第2話

 クラスの違う俺たち三人は、昼休みに音楽室に集まるのが基本だった。霧都は手作り弁当(作ってるのは自分だそうだ)、純怜は購買のパン、俺はコンビニのおにぎり三つ。それからメールを印刷したものを回し読みにすると、へへっと照れたような笑みを漏らす霧都が可愛かった。男を可愛いで表すのは何だが、ワックスが取れて長い前髪で顔を隠している霧都は可愛い系だった。目付きもおっとりしているけれど、それが分からなくても子犬のようだった。

 純怜の反応も上々だ。むゅむゅ口元を歪ませて、結局きひひっと笑いを漏らす。


 そもそも俺達がバンドを組むことになったのは、純怜が原因と言うか、きっかけだった。中学の修学旅行で偶然同室になった俺達は、夜中に純怜のうなされる声で目を覚ました。助けて、やめて。揺り起こすと同時に、目玉が取れた。ぎょっとしたのは俺と霧都で、純怜はあ、と言ってそれを拾い、左目に嵌めた。それは義眼だった。よく出来た。中学三年間気付かないぐらいの。


 お母さんが僕を殴ったんだ、と純怜は無表情に語った。小学生の頃、俺達も知っている名ピアニストとして有名な人とその奥さんとの間に生まれた純怜は、すでに頭角を現していた。そして父の不在に悩む母を元気づけようと、父の真似をして父の十八番を引いた。

 それが間違いだった。父親の不在に疲れ切っていた母親は、ピアノに向かう息子に父を見たらしい。そして殴りつけた。椅子で、ガツンと。


 お父さんお父さんどうして帰って来てくれないの。私たちが可愛くないの。寂しくないの。あなたにはピアノさえあれば良いの。


 大体そんなことを呟いて、落ち着いた母親は頭から血を流している息子に気付いて慌てて救急車を呼んだらしい。それでも手遅れは手遅れで、純怜の左目はつぶれて元に戻らない状態だった。急いで海外公演から帰って来た父親は、純怜の義眼を手配し、それから十歳の息子に告げたのだ。


 お母さんは危なっかしい。今度はもしもの事があるかもしれない。だから純怜、お前はお祖母ちゃんの所で暮らしなさい。ピアノもある。だから。


 だけど純怜はもう、ピアノが弾けなくなっていた。母親を狂わせたその楽器が恐ろしくなっていた。それに何より片目が見えないと言うのは結構なハンデだったらしい。だから父親が昔使っていたアコギに手を出した。それなら大丈夫だと思ったから。感情を乗せすぎないで、それでも自分の好きな『音楽』に出来る楽器。

 幸い純怜は頭が柔らかかったのか、すぐにギターにも慣れて行った。だけど近所から苦情が来るようになった。お宅の子がギターを弾き始めると猫や犬が煩いんだけれど。結局感情は伝わってしまうようで、だから純怜は中学進学を機に親戚がやっているアパートに引っ越ししたらしい。防音の部屋が丁度あったのだそうだ。

 近所の音大の人が借りに来ることもあるからと、全部屋が防音。聞きたくないピアノの音は聞こえない。ほっとして、ずっと過ごしていたと思っていた。そう出来ていたと思えていたのに。


 だけど魘されていたと言うことは、やっぱり心の傷は深かったのだろう。それに気付くきっかけになったのが、この三人部屋だ。小学生の頃は男子なんて雑魚寝で気付かれなかったんだろう。気付かなかったんだろう。自分でも。

 じゃあさ、俺とセッションしてみない? 言ったのは霧都だった。独学でドラムスをやっているんだけれど、ギターもいた方が楽しいし、練習になる。なあ、帰ったら、一緒に弾いてみようよ。俺は絶対お前を殴ったりしないから。部屋も防音だし。

 ぽかん、とした純怜に、俺は畳みかけるように言った。じゃあ俺歌うよ。聖歌とかなら歌える。俺、孤児院で育ったんだ。教会だったから色んな聖歌覚えたし、それになんか神聖っぽくて強そうじゃん?


