芥 Ⅲ  ー バンカーバスター編 ー

青山 翠雲

序:人生はジェットコースターか量子もつれか

 かつて平安時代に三十六歌仙の一人としてもその短歌の才を謳われた小野小町の作にして百人一首にも収められている名歌


 花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに


 は、人の容色やそれに伴う人気は桜の花の如く、容易に変わりやすく、ちょっと茫っと浮かれて眺めている間に、あっという間に衰え、我が身の置き所はなくなってしまうものだなぁ、とその絶頂期の儚さと、その後の長雨のごとき、しとしとじめじめとした長く暗い時間の辛さや憂いを、音楽で言えばしっとりとした短調の調べで詠い上げた、年齢を重ねた大人だからこそ醸し出せる、味わい深い名歌である。


 平安400年と言われた平穏な時代にあってすら、人の評価や人気ほど時の移ろいや人心の変わり行くさまは早くて、この名歌が生まれたわけであるから、激動の時代にあっては、その浮き沈みはまさにジェットコースター並みの急上昇や急降下、目まぐるしい回転や急カーブの連続と言ってよかろう。


 その例を歴史に求めれば、カエサルしかり、ナポレオンしかり、栄枯盛衰や盛者必衰といえば『平家物語』がすぐに脳裏に浮かぶなど、まさに枚挙に暇がない。しかし、ここでは、二人の名前を挙げて、その真理に迫ってみることとしよう。


 卑近な国内例を引けば、田中角栄首相なども評価が二分される人物である。小学校しか出ていないものの、人心を掴むその能力において右に出る者なく、しばしば今太閤と呼ばれ、豊臣秀吉と比較されることが多い。人心掌握術と肝の据わった大胆な行動力と決断力、交渉力を兼ね備えた彼は、国民への分かりやすい「日本列島改造論」を掲げ、地方の格差是正を目指し、全国的なインフラ整備を押し進め、日本列島全体を底上げし、戦後復興を多いに前進させるなど、彼の才能を遺憾なく発揮し、一躍時代の寵児として、強いリーダーシップを発揮し、大鉈を振るう改革実行者となった。まだ日本の中国侵略の記憶も生々しい中、日中国交正常化を成し遂げ、日本にパンダを連れてきたかと思えば、国外不出だったモナリザの絵画が初めてフランスを出て、敗戦国である日本にやってきたのも、田中角栄の手腕と交渉力、さらに人心を巧みに掴む話術と胆力によるものであったと言えよう。これらのことは、彼なくしては、実行不可能であったろうと思われる。しかし、その後、派閥政治や金脈政治へと捻じ曲げた負の側面もあり、ロッキード事件を契機に総辞職へと追い込まれ、総理経験者ながら逮捕される事態へと発展。まさに、ジェットコースターのような人生と言ってよかろう。


 もう一人は、原爆の父と言われたJ・ロバート・オッペンハイマーその人である。予め誤解のないよう断っておくと、筆者は、原子爆弾をはじめとした核爆弾には反対の立場にあり、原子爆弾開発は、人類が悪のパンドラの箱の扉を開けてしまった最たるものだと思っているところであり、原子爆弾の犠牲となり、命を失われた多くの無辜の一般市民の御霊には深く心より哀悼の意を捧げるものである。


 今回、よもや続編が生まれるとは筆者自身思ってもみなかったところであるが、筆を執る気になったというのも、世界情勢の変転ぶりを眺めせしまに過ごしていると、「これは!?」と思うような事柄が次から次へと目の前を目まぐるしく駆け巡っていったからに他ならない。


 つい先日も、アメリカのドナルド・トランプ大統領が、「広島や長崎の例は使いたくないが、あの戦争を終わらせた点で本質的に同じことだった」とバンカーバスターによるイラン核濃縮施設“壊滅”に向けた「ミッドナイトハンマー(真夜中の鉄槌)作戦」と停戦合意による一連の12日間に亘る戦争終結について述べている。


 あらためて申し述べるが、広島・長崎に投下された原爆により、肉親を失った方や大きな怪我や放射能被害を受けて人生の大半を過ごしてこられた方々にとっては、「トランプ大統領、何をほざいてやがる!ふざけんな!」というところであろう。それは、神風特攻隊の餌食になり、肉親を亡くしたアメリカ人にも、南京大虐殺で子どもを殺された中国人にも言えることなのであるとも思う。則ち、「人間どおしが、自分の意思でもないのに、殺し合う戦争ほど愚かなものはない!」と思うのである。


