第10話

 アルバム収録曲は何度もリテイクを重ね、純怜は中古のウッドベースを買い、たまに路上ライブをする日が続いて一か月。イルから『おはよん♪』と暢気なメールが届いたのは、金曜日の事だった。


『大体の事は純怜から聞いてる。今日学校に車回すからそれに乗って、一気に十波ヶ丘まで行くよ。勿論純怜と霧都くんも乗せてね』


 車を回す、って、あいつまだ日本じゃ車の免許取れない年齢だろう。国際免許証があればどうにかなるのか? 否それだって十六歳の運転は許していないんじゃないか。昼休みの音楽室でカツサンドを食べながら首を傾げる隆介と、俺たち三人である。


 その謎は放課後に解けた。

 超絶に目立つリムジンが一台、校門を塞ぐような形で停まっている。

 運転手は特徴のない顔が特徴のような男。

 そうか、お抱え運転手ぐらい居るよな、と思って、俺達は長いリムジンに乗り込んだ。

 目をパッチリさせているイルは、本当にぐっすり眠った後のようであった。


「ジル兄に聞いたんだけど、リューとエイミって向こうの学校で面識なかったんだってねえ。そっちの方が僕にはびっくりだったよ。てっきりばったり会ってるものだと思ってた。だって僕たち、そう言う『星の元』に生まれた感あったもん」

「そう――だね、経済課棟と普通科棟って一番離れてるから気付かなかったにしても、二年通ってたのにすれ違いもしなかったのは僕の手落ちだ。ごめんなさい」

「謝ることじゃないよ~、だから今から会いに行けるんじゃない。って言うか酉里、赤くなったり青くなったり大変そうだけど大丈夫?」

「そりゃー、ねえ?」

「二人は、ねぇ」


 うるさい黙れそれ以上言うなあとこの車無駄に長くないか。

 初恋の相手だぞこちとら。朝からボタン三回掛け間違えてアマちゃんに『何やってんですか魔王様』って言われてるんだ。覚えてるのは天パーの巻き髪、引っ込み思案な控えめさ、そしてぎゅっと手を握った時の熱さ。顔は、リューの持ってた写真でも潰れてたから殆ど思い出せない。


 でも見たら分かる。そんな気がしている。そうだと思いたい。同じ星の元。そう、誰かが気まぐれにぐちゃぐちゃに混ぜた運命の糸が正されただけだとしても、その一時期俺達五人は確かに同じ星の元にいた。否、七人だ。シスターとファーザーを外しては語れないのである、俺達の関係は。運命は。


 ききっ、と緩くブレーキが踏まれると、窓の外は高速道路の両側車線ぐらいに幅のある校門だった。これで見つけられるわけないでしょ、とちょっと言い訳がましく言う隆介に、確かに、と頷く。普通科は真ん中だからその辺りから歩いて来ると思う、と言われ、俺はあの巻き毛を探した。くるくる、天パー。いつもまとまりが悪くてシスターに梳かされていた髪。


「特徴ってないのんー、その亜弓ちゃんに」

「天パーで……巻き毛……」

「高校生にもなったら縮毛矯正してる可能性はないか?」

「それはある……」


 でも。

 分かるんだ。

 だって俺達は。


「ッ」

「ユーリ!?」


 リムジンから飛び出し、俺はさらさらの長い髪をポニーテールにしている女子の手を取る。びくっとした彼女は、訝しげに俺を見た。それから、あ、と声を上げる。あ。やっぱり、そうだった。温かい手。知ってる、この温度。


 くるくるの髪じゃない。多分霧都の言う通り縮毛矯正したんだろう。でも分かる。分かってしまうのだ、俺達は。だって俺達は。


「ユーリ……?」

「エイミ」

「ユーリ、なのね?」


 初恋は叶わないと知っている。だけど叶えたかった初恋が、今ここにいる。

 ばたばたとこちらに掛けてくる足音に、あ、とエイミはまた呆然としたように呟いた。


「イル……リュー……?」

「やっとニアミス、ってところだね。あはは、エイミってばくるくるじゃないと別人みたいで見逃しそうになっちゃったよ。でもユーリは見逃さなかったんだね、あれだけ人の出てくる中で。たった一人、エイミを見逃さなかった。っふぇぇえぇ」