 強そう、との言葉に、純怜は噴き出して笑った。丁度夜回りの先生が来たところだったけれど、けたけた笑い合って俺達はバンドの結成に至っていた。先生は純怜が義眼を取り出して見せるとぎゃああああと声が響くほど叫んで、逆に怒られていたのが滑稽だった。知っていたでしょ。でも見るのは初めてで。あわあわしていた新任の先生は、俺たちの担任に怒られてそれでも弁解をしていた。


 そのバンドももう二年を迎えている。最初は路上ライブなんかをしていたけれど、マイナーレーベルの人から名刺を貰ってから、そこに所属する事にしていた。少ないけれど売り上げで給料が出るので、俺はしゃかりきになって作曲講座の動画なんかを参考にしながら曲を作り続けた。最初は三カ月に一本。二年になってからは半年に一本。ミニアルバムを出したら即効売り切れて、すぐに再販が掛かったと聞いた時は、家の中でいやっほううと叫んでしまったっけ。

 どうせそう数売ってなかったんでしょ、との母の言葉は次の月に銀行口座に振り込まれた額で撤回された。あんたすごいわ。流石に教会の子、カノン進行がえぐい。とは父の言葉。カノンは別に聖歌の事じゃないよと言うと、そうなのか? ときょとんとされた。この位音楽に興味のない親で丁度良い。


 そろそろフルアルバムも作りたいから、俺も霧都と並行で何か曲作っておこう。霧都は音大を目指せと親に圧力を受けているそうだから、その為にも暇人な俺が頑張らなくてはなるまい。純怜が一番詳しいことは詳しいんだけれど。あいつにはまだ演奏以外させたくないのが本音だ。トラウマで演奏すらできなくなったら大変だし。

 聖歌のもじり、異世界の子守唄のアレンジなんかをしつつ、俺は音楽ソフトを使って作曲作業を進めていく。この世界ではどんな歌が受けるのかは分かって来たところだ。ずばりロックンロール。これは鉄板である。そしてうちも、ヴィジュアル系ロックバンドを名乗っているからには、それで行って良いだろう。たまに入るアコースティックなフォークだって丁度良い。


 放課後はそれぞれに練習と作曲、と言うことで昼休みの俺達は分かれた。

 ニヨニヨしながらファンレターを呼んでいる後姿が微笑ましいな、なんて思って。

 ……異世界トークは全部振り分けしたよな、俺? と、ちょっと気になってしまうほど、二人は楽しそうだった。


 家に帰ってPCを立ち上げると、まだちょっと眠そうなアマちゃんが声を掛けて来た。あれぇ。


「また作曲するんですかあ? 魔王様」

「今の俺は酉里だ、と何度も言わすな。詩だけでも作っておこうと思ってな。いっそ向こうの言葉で歌えたら新鮮なんだろうが、どうにもそう言う気にはなれない。ラブソングが無難なんだろうけれど――」

「魔王様には恋愛経験がちょっと……」

「ほ、本で読んだことはある。バカにするな」

「してませんよう。でも実地で知らないことはボロが出るんじゃないですか? 処女膜が膜だと思っているように」

「下ネタから入るな! あーもう駄目だ、PCじゃなくノートにしよう。詩は元々そっちの方がよく湧くんだ」

「良いですか。処女膜は切れるもんですよ」

「だから言うな!」

「魔王様真っ赤で面白いもんだからつい」

「アマネセル、お前なあ~……」

「酉里? 電話中?」


 こんこん、とノックされて、俺は慌てて携帯端末を取る。


「いや。今終わったとこ! なんか用、お母さん」

「カントゥッチーニ焼いたから食べないかしらって。作曲には糖分も必要でしょう?」


 カントゥッチーニとはイタリアのお菓子でコーヒーに漬けて柔らかくして食べるアーモンドビスケットの事だ。俺はパッと顔を明るくして、てってっとドアに寄り、そこを開ける。コーヒーの匂いと香ばしいカントゥッチーニの匂い。んー、おやつタイムには最高だな。


「下で食べるよ、母さんも一緒に食べよう?」

「あらあら、気を遣わせちゃった?」

「そんなことないよ。楽しみー、母さんのカントゥッチーニが一番好きだ。市販されてるのはなんか柔らかくて逆に落ち着かない」

「あらあら」


 仕方ない子ね、と笑う母さんと一緒にコーヒーブレイクをすると、良い感じに頭が回って来た。コーヒーの覚醒効果とカントゥッチーニのカロリーのお陰だろう。結構甘いお菓子なのだ。だけに、脳がきゅりんきゅりん活性化するのが分かる。

 初恋でもテーマにしてみようか。それなら俺にも覚えはある。同じ教会孤児院にいた女の子だ。一番最初に貰われて行ってしまった子。その時の寂しそうなシスターとファーザーの姿は、こっそりドアから覗いていた俺にも思い出せる。あの時の気持ちになり切って書けば、初恋の獲得と喪失と言う二重線の曲が出来るだろう。


