第3話

 霧都の作曲は存外早かった。もしかしたら先に用意していたのかもしれない、楽譜とコード表を渡された俺達はおおーっと大げさに驚いて見せる。良いなこの。カノン進行から逃げようとしてでも捕まって結局そうなる、って感じがいかにも素人臭くて。と、素人の俺は思う。第二音楽室のピアノを借りて合わせてみる。第二音楽室にはドラムセットもあるのだ、吹奏楽部が普段は使っているが今日は部活が休みの日であるので使わせてもらう。


「スリー…ツー…スリー、ツー、ワン、ゼロ!」


 最初はドラムスから始まる曲だった。それからアコギが入って、主旋律のピアノ。取り敢えず歌は無しで音だけから始めて見た。なるほど、弾きやすい。簡単な旋律で安心していると、純怜がちょっと苦戦しているようだった。いつもと勝手が違うアコギだからだろう、そこは慣れでどうにかしてもらうしかない。

 一通り鳴らすと、中々良い曲だった。あくまでピアノには。ヴォーカル兼ねてるから簡単にしてくれたのかもしれない。代わりにギターがヘビーになってしまったようだが、純怜は最後まで外さなかった。根性のある奴なのだ。難しいほど燃えると言うか。


「昨日一通り鳴らしてみたけど、やっぱアコギは分厚くてしんどいねー。でもこのぐらいならイケるよ、ダイジョーブ!」

「本当かあ、純怜。額に汗が」

「心の涙だよ!」

「余計に悪いじゃねーか」

「俺はこれで歌付きになるとトントン、ってところかな。でも結構フォーク寄りで驚いた。フォークロックは今までのうちのバンドになかったもんだからな、新しくて良いと思う」

「今までと離れすぎて客が呆気に取られないと良いけれど……」

「それはどうかね。やってみなくちゃ分からない」

「うー、嘘でもそんなことないって言えよお」


 へにょん、とした霧都が可愛くて、ぽんぽんと俺達はその肩を叩く。確かに今までの俺たちのノリじゃないが、悪くはない。と思う。少なくとも俺達は。おー、と覗いていた下級生たちが、ぱちぱちまばらな拍手をくれた。良かったら体験入部するか? と誘ってみたが、もうとっくにみんな別の部活に入っている。空しい呼びかけだが、軽音部の明日が掛かっているのだ。部費とかも。否、レーベル入ってるから一応そっちがバイト扱いで部費は別なのよ。そして今年の部費は二万円。箱一つ借りれやしない。俺達に死ねと言うのか、と直談判したが、文化祭でのライブ費用だ、と言われた。

 確かにそれ以外には新歓式ぐらいしか使わないので、ぐうの音も出ない。新歓式ではレベルが違いすぎると中学からやってた子たちがどんどん挫折して行ったと聞いているが、それも知ったことではない。俺達はいつだって全力を出しているだけだ。全力で。それで逃げられちゃ、元も子もないわけだが。


 何度か歌無しで合わせ、純怜のギターも危なげなくなる頃には、七時を回っていた。やっべ、と言う霧都に、ドラムセット片付けておくから先に帰れよ、と言い逃がしてやり、さてこれはどうなっていたものなのだろうかと純怜と小一時間悩んだ挙句何とか収納し終わるころには、八時を回っていた。

 チャリ通の俺と徒歩通の純怜――片目が見えないので危なっかしいそうだ――が分かれ、家に帰ると丁度風呂の時間だった。遅いぞ、と軽く怒られたが、新曲に夢中になって、と言うと、とたんにワクワクした顔をしてくれるんだから、うちの両親は子供に甘い。


 風呂上がりの夕食の最中、携帯端末で録音していたのを聞かせると、ふんふん頷きながら両親は黙って聞いてくれた。どう思う? と訊いてみたところ、歌が無いのでまだ何とも言えないけれど、いい曲なんじゃないのか、とのお答え。まあ専門的なことは期待してないから良いけれど、ギターがエレキからアコギになったことぐらいには気付いて欲しい。


