第2話
今日も俺は歩いている。目的地はひとつ、海。理由?特にない。ただ、家にいてもテレビは再放送、スマホはバッテリー切れ、親父は民謡をフル音量で流してる。母ちゃんはいつも通りそうめん茹でながら「たまには働いてる夢でも見たら?」って笑ってた。うん、悪意ゼロのやつが一番刺さるんだよ。
で、結局ここに来た。浜辺。白い砂。無遠慮な太陽。そして。
「毎日サンドアート職人みたいな顔して、ようやるわクニハル」
いた。キジムナー。木の実をかじりながら俺を見下ろしてきた。
「朝っぱらからこの炎天下だ。俺は外に出ただけで偉い。社会はもっと俺を称えるべきだと思う」
「それ、登校拒否した小学生の学校来ただけで偉い論とほぼ同じ構造だぞ?」
「じゃあ逆に聞くけど、俺が働いたところで誰が幸せになる?いや、俺が不幸になることは確実だけど」
「そういう時はだいたい母ちゃんとか将来の自分って答えるんだよ。知ってる?その言葉、ふつうに言える人は、わりと社会に受け入れられるらしいぜ」
「俺が社会って単語を口にすると舌がつるのよね」
「安心しろ、そのうち舌どころか脳も筋肉も省略されて、最終的には貝になるから」
浜風がぬるく吹く。俺は貝になりたくはない。が、人間に戻る予定もない。つまり今が曖昧な何かってことだ。
「そもそもな、就活ってなんだよ。自分を売り込め!とか言うけど、俺みたいな素材、どこの市場に需要あんだよ?加熱不要・実績ゼロ・将来性未定ってラベル貼っても誰も手伸ばさねーよ」
「だったらラベル変えたら?絶対に社員旅行で目立たない安心人材とか、昼休みに無言でうどん食う能力特化型とか」
「それ採用されたら逆に怖いわ」
俺たちの会話を聞いてるのか聞いてないのか、近くでカモメが数羽、砂浜を歩き回っている。観光客が落としたポテトフライでも探してるんだろう。カモメにとっては俺たちの存在なんてただの動く岩程度の認識かもしれない。
「まあ、正直言うと俺はお前が働くことにはそんなに期待してないんだよね」
「うん?」
「だってお前、今のままでも観察対象としてめちゃくちゃ面白いもん。人間ってここまで無で存在できるんだって、
「おい、勝手に研究材料にすんな。俺にもプライバシーと尊厳がある」
「そのわりには近所のスーパーで半額シール貼られるまで冷凍餃子ずっと見張ってたじゃん」
「……あれは戦争だろ」
「なんの?」
「主婦との」
「あー、夕方五時の半額戦線な。お前、負けたもんな。結局定価で買ってた」
「負けてない。戦略的撤退だ」
「負け惜しみにも聞こえるけど、まあいいや」
キジムナーは砂の上に小さな穴を掘って、そこに足を突っ込む。子どもがやりそうなことを何百年も生きてる妖怪がやってると、なんだかシュールだ。
「でもさ、お前ってなんで俺のこと観察してんの?他にももっと面白い人間いるだろ」
「いるけど、みんな忙しそうだからさ。お前は常に暇で話しやすいじゃん」
「それって、俺が都合の良い相手ってことか?」
「都合が良いっていうか……うーん、安心するんだよ。お前といると」
「安心?」
「そう。みんな何かに追われてるけど、お前は何にも追われてない。時間が止まってる感じ。俺らからすると、それって結構珍しいんだよ」
波の音が、言い訳と共に寄せては返す。海の向こうには何がある?社会、未来、希望……そういう言葉は俺にとってはフリスビーと同じ。たまに飛んできて顔面に当たると痛い。
「てか、働くって本当に良いことなのか?みんな疲れてるじゃん。あの目の焦点が合ってない感じ、まるで魂だけ出勤してるみたいだし」
「そりゃお前が鏡見て言ってるようなもんだけどな」
「いやマジで、世の中『疲れてる』がデフォなんだよ。だったら最初から疲れない俺のスタイルの方が合理的じゃね?」
「生きてる意味を効率で語るな。生きてるだけで十分しんどいだろ。それでも飯炊いて、皿洗って、子ども送り迎えして、月曜を迎える人たちがいんだよ。少なくともお前よりすげぇ」
「……認めたくないが、その通りだな」
キジムナーはふっと笑った。陽射しが強くなってきたので、俺たちはヤシの木陰に逃げる。木陰の涼しさが、なんだか救いみたいに感じる。
「でもさ、キジムナー。お前から見て、働いてる人たちって本当に幸せそうに見える?」
「幸せかどうかは知らないけど、充実してそうじゃん。目標があって、それに向かって進んでる」
「目標ねえ……俺の目標は『今日も無事に一日が終わること』だからな」