「ちょっ今度はイルが泣くの!? 僕にも泣かせてよ!」

『俺にも泣かせろ』

「へっ」

「ああ、さっきからジル兄にテレビ電話繋いでたんだ。エイミ、携帯端末見てみて。ジル兄映ってるから」

『ちょっと遠くに住んでてな。じかに会えないのはもどかしいが、……元気そうだな、エイミ。親にも大事にしてもらってるみたいだ、その髪見るに』

「遠くって」

「アメリカのシアトルだって。いまはワシントン大学に通ってるらしいよ」

「え、待ってジル兄私たちより一個上だよね? 飛び級ってこと?」

『ことだ。真の天才は何でもこなしてしまう』

「ユーリたちは……近所の都立高の制服、だよね?」

「先月までは僕もここの生徒だったけれど、親子関係に亀裂が走ったので引っ越してね……全然気づかなかった。エイミ」


 ふるふるっとポニーテールを揺らした亜弓の身長は、俺より十センチぐらい低いだろう。でもイルよりは大分大きい。良かった、昔みたいに身長が足りなくなくて。昔は俺より身長高い亜弓にコンプレックス満々だったんだ。今は違う。抱き締めてもいびつじゃない。


 ぎゅっと抱き締める、セーラー服の制服。

 ふぇっと泣き声が響いた。

 ぎゅっと抱き返されて、俺はこれ以上ないほどの幸福感に満たされる。

 ああ、十年ぶりだな、初恋。


「うわあああああああああああああああああああ! あああ、ああああああ!」


 泣き出した亜弓をリムジンまで連れて行き、乗せて泣くじゃくるのを宥める。それをこの上なく楽しそうにしているのが分かったんだろう、霧都と純怜が困ったように笑っていた。俺は今人生の絶頂だが、二人はどうにも居心地が悪かろう。だけど今の俺を語るのに欠かせない二人だから、イルも連れて来ることを頼んだ。赤い鼻にちゅっとすると、わーぉ、と二人が驚いて見せる。何だ、と思うと、携帯端末からジル兄の苦笑が届く。


『日本人はあんまりやらないだろ、それ。シスターたちはよくしてくれたけど』

「あ、そっか」

「なんか反射的にやっちゃうよねえ、あの頃思い出すと」

「ううう……ユーリのバカあ……」

「もしかして嫌だった?」

「嫌じゃない」

「好きな人が出来てた?」

「出来てない! 約束した、十年前に、私たち約束したあ!」


 亜弓は鞄の中から一冊の文庫本――Yの悲劇だった――を取り出し、それに挟まれているしおりを取り出した。

 ラミネート加工されたそれは、シロツメクサの指輪の押し花。

 俺が亜弓が引き取られるときに渡したものだ。

 まだ持っててくれたのか。覚えててくれたのかと、胸がぎゅぅッと苦しくなる。


「繋がってるって信じたかったけど、それを証明するものなんてもうこれしかなくて、駄目だと思ってたのにいきなりみんなで来るから……驚いたし、嬉しいし、もう訳分かんないっ……なんでみんながいるの? それと、この二人は?」

「え? えーと」

「あ、俺達酉里の仲間だよん。そこのリュー君も合わせて、イルが社長してるマイナーレーベル所属のアーティストやってんの。ベースの羽柴純怜ですっ☆」

「り、リーダーでドラムの久留生霧都ですっ。お噂はかねがね」

「? どんな噂?」

「酉里の初恋の人で失恋相手だって」

「言ってねええええええええ!」

「あ、ごめん、僕が話した」


 えへっ☆ っと笑った隆介の脇腹に肘を入れる。くくくっと笑う声が響いたのは、倭柳の携帯端末だ。ジル兄は今日は外にいるようで、ちょっと雑音が響いている。


『ファーザーも結構凹んでたけど、あの時一番凹んでたのはお前だろ、酉里。間違ってない、初恋で失恋相手なのは。それにイルから届いたそいつらのバンドのラブソングも、大概失恋ネタだったぞ』

「ジル兄煩い! 大体どうやって届けて、」

『今時の音楽なんてデータでメールのやり取りが出来る』

「のぉぉぉぉぉぉ! なんでそんな所ばっか機転が利くんだよ、イル!」

「実際やったのは純怜だよ。僕寝てたし」

「だからどんな寝坊なんだよお前は!」


 もしかして賢者の力を使うと眠り込んでしまうとかなのか? だとしたらまっとうな生活は送れないだろう。否、元々まっとうな生活は送っていないか。社長だし、宇都宮グループの直系だ。色々仕事はあるだろう。それらを片付けてから眠るのだろうか。一か月も、覚めない眠りに。