 よし、俺は出来る子。里に帰って来ることのできる鳥――酉なのだ。結局あの孤児院に色んなものを取りに行くけれど、戻って来るのは必ず今この家。ここが俺の里。どこまで考えてくれた名前なのかは分からないけれど。二人とも外人だったしなあ。でも名前はみんな、シスターたちが付けてくれたはずだ。俺はユーリ、と呼ばれていた。なんだかんだ舌が回らなかったんだろう。ユリウスの愛称がユーリなので結構ぎくっとしたりもしたが、偶然だったと思っておこう。偶然。かなあ、シスター。ファーザー。


 亜弓はエイミ。隆介はリュー。滋留しげるはジル。倭柳しずるはイル。呼びたいように呼び合っていた。一番年下のイルでも俺より一つ下、一番上のジル兄でも俺より一つ上。エイミとリューは同い年。だからみんないつも一緒だった。誰が一番もなく、並列に愛されていた俺達。シスターがこっそりカントゥッチーニの端っこの焼け焦げた部分を食べているのを見付けた時は、反対端を渡されて、内緒よ、と言うこともあった。多分その程度の内緒は誰にでもあったんだと思う。いい加減な人たちだった。でも、良い人たちだった。


 前世が魔王の俺には、聖職者は立ち向かってくるものと言うイメージしかなかった。それを払拭してくれたのが二人だ。否、魔王でさえなければ誰にでも優しいのが本当の所なのだろう。俺は魔王だったから。人々の生活を脅かす魔族の頂点にある、魔王だったから。だから蔑まれ、畏れられた。それが本当の所なんだろう。結局のところ。

 シスターたちが俺を魔王だと知っていたら、どうしていただろうか。小さなうちに殺してしまっていただろうか。分からない。でも小さなうちから飼いならされてしまったような気はする。俺は魔王だ。魔法も使える。魔族を操れる。こちらに転生してきた魔族たちを蜂起させれば、カナダぐらいは簡単に落ちるんじゃないかと思っている。


 でも俺はしない。何もしない。ただライブで少数の魔族たちに力を与えるだけだ。その力も、日々の疲れですぐになくなってしまうのが本当の所らしいが。メールにあった、魔王様の力を分けて貰っても、仕事で一週間も経ったらすぐに尽きてしまいますと。

 かと言って膨大に放出は出来ない。そんなことをすれば転生してきているだろう、勇者たちにも気付かれるかもしれないからだ。俺はなるべく穏便に生きて行きたい。神志那酉里として、静かに暮らしたい。ロックでロールな日々はまあ良いとして、勇者なんかとやり合う日々はまっぴらなのだ。高揚して羽が広がったりするのはまだ良いが、それ以上は流石に良くない。俺は穏便に、穏当に暮らしたい。


 でもメジャーレーベルには上がりたいんだから矛盾した祈りだよなあ、これも。目立ちたい、届けたい、もっと多くの同胞へ。飢えている人々へ。そして音楽を怖がっている純怜へ。音楽を愛している霧都へ。

 フォークロックだとしたらピアノもある箱が良いだろうか。勿論弾くのは純怜じゃない、俺だ。オルガンの弾き方なら教会でシスターに習っているから、大丈夫だろう。その後の合唱大会なんかでもピアノを任されることはあった。問題はピアノとヴォーカルの二刀流が俺に出来るかと言うことになるが、これは試してみないと分からない。どうなんだ俺。頑張れ俺。


 霧都の作詞作曲はほとんど初めてだから、俺もやっぱり詩を書こう。詩だけは貯めておこう。音は後から付いて来る、と言うのが俺の作曲方法だ。最近はヴォーカルアシストソフトも出ているから、それに歌わせてから本チャンに入れるのも良い。女性ヴォーカルがたまには欲しくなるが、そう言ったソフトで十分と言えば十分だ。

 さて、初恋とその喪失からまず一曲作っていこうか。可愛らしい言葉遣いにした方がそれっぽいだろうか。幼い恋のロック。エイミ、どうしてるかな。君は今どうしていますか。僕の君は。僕だけのものだったはずの君は、今はもうここにいません。ふんふん。死別も思わせる切なさで良いじゃねーか。


「魔王様、口元緩めて作詞してるのきもいですよー。あとそろそろ糞が溜まって来たので籠の掃除してください」

「まて、今乗ってる所なんだ、水を差すな。後でやってやるから」

「あとヒマワリの種の増量もお願いします」

「分かった分かった」

「ほんとに分かってるのかなー……」


 アマちゃんの雑音に身を任せながら、俺は小さな恋のロックを綴り続けた。

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