「ピアノ習ってたのが役に立って良かったわね、小学校の頃だけだったけれど」

「どこの町にもピアノ教室があるって訳じゃないかったからなあ。転勤族で苦労掛けたな、酉里」

「別に困ったことはないよ。今みたいに役に立ってるし。むしろ珠算とか色々やらせてくれて感謝してる。指が固くならないで済んだし、暗算も得意になったし」

「酉里は本当に良い子ねえ。うちには勿体ないぐらいだわ」

「父さんたちが勿体ないぐらいなんだよ」


 まあ、と顔を赤くする両親である。ほんと、この二人に引き取られてなかったら、今頃俺の能力でばこーんと一家離散させてる所だったからな。


 シスターやファーザーに見送られこの家族に入った時、俺は相当ぴりぴりしていた。二人以外の大人は知らなかったからだ。近所の野菜くれるおばちゃんとか、一口おまけしてくれるお肉屋の兄ちゃんと違って、まるで殆ど知らない人たちだったから。聞けば何度かお泊りはあったけれど、その時の俺はにっこり良い子ちゃんだったらしい。だけに、本格的に引き取ることになった時のこわばり様は凄かったと。

 でもシスターに聞いたレシピのカントゥッチーニを出すと、ぱっと笑ったのだそうだ。カフェモカではなくブラックのコーヒーに浸して食べる様子は、大人っぽくもあり子供っぽくもあったと。


 あのコーヒーブレイクが無かったら、確かに俺は二人をイガイガさせて、俺を孤児院に帰させようとしたかもしれない。でも俺はそうしなかった。二人が不慣れな俺のために用意してくれた、あのカントゥッチーニが嬉しかったからだ。人間も良いもんだな、と思った最初の出来事かもしれない。それまでの周りにいた連中は、他人じゃなく家族だったから。家族に優劣は付けられなかった。他の家庭を知るまでは。そして俺はこの家を知った。

 良いところだと、心底から思っている。心底から俺の夢を応援してくれている。だからこそ進学せずにレーベルに残ると言ったらどんな顔をされるか分からないな、とちょっと怖かったりもする。


 wind with wind、と名付けれた新曲は、風が集まって嵐になっていく様子を歌ったものだった。まるで俺たちのようだな、と言えば、実は、と霧都は話した。この曲のお披露目ライブに両親を呼んで、大学に行かずに活動を続けたいと言うつもりらしい。その為の新曲なのだと。その為の自分の力いっぱいなのだと。

 確かに今どきは通信講座でピンポイントで知りたいことも知れるし、作曲の仕方を示す動画も充実している。わざわざ学校に行かなくても良いかもしれないが、一人ぐらい音大に行った方が良いんじゃないかと言うのも俺の考えだ。純怜は進学希望じゃない。俺と同じフリーター兼音楽家を目指している。でも霧都は。殆ど背中を押されている霧都ぐらいは、進学しても良いんじゃないだろうか。


 元々狭き門だし、落ちたら落ちたで良い。でもチャレンジする前から合わないと決める事もあるまい。俺はそう諭したが、いいや、と霧都はかたくなだった。


 霧都。霧の都。ロンドン。イギリス。マッドチェスター。ブリティッシュ・ロックの国。ハネムーンベイビーだそうでそう名付けられた霧都は、親からロックを子守唄に育ったそうだ。サイケやアシッドハウス。その辺りの歴史も俺は良く知らない。だから、フォークロックをするならそう言う地に足の付いた知識も必要になって来るんじゃないだろうか。

 バンドのグルーブラインで言ってみたところ、そっかなあ、としょぼんとした顔文字が付けられて帰って来る。本当可愛いなうちのドラムスは。でも、そう言う音楽の歴史はご両親の方がニッチにコアに教えてくれそうでもある。


 迷いどころだよな、と思うと同時、がしゃがしゃとアマちゃんがケージを鳴らした。


「魔王様! 掃除! ヒマワリの種!」

「あ、そうだった忘れてたな。よし、ちょっとここに居ろよー」


 ノートPCの上にアマちゃんを置いて、俺はケージを階下に持って行く。丁度明日はゴミの日だ。ばさばさと中身を掃除して糞をティッシュで拭き取り、新しいヒマワリの種も入れてやる。綺麗にした中を確認し、二階に戻った。するとどうやってかノートPCの電源を入れたアマちゃんが、ネットサーフをしている。おいおい、と思いながら、俺はケージを日の当たらない定位置に置いた。ふんふんいってるアマちゃんを手に持ってケージに戻すと、魔王様、とアマちゃんが言う。


「魔王様はもうあの世界に戻って魔王をするつもりはないんですか?」

「今の所はないな。引き継ぎは終わってるし、生まれたての魔王がさっさと勇者一行に殺される、なんてことでもない限り戻る必要もないだろう」

「ですけどー。でも『魔王様』宛てのメール、結構来てるじゃないですか。しかもみんな苦境に立っている。それを見過ごすのも魔王様らしくないですよー」

「元魔王だ。今の俺は神志那酉里。帰る里はここの、鳥だ」

「それまでにはどこへでも行く?」

「かもな」

「なーんかなー」


 補充されたヒマワリの種をむしゃむしゃ言いながら剥いて食べるアマちゃんは不満そうだった。魔王の俺が教会で育って神の名を持つ家に引き取られた、って言うのも中々皮肉な話だが、そう言うこともあって良いのがこの世界なんだろう。充実している。俺はこの異世界で、魔王としていることもなく、ただのバンドのヴォーカリスト兼学生をしてるのを楽しんでいる。