 これも戦争を知らない世代で、戦争で近しい家族・親族を亡くしていないからこそ、言える言説であることは重々承知の上、この先も語ろうと思うが、歴史学的見地から言えば、また、特に連合国軍側からの視点・立場からすれば、急ピッチで開発を行い、日本に投下した2発の原子爆弾こそが、同胞の連合国軍の何十万という命を救ったというのは間違いないであろうし、日本も東条英機元帥以下の「1億総玉砕已む無し」との大和魂精神論を何人も国内で否定できなかったわけであり、ソ連の参戦も迫っていたことを鑑みれば、あのまま戦争を続けていれば、日本国民が地上から消し去られていたかもしれないし、日本列島は少なくとも米英仏ソで四分割はされていたことだろう。歴史を語る際にIFは付き物だが、どう転んでいたかは分からないのであるから、原爆が戦争の早期終結を促したという側面も否定はできないし、玉音放送による無条件降伏受入れがなければ、今日の日本の姿はなかったとも言えよう。繰り返し言うが、人が人を殺し合うほどの戦争ほど愚かな行為はないのである。


 さて、そんなアメリカ国民にとってみれば、多くの同胞の命を救ったオッペンハイマーは一躍、時の人となり、英雄視され、文字通り『TIME』誌や『LIFE』誌の表紙を飾るまでになる。しかし、昨今、公開され、人間オッペンハイマーその人に迫った映画『オッペンハイマー』の冒頭に出てきた「ゼウスの火を盗んで人に与え、その罪で神から永遠に鎖でつながれた拷問に合う“プロメテウス”」という言葉やオッペンハイマーが何度かつぶやく「我は死神なり、世界の破壊者なり」の言葉が鮮烈に響き渡るように、オッペンハイマー自身、科学者として、生涯、核兵器を開発したことに苦悶することになる。当時、これまでの常識を覆す量子力学が産声を上げ、様々な活用法が分かってきた中、不幸にも戦時中であり、一般相対性理論から原子爆弾への応用を危惧したアルベルト・アインシュタインは時のフランクリン・ルーズベルト米大統領にナチスによる原子爆弾開発の懼れと警戒を発する手紙を書くなど、どこの国がこの原子爆弾を開発するかで、一体、地球はどうなってしまうのか?と考えるだに恐ろしいIFが科学者一人ひとりに突きつけられることになる。ナチスに先駆けてこの新型破壊兵器を持たねば大変なことになる、との思いで突き動かされるように開発に没頭するオッペンハイマーであるが、開発目前でそのナチスが消滅し最大の開発目的を失う。しかし、科学者である以上、理論が理論どおりに実践されるのか試してみたかったという思いがなかったとは言えないであろう。日本が降伏せず、旗艦大和を沖縄戦にて敢えて座礁させてまで一億玉砕の魁として徹底抗戦の構えを見せており、先にも述べたとおり、ドイツを駆逐したソ連が日本への参戦意思も表明していた最中さなかであったアメリカは秘かにロス・アラモスで進めていた「マンハッタン計画」で1945年7月16日に世界で初めて核実験「トリニティ実験」を行い成功、ただちにポツダム会談に臨んでいたトルーマン大統領に伝えられ、ポツダム会談上におけるアメリカによるソ連側への交渉カードとして使われた。


 その後は、8月6日に広島への「リトルボーイ」、8月9日に長崎への「ファットマン」の投下がなされたのは周知のとおりである。原爆というか水爆の恐ろしさは、「大気引火(爆発とともに地球の空気が全て燃えてしまうこと)」の可能性がゼロではなく、「ゼロに近い Nearly Zero」であるということを知った時には、筆者自身、「バカヤロウ!可能性ゼロでない中、そんな危険な実験を地球上でやってんなよ!」という憤りを覚えたし、オッペンハイマー自身も、とんでもないものを世に生み出してしまったという思いに苛まれることになる。


 E=mc²という式が、筆者も勉強するまでは、時間と空間の理論である相対性理論が、なんで原子爆弾に繋がるのかは、まるで理解が及ばなかったが、分かるとなるほど、と思うし、頭のイイ人というのは、途轍もないことを思いつくものだ、と改めて思った次第である。読者にもその原理の一端をお伝えしておくと、アインシュタインの一般相対性理論の極めて簡明な式

E=mc²

をさらに分かりやすく表現するならば、

E〔Energy〕⇔ m〔mass:質量〕×c²〔celeritas:ラテン語の速度から光速を表す〕

となり、質量に光速、則ち1秒で約30万km(一秒で地球を7周半する。Voyager1号が宇宙を48年間飛び続けてようやく先日、光速が1日で到達する距離:1光日に到達したというニュースは我々に改めて光のスピードの速さを認識させた)進む速度の二乗を掛け合わせれば、エネルギーに変換できるという式であることに他ならない。