 だとしたらライブなんて見て貰えないよなあと、ちょっと寂しい気持ちになる。と同時、亜弓がきょとんっとした顔でユーリ、と訊ねて来る。


「なんだ? エイミ」

「ユーリ、スミレ、キリトって、もしかしてFairy taleの三人?」

「え、何々エイミちゃん、俺たちのこと知ってんの~?」

「知ってるって言うか話題になってたから……」

「どんな?」

「あの羽どうなってるんだろうって」


 がく~っとする。まあ魔王様の羽ですからね、伸縮自在ですけれどね、そんな理由で知っていて欲しくなかった、お兄ちゃん。

 脱力したのは霧都と純怜も同じらしく、がっくりしていた。ほらこれ、と携帯端末で動画を映し出すのを、隆介とジル兄が見ておおーと唸っている。


「本当だ、どうなってるんだろうこの羽」

『エコーズレーベルの隠し業か?』

「まあそう言うことにしておくよ」


 大賢者にウィンクされる。ありがとうフォロー。魔王だけど感謝しちゃう。


「ヴィジュアル系ロックバンド、だから当たり前だけど、舞台上だとみんな別人に見えるね。純怜君はキラキラだし霧都くんは髪上げてて誰だか分からないし、ユーリは青白いし」

「青白いしって。お前それ以上に表現する言葉はないのか、リュー」

「僕お化粧したことないからどうなっちゃうのか分かんない……」

「それならマネージャーさんが大体基本的なこと教えてくれるから大丈夫だよ。俺もキラキラよりマットの方が映える、って教えて貰ったし」

『そころでそっちの二人は俺も初めましてなんだけれどな?』

「あっそうだねジル兄、忘れてたよ。ユーリとリューのバンド仲間さんだよ。名前はさっき出たから省略」

「扱い雑っ! ちょっ、ひどいよ社長~!」

「こっちが僕の下僕で、そっちの前髪長い人は苦労人」

「そう路上ライブの時は道具の持ち出しが、って社長! それだけで俺も片付けないで!」

『なるほどノリ突っ込みか。理解した』

「理解しないで下さい!」

『俺は水原滋留みずはら・しげるまあ、長男みたいなものだと思ってくれれば良い。こいつらの、な』


 みんな自然と笑みが柔らかくなる。そう、集まったのだ、俺達はまた。誰一人欠けることなく幸運に生きている。隆介はちょっと心配だが、それでも俺たちの家に招いたりして食費や電気代を下げさせている。申し訳ないと言うが、学費しか出してくれないんだから、レーベルで正式にメンバーとして紹介されるまではこうしていてもらおう。アルバムも出ない限りは収入がないわけだし。そしていまだ制作途中であるわけだし。やっと二曲ほどミキシングが終わったところだ。先は長い。

 路上ライブで得たおひねりも、ほぼ隆介の生活費だ。申し訳ないと言ってくるが、だったらさっさと俺の歌を覚えろ、と言って茶化している。そして実際、隆介は覚え始めた俺の曲にアレンジを入れたりコーラスを入れたりと八面六臂の大活躍だ。霧都が音大に行かないのは残念だったが、とんでもない数の音楽を聴いて来た、と自負する隆介が入ってくれたのは良かったことだと思う。付いて行かなきゃならない純怜は大変そうだが、それ以上のマージンは貰っているんだから構わないだろう。

 って言うか内部観察って。外部観察もいるのか知りたい、切実に。


「イル、亜弓さんの家に着いたが。まだ話は弾みそうかい?」

「あ、じゃあメッセージアプリのアドレス交換しようよ、みんな! ジル兄のは僕が知ってるからさ! ほーらエイミ、ぐーるぐーる」


 携帯端末を回し合ってメッセージアプリのアドレス交換をする姿は、いつ見ても滑稽だと思う。と言う俺もぐーるぐる。隆介もぐーるぐる。えへへっと笑った亜弓の鼻にまたキスをすると、だからー、と隆介と倭柳に怒られる。


「室内じゃなきゃやっちゃダメだからね、それ。この車はスモークついてるから良いけど、デビュー前からすでにそう言う相手がいると言うのはあんまり戦略的によろしくない」

「お前の戦略なんて知るか。エイミは俺のだったんだ。ずっと、俺のだったんだ」

「その幸せな気持ちを詩にして、もう一曲作る?」

「その内な」

「私ネタにされるのっ!? ちょっ、ファンの子多いんだからばれないようにしてよね!? さっきの抱き合ってたのだって、何十人かに見られてるんだから!」

「マンモス校すげえ」

「すごかったんだよ……おまけに狭き門だったから、受験大変だった」

「そんなお前も公立校の生徒だ。今となっては」

「別に学歴主義じゃないから良いけどね。それじゃ、またね、かな、エイミ」

「うん。リューも、ユーリも。イルも、ジル兄も」

『またな』

「僕は一か月ぐらい返信がないものと思ってくれ。明日までは起きてるけれど」

「どういう意味?」

「僕たちにも分かんない」


 大賢者の睡眠ノルマはきついな、と、俺も曖昧に笑って亜弓を送り出した。

 後で二人っきりのメッセージグループ作ろうかな。なんて考えて。

 不純なのである、俺は。なんてったって魔王様だからな。何とでも言いやがれってんだ。

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