 魔王してた時は何して楽しんでたっけ、なんて、思い出せないぐらい昔のことになりつつあるのだ。そして俺はこの世界に干渉は最低限で生きて行きたい。父母を心配させることも無く、メンバーに失望されることも無く。魔王様宛のメールを振り分ける作業をしてから、また俺はファンメールを印刷する作業に戻った。


 あとは譜面覚えて音律も覚えないとな、新曲。自分で作ってた方は暫く置き去りにしておいても良いだろう。先に出来た霧都の曲を覚えなければ。フォークロックか、フォークソングとの違いがよく分かっていないけれど、取り敢えずららら、で音声を入力していく。出力したらMP3プレーヤーに入れて、取り敢えず音律を覚えることに集中だ。歌詞はそれから。

 何度も何度も聞いていると眠くなる。

 PCを落として俺は、眠ることにした。

 ららら、で聞こえる新曲を脳に焼き付けながら。


「だからだから、愛しておくれ

 ずっとずっと、見惚れていたい

 キスをしようハグをしよう踊って回ろう

 君が消える前に 思い出に消えてしまう前に」


 どっかで聞いたフレーズが入るのはよくある事だ。日本語の表現だって無限じゃない。さて、まずはサビから覚えて行くとして、AメロBメロはららら。で良いだろう。声を出さないよりましだ。

 部活の場所はドラムセットの関係で霧都の家になることが多い。音楽セットもずらっと揃ってるし、昔のレコードなんかもあって、休憩中の暇つぶしには困らないぐらいだ。シナトラのfly me to the moonとか、綺麗で良い。でもロックではないよな、ジャズだよな。音楽なら何でも好きなのが、この家の懐の深いところだ。


 差し入れよーっとミルクたっぷりのアイスコーヒーを持って来てくれたお母さんは、今回も酉里くんの曲なの? とわくわくした顔で訊いて来る。ちらっと霧都を見ると、苦笑いされたので、


「まだ秘密の曲なんですよ。ライブで初披露するつもりなので、それまで待ってて下さい」

「まあ、おばさんを仲間外れにする気?」

「とんでもない。とっておきだからこそです」


 楽しみにしているわね、と盆を下げて行ったおばさんの後姿を見送りながら、俺と純怜はじーっと霧都を見る。


「責任重大だぞ」

「だぞ」

「ウケなかったら進学な」

「な」

「わーん仲間二人の目が怖いー! 酉里だって進学すれば良いじゃねーか、だったら!」

「うちは養子だからあんまり親に迷惑掛けたくないの。音大って金掛かるんだぜ? 引っ越し貧乏の我が家にはちょっとな」

「うちは父親がいないときは母親が入院生活送ってるから、そんなに裕福でもないー。父親は相変わらず世界中飛び回ってるから、移動費結構かかってるし」

「うううっ。なら俺しかねーのかなあ……」

「まあ、そう言うことだな」

「頑張れ定住一人っ子ついでに公務員親持ち。安定した収入源があるんだ、お前が一番適してる」

「そんなこと言って二人とも受験勉強したくないだけじゃ」

「「それもある」」


 二人揃った言葉に、がくんとなる霧都である。

 まあ、お前が最後の希望、と言う奴だ。頑張れ。俺達も練習頑張ってお前の進学資金にしてやるから。


 ぽんぽんと両側から肩を叩いて、しくしくよよよと泣き崩れる霧都の乙女のような様子を眺める。本当可愛いよ、うちのドラムス。でも舞台ではちゃんと格好良い振りが出来るんだからすげーよな。まあ、俺の羽に隠れてドラムセット殆ど見えてないけれど。そのぐらいのびのびしたいのだ、俺だって。謎羽として動画サイトに投稿されようとも。そして固定客に魔族が増えようとも。

 今度は三百人ぐらいの箱でソロやってみようかなあ。でも危なっかしいから、同じ傾向の同レーベルバンド誘ってみよう。確かあったはずだ。デリバリーデビルズ略してデリデビさん。デビルってつく割には魔族一人もいないんだよな、あのバンド。謎だぜ。

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