第14話

今回は――


「リーフ」の元マスターである三谷さんが、ある日小さな孫を連れて「ひとつぶ」を訪れる話をお届けします。


かつてコーヒーを淹れ、若者たちの話に耳を傾けていたあの人が、

今はひとりの“おじいちゃん”として、静かに店を訪れる一日です。



『たねまきの日』


 その日、「ひとつぶ」はいつもより少しにぎやかだった。


 春休みに入った子どもたちが、おやつの時間を楽しみにしているのか、

 母親に手を引かれながら入ってきては、小さな椅子にちょこんと座っていた。


 午後二時すぎ。

 扉のベルがやさしく鳴く。


 入ってきたのは、白髪まじりの短い髪と、ベージュのコートを着た男性。

 そして、その手をしっかりと握る、小さな女の子。


 「こんにちは。……ふたり、いい席、空いてるかな?」


 紗英がカウンターから顔を上げ、ふっと笑った。


 「三谷さん、いらっしゃいませ。お連れさまは?」


 「孫だよ。今日だけ預かっててね。ここのスコーンが食べたいって言うから連れてきた」


 女の子は、大人しそうな目をして、でもどこか興味深げに店内を見渡していた。



 席に座って少しすると、女の子は紗英の焼いたスコーンを見て目を丸くした。


 「これ……ほんとうにパンみたいなのに、おかしの味がする!」


 「うれしいなあ。あなたは何年生?」


 「1ねんせい。もうすぐ2ねんせい!」

 元気にそう言ったあと、女の子はふと棚の本に気づく。


 「じいじ。あのね、この本……このお店に似てる」

 指さしたのは『午後五時の光』。


 それを見て、三谷さんが声をあげた。


 「ほう。これが……」


 その表紙を、何か思い出すようにしばらく見つめていた。



 「……昔、喫茶店をやってたんだよ」

 女の子がスコーンをほおばりながら尋ねる。


 「コーヒーの店?」

 「うん。“リーフ”って名前だった」

 「なんで“リーフ”?」


 三谷さんは、ちょっと考えてから言った。


 「葉っぱは、ひとつでも風に乗れるけど、木にいるときは、いっぱい支え合ってる。

 この子が名前を“葉”にしたのも、それと同じ理由かもな」

 そう言って、カウンターの方へ目をやる。


 「昔のリーフにいた子が、今はここをやってるんだよ。上手く育ったなあ」

 「お店って、育つの?」

 「そうさ。人も、場所も、おんなじだ」



 店を出る前、女の子が本棚の前で立ち止まった。


 「このお店、好き。また来ていい?」

 「もちろん。また来ような」

 「じいじ、つぎは“じいじのお店”に連れてって」

 「……もうないけど、話だけなら、いくらでもできる」



 帰り際、紗英が三谷さんに声をかけた。


 「今日はありがとうございます。お孫さん、すてきな子ですね」

 「……あの子にも、“あの頃の自分”みたいに、居場所になる場所があればいいなと思ってね」

 「きっと、ここもそのひとつになりますよ」

 「そうなればいいね。たねまき、続けないと」


 三谷さんは、目を細めて笑った。



かつてマスターだった人が、

今は“つぎの世代”のために店を訪れる。

それは、お別れではなく、静かな継承の時間。


 今日まかれた種が、

 きっとまたどこかで、風に揺れる葉になる。

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