第3話:下界のパノラマ
「下界から人や、車が、小さくなっていく。まるで、ミニチュアみたいだ……」
そういう独り言を聞いているのは、頭の上の、一羽のカラスくらいだろう。
下界のパノラマを見渡すと、いろんな車が道路を行き交い、公園で犬と寛ぐ人々の姿も見かけた。ここは田舎に近い地域だとはっきり分かる。ビルなどの高い建造物が見当たらず、遥か遠くの方で、工業団地のシルエットは見えるが、音は聞こえない。その下界の人々の様子が変わらないのは、こちらの気配に気付いてないせいかもしれない。
地平線がうっすら視界の中心に浮かび上がっていった。
上空の方を、鳥の群れが飛んでいるのも見かけられた。時折、十数羽の鳥の群れや、日本の航空機がぶつかりそうに接近するが、頭の上のカラスは、掠めもせずに避け切ってくれた。
やがて、カラスの目指している方向は、海の空のようだと分かった。そこへ飛んでしまえば、地上を活動している人間の目からでは、発見されにくいだろう。人の助けも呼べなくなるのが狙いかもしれない。
目の前に、白い雲が接近してきた。次第に太陽が近づいていると予感できた。山登りの登頂付近の高度に到達しているのだろう。それを裏付けるように、寒くなってきた。
「どこまで、昇るのさ?」
カァーッ!
見晴らしが利かない雲のなか、カラスの鳴き声を聞く。
こいつが、僕からフライトキャップを奪いたい目的が何か気になっている。その執念は、僕の想いから重要なことを逸らそうと意図してきた気がする。ただし、相手は人でないから、言葉を聞くことはできない。つまり、カラスの本心を知るためには、想像で描いていくしか手段がない。
おそらく、カラスは、父親が手渡しているこの帽子に含まれた意味を知るよりも以前に邪魔したいのかもしれない。しかしむしろそれが、大切な将来の夢について、考えさせるきっかけを与えてきた。あのカラスはきっと、僕が、父親からフライトキャップを手渡されるのに、大空の夢を込められたような期待を予感している。それで、父親のパイロット人生の想いが詰まった帽子を盗みだし、僕への怒りを晴らしたいのだろう。
三年前に航空機長を解雇された父親が、僕にフライトキャップを託している空の憧れの答えの正体とは、一体、何だろうか……。
すると、厚い雲のなかを突き抜けて、雲の上にまで達した。空気は美味しい。太陽から見れば、真下のような位置だ。見晴らしの良い雲海が、視界一面を覆っている。まさに、天国の世界まで到達したかのような絶景の気分を味わえる。これが、父親の道信から僕に見せたい憧れの光景の正体なのだろう。
高度は、一〇キロメートルほどに差しかかった。
おそらく、気温は〇度を下回っている。急激に、身体が冷えだしてきた。快適な空の旅だと悠長なことは思っていられない。地上の春の陽気で慣れた服装には辛い寒さである。家族とともに過ごしていたバーベキューの最中から、こうなるとは、夢にも思っていなかった。
僕は、息を大きく吸い込む。盛大なくしゃみが出そうだ。
「ぶぇっくしょん!」
こうした弾みで、フライトキャップを掴んだカラスの足が離されてしまった。
その瞬間、下界のパノラマを目がけて、人生のなかでも稀に見る壮絶なスカイダイビングが始まった。
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