「それはそれで立派な目標だと思うけど」
「本当に?」
「うん。だって毎日生きるって結構大変じゃん。お前、死にたいとか思ったことない?」
「ないな。生きてるのが楽すぎて、死ぬメリットが見つからない」
「それ、ある意味最強だよ」
海を見ていると時々小さな魚が跳ねるのが見える。何で跳ねるんだろう。餌を追いかけてるのか、ただ楽しいからなのか。理由なんてどうでもいいのかもしれない。
「俺が一番怖いのはさ、働いて『何か』に染まって、俺じゃなくなることなんだよな」
「お前が無であることを守りたいんだな」
「そう。俺は俺の無を大事にしたい。世の中が有で評価しすぎてる。成績、年収、フォロワー数……全部数字じゃん。俺は曖昧でいたい」
「曖昧ってのは逃げ道にもなるけど居場所にもなるんだよな。俺から見て、お前は――うん、やっぱ人間だわ」
「なんだよその雑な感想文」
「いや、ちゃんとした褒め言葉だよ。だって俺ら妖怪は曖昧なままだと消える。人間は、曖昧なまま生きててもいいって不思議な生き物だからさ」
「でも、俺みたいなやつが増えたら社会回らなくなるんじゃね?」
「そんなことないよ。だって、お前みたいなやつばっかりだったら、逆に働く人が貴重になって価値上がるじゃん。需要と供給ってやつ」
「経済学かよ」
「長く生きてると、いろんなこと覚えるんだよ」
太陽が少し西に傾いて影の長さが変わった。時間が経ってることを実感する瞬間だ。でも、特に焦りは感じない。時間に追われないって、こんなに楽なのか。
「そういえばさ、お前の仲間はどうしてるんだ?他のキジムナーとか」
「みんなそれぞれだよ。観光地で写真撮影のお手伝いしてるやつもいるし、漁師さんと一緒に働いてるやつもいる」
「働いてるじゃん」
「まあ、遊びの延長だけどね。俺らは基本的に好きなことしかしない」
「それって俺と一緒じゃん」
「そうかもな。お前、実は妖怪の素質あるよ」
「人間やめて妖怪になれるのか?」
「なれないけど、心境は近づけるんじゃない?」
近くを散歩中の犬と飼い主が通りかかる。犬は尻尾振って楽しそうだけど、飼い主はスマホ見ながら歩いてる。どっちが幸せなんだろう。
「でもさ、俺がこのままでいることで誰かが迷惑してるって考えたことある?」
「例えば?」
「税金とか、社会保障とか。俺は何も貢献してないじゃん」
「だったら今度、海岸清掃でもしたら?ボランティアも立派な社会貢献だよ」
「めんどくさい」
「正直だな」
「でも、たまにゴミ拾いぐらいはしてるよ。気が向いた時だけど」
「そういうのでいいんじゃない?無理して背伸びしなくても」
キジムナーは立ち上がって、砂を払う。どうやら今日の会話はここまでらしい。
「じゃ、今日はそろそろ引き上げるわ。また来いよ。どうせ暇だろ?」
「失礼な。俺はいつでも『空いてる』んだよ」
「それ、ふつう『暇』って言うんだよ」
「言い方の問題だ」
「まあ、お前らしいや」
キジムナーは波打ち際の方へ歩いて行く。後ろ姿を見ていると、なんだか寂しくなる。でも、明日また会えるから大丈夫だ。
「おい、キジムナー」
振り返った彼に向かって俺は手を振る。
「ありがとうな。毎日付き合ってくれて」
「お礼なんていらないよ。俺も楽しいから」
そう言ってキジムナーは波打ち際の水泡みたいにふっと消えた。俺だけが残された、平凡な風景。
夕方が近づいて、空の色が少しずつ変わり始める。オレンジ色の雲が海の向こうに浮かんでる。きれいだな、と思う。こういう瞬間があるから俺は生きてるのかもしれない。
家に帰る道すがら、コンビニに寄る。今日の夜食は何にしようか。冷凍餃子は昨日食べたから、今日はカップラーメンにしよう。贅沢はしない主義だ。
レジで会計する時、店員さんが「ありがとうございました」って言ってくれる。俺も「ありがとう」って返す。小さな会話だけど、なんだか温かい。
明日も多分、同じ海に来る。同じ砂の上で、同じ顔して座る。でも、どこかほんの少しだけ、潮の香りが違うかもしれない。そんな小さな変化を楽しみに、今日も一日が終わる。
家に着くと、母ちゃんが「お帰り」って言ってくれる。親父は相変わらず民謡を聞いてる。いつものことだけど、悪くない。
俺は俺のペースで生きている。それでいいんだと思う。少なくとも、今日のところは。
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