 そもそも原子爆弾は何かと言えば、原子核に中性子を当て、核分裂を起こす際、中性子を放出し、その中性子が他の原子核に当たる(吸収)と次々と中性子を放出&吸収の暴走的反応、いわゆる核分裂連鎖反応が起きるが、その際に僅かに起こる「質量欠損」をエネルギーに変えているものに他ならない。


 核分裂が起きやすい物質としてウラン235があるが、このウラン235が核分裂を起こす時に、僅かに「質量欠損」が起きる。例えば、ウラン235 1gが核分裂時に生じる質量欠損は0.0009gである。


 これを、あのアインシュタインが導き出したE=mc²の式に当てはめてみると、

E=0.0009 × 300000000²

 =8.1 × 10¹⁰ ジュール

 =2 × 10⁷ キロカロリー

 (2000万キロカロリー)

 換言すれば、石油2トン分の熱エネルギーが僅か1gのウラン核分裂から生じる、ということになる。僅か1gでこうであるからして、1kgでこの千倍、10kgで1万倍ということになる。広島の上空に太陽が出現した、というのもあながち誇張しすぎた表現ということでもないのが分かる。  


 なお、核分裂には頑張らなくてよいのだが、ガンバレル方式(Gun Barrel)と爆縮によるインプロージョン方式(Implosion ⇔ Explosion「爆発」という「外へ」の逆を意味する「内へ」という接頭語に置き換えた造語)の2つがある。


 ガンバレル方式は極めて単純な方式で、核分裂を起こしやすいウラン235の臨界量に達していない状態の半球状の物質を2つ少し離しておいておき、同じ砲身内で片側に爆発物を入れておき、その爆発の勢いで二つの半円状の物質を瞬間的に集合させ、そこに中性子を照射して連鎖反応の臨界状態を作り出し、莫大なエネルギーを放出させるというもの。広島に投下されたリトルボーイはこの方式が採用されており、構造が単純であるため、実は実験なしに直接実戦で投下されたものとなる。この時使われたウラン235は60㎏だが、実際、核分裂反応を起こしたのは約1キロと言われており、残りは核分裂を起こさずに四散したと言われている。このように、作りが単純で核実験なしでも核兵器を持てるので、核開発初期段階の国はウラン235によるガンバレル方式による原爆を選択する場合が多い。イランの核開発もウラン原爆計画が主体となっている。さらに、ウランを原爆に使用するには、濃縮が必要となってくるが、ウラン濃縮施設は後述するプルトニウム生産黒鉛炉と違って、地下に設置しやすく、大量の赤外線も放射しないため、偵察衛星に位置を察知されにくいという特徴がある。


 もう一つの爆縮によるインプロ―ジョン方式はプルトニウム239が用いられる。マンハッタン計画でのトリニティ実験で世界初の核爆発実験が行われたのはこちらのタイプであり、長崎に投下された「ファットマン」はこちらのタイプとなる。プルトニウム239は天然にはほとんど存在しないため、原子炉(黒鉛炉や重水炉)内で化学的処理を行いプルトニウムを選択的に抽出する。メリットはウラン235に比べて同じ核分裂の臨界量に達するのに約6kgと少量で済み、5大国の核兵器生産はプルトニウムが主体である。


 デメリットとしては、扱いが難しく、密度の低いプルトニウムを爆縮という極めて高度な緻密な計算を必要とする均等な衝撃波が必要であり、マンハッタン計画においても、天才数学者ジョン・フォン・ノイマン達の10ヶ月に及ぶ衝撃計算がなければ、実現し得なかったと言われている。


 それにしても、原子理論原理の礎を築いたのがアルベルト・アインシュタイン、量子力学を確立したのがヴェルナー・ハイゼンベルク、原子爆弾を作ったのがJ・ロバート・オッペンハイマーやジョン・フォン・ノイマン、連合国軍最高司令官としてノルマンディ上陸作戦を指揮したのがドワイト・D・アイゼンハワーと、まぁ、原爆は直接はドイツの敗戦には関係ないが、開発の契機になっているのは打倒ナチスであるのは明らかであり、ドイツゲルマン人は、ゲルマン系ユダヤ人やアーリア系ゲルマン人によって、直接&間接に叩きのめされているのは、歴史の皮肉以外の何物でもない。半ばこうしてみると、ひとり相撲と言えなくもない。


 さて、序章(プレリュード)における枕言葉が大きくなりすぎた。いよいよ、物語に入ることとしたいが、こうして人間の人生を眺めていると、ジェットコースターのようでもあり、量子もつれではないが、「観測」されるまで、英雄であると同時に悪魔である二面性を有していることがあり、その評価はあたかも光速で動き回り、時代や立場、視点等によって、いくらでも変わり得るということがお分かりいただけただろう。ここにも不確定性原理が息づいているのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る