第13話

今回は――


今回は、“ひとつぶ”で偶然居合わせた2人の読者同士が、ふとした会話を交わす話をお届けします。


お互い名前も知らないけれど、同じ"本"を読んでここに来た。

そんなふたりが出会う、静かな午後の物語です。



『そのページの、となり』


 午後三時。

 雨が降るでもなく、晴れるでもない、曇り空の日。

 「ひとつぶ」の小さなガラス窓に、ぼんやりと光がにじんでいた。


 カウンター席の端に、ひとりの男性がいた。

 名前は遥人(はると)。

 図書館で偶然手に取った詩集『雨の音が聞こえる日』に心を打たれ、そのあと書店で見つけた絵本『ねこのいるせかい』にも導かれるように、今日ここを訪れた。


 店の本棚にその2冊が並んでいるのを見たとき、

 ああ、本当にここは“本の中に出てきた場所”なんだ、と思った。



 その少しあと、扉が開いた。

 ベルの音に、遥人がちらりと目を向ける。


 入ってきたのは、コットンのワンピースにくすんだ水色の傘を持った女性。

 年齢は彼より少し若そうだった。

 名前は菜月(なつき)。


 菜月もまた、本を読んでここにたどり着いたひとりだった。

 『午後五時の光』というエッセイ集を読んで、静けさの奥にあるやさしさを知った。

 “たぶん私は、あの人が書いた静けさに似た時間を、少し欲しがっているんだと思う。”



 たまたま空いていたテーブルがひとつしかなかった。

 店主の葉が、やさしく言った。


 「よろしければ、こちらでご一緒でも……」


 ふたりは顔を見合わせ、小さくうなずいた。

 誰とも話したくない日はあるけど、今日は“話しかけられてもいい日”だった。



 席に着き、静かに紅茶を飲みながら、どちらともなく声を出した。


 「……もしかして、ここって、本で知ったんですか?」

 「はい。『午後五時の光』を読んで。あなたも?」


 「ええ。僕は詩集から。あと、あの絵本も好きで……」

 遥人は、本棚の『ねこのいるせかい』をちらと指差す。


 「……あのページ、よかったですよね。猫が日なたでうとうとしてるとこ」

 「わかります。“日なたって、だれかのまなざしみたい”ってやつですよね」


 「……うれしい。私、それ、声に出して読んだくらい好きで」

 ふたりは、ほんの少し笑った。



 名前も仕事も知らない。

 でも、同じページを思い出せるということだけで、

 人はこんなふうに、ふっと心を近づけられるのかもしれない。



 帰り際。菜月が言った。


 「“また会いましょう”っていうより、

 “また同じページで会えたらいいですね”って、言いたいかも」


 遥人は静かにうなずいた。


 「はい。……そのときは、ちゃんと名前を名乗ります」



 知らない人と、知っている本を通じて出会うとき、

 心はいつもより少し、やさしい音で開く。


 “ひとつぶ”では今日も、そんな静かな音が響いている。

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