を振り絞ってみる事にした。

「……もう、どこかに行くかタクシーで実家に帰るしか選択肢ないし……」

 意外なことに、彼女はあまり乗り気ではないらしい。

 なるほど。

「じゃあ……一緒に抜け出す? タクシー拾って一緒に帰る?」

 振り絞った言葉に、彼女は数秒思案し、うん。と、そう呟いて頷いた。

「……ううん、ここまで来たから最後まで参加しようかな」

 しかし、すぐに訂正が入った。この数瞬の間に、一体どんな考えが駆け巡ったのか。どこからどこまでが本音だったのか、僕にはわからなかった。

 わかったことは、彼女には割としっかりと理性が残っている事だ。

「吉田くんは、来てくれる?」

 今度は真顔だ。これは本音、だと思う。

「…………一緒に居てくれて、防波堤になってくれたら、嬉しい」

 なんて残酷で苦しい言葉を放つのだろうか。

 僕にしかわからない、あまりにも無慈悲な言葉。

「わかった、行くよ」

 一呼吸間を置いて告げると、彼女は少しだけ表情を崩して笑った。


 カラオケに居る間、彼女はしばらく僕の隣に居た。

 飲み物やトイレで離席しても、彼女の隣に僕は居た。

 誰かが歌っている中、手拍子で盛り上げ、間奏の時は僕の手に触れ、曲が終われば暗がりの中で僕の方へと体重を預ける。

 僕は、酷い顔をしていたと思う。照明が最低限で安堵した。こんな自分を、他人に認識されたくはない。

 流れが変わったのは安田が限界を迎え始め、眠気と酔いとで倒れてしまったあたりか。見かねて介抱を行い、安田に己の膝を提供した。

 僕が動けなくなると、座席が色々チェンジし始めた。

 気付けば僕は彼女の隣には居なくて、彼女の隣にはアキとヒロくんが近くに居た。

 吾妻さんはその二人の内、アキに傾倒していたように見えた。

 アキはちょこちょこ吾妻さんを諭そうとしていたが、木乃伊取りが木乃伊になったのか、満更でもなさそうに吾妻さんを受け入れている。

 要所要所でアキと目は合う。

 その目が何を伝えようとしているのか、僕には判断が出来なかった。

 僕も少し、冷静ではないのかもしれない。

 栗田を見る。彼女の心中は伺い知れない。時折吾妻さんの方を見て目を細めているが、それはどこまで先の事を見据えているのか。

「先の事か」

 呟くと、真剣に考えなきゃいけないことのように感じた。

 漠然と良くないという感覚を抱えてここまで来たが、何故己が良くないと感じたのか紐解かなければいけないような気がした。

 対角に座っている吾妻さんを見やる。

 僕は、彼女をどう思っているのだろうか。

 今、僕は彼女にどんな感情を向けているのだろうか。

 人間関係を紐解くには、まず対象に好意を抱いているか否かを判断すべきだ。僕は彼女を好きか好きでないか。

「…………馬鹿だな」

 愚問だった。

 それは、これまでの自分の生き方を振り返ればわかる簡単な事だ。

 僕は彼女を好いている。この事実はたとえお互いがどうなろうと変わることはない。

 なら僕はどうしたいのか。彼女をどうしたいのか。

 僕は、今の家庭を捨てたいなんて露ほどにも思ったことはない。僕は間違いなく人生で今が一番幸福だ、それは妻のすいさんのお陰だし、僕は彼女と添い遂げたい。彼女が居ない人生なんて考えられない。

 矛盾だ。どちらも好いているし、どちらも愛してしまっている。

 決定的に違うのは、愛して幸せにしたいと思っているのが妻だという所か。

 そうだ。

 僕はこの同窓会に行くのが怖かったんだ。

 それは、何よりも彼女が居るからに他ならない。僕の好きが偽物だったらどうしようと、心の中で大切にしている何かが壊れてしまうのが怖かったんだ。

 でも違った。違ってくれた。

 変わらず僕は吾妻さんが好きだった。僕は変わらず彼女の笑った顔が好きだった。

 彼女が笑ってくれて、幸せであればそれで良いと感じた。

 そうだ、そうなんだ。

 僕は、彼女に幸せになってほしい。

 それが、僕の願いなんだ。

 だから、僕がどうなろうと彼女が笑っていられるなら、僕はどんな存在になったって構わない。

「自己満足の世界だ」

 そう。これは自己満足の世界だ。

 彼女にとって何者でもない僕が、ただ彼女の為に何かをしようとするおこがましい話。

 理解など、されるわけもない。

 吾妻さんを見る。

 あの頃と変わらない、そのまま大人へと変わっていた姿。変わらず可愛くて、綺麗だ。

 ごめん、ごめんね。

 僕は君を、傷付ける。

 決意を固めた頃には、朝日が昇っていた。








 

 





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