第4話 村の呪縛
衝撃で息が止まりそうになり、僕は咄嗟に後退した。石壁には裂け目が走り、そこから村人たちの囁きが漏れてくる。振り返ると、赤提灯の向こうに無数の影が集まり始めた――皆、同じ黒い玉の瞳を持ち、口元だけが引きつるように笑っている。 「おいで。みんな、あなたを待っている」 冷たいコピー音のように、女の声が頭の中で響き渡る。逃げ道は石段しかなく、振り返ればもう人影で塞がっていた。パニックになった体は思うように動かず、鼓動が耳を塞ぐ。 崩れかけた壁の向こうにかすかな光が見え、そこへ飛び込もうとした瞬間、群衆の念が渦巻き、足元の石板が割れた。大きく崩れる瓦礫。次の瞬間――僕は真っ逆さまに落下し、意識を断った。
冷たい床に体が横たわっている。重い痛みとともに目覚めると、木組みの天井と、白木の柱に囲まれた本堂の中央にいた。異様な静寂。血の匂いは消え、代わりに榊の甘い香りが空気を満たしている。 だが香織の姿はない。祭壇も供え物もすべて跡形もなく消え失せ、代わりに仏像の頭部だけが、ぽつんと床に転がっていた。視線を上げると、遠くの本堂入口には、誰もいないのに扉がゆっくりと閉まっていく。 背後に気配を感じ、振り返ると――そこにも何もない。ただ、首筋にまとわりつくような冷たい気配だけが残っていた。目を凝らすと、天井の梁の隙間から、一本の黒髪がスルリと落ちてきた。 それはまるで、まだ深く根を張り続ける呪いの欠片のようだった。無意識に手を伸ばすと、指先はすり抜け、冷たい感覚だけが爪先まで走った。
本堂を出ると、東の空はまだ薄暗く、月光と夜明けの狭間が紫色の陰影を描いていた。車が置かれた石畳の道は、夜の間に歪み、まるで蛇の鱗のように波打っている。エンジンを掛ける手が震え、ブレーキランプが赤く光る。 バックミラーに映るのは、遠ざかるはずの石鳥居。だが振り返ると、そこからじっと僕を見つめる女の形が浮かび上がっていた。黒髪の隙間から、空洞の瞳が冷たく光り、ゆっくりと微笑んでいる。 アクセルを踏み込むと、車は砂利を蹴散らし、闇の坂道を滑り落ちた。背後で甲高い子どもの歌声が木霊し、鳥居越しに風が唸る。 ――逃げ切れたと思った瞬間、胸の奥底に刺さる不吉な予感が走った。あの村は僕を解放してくれない。どこかで、永遠に門を開き続け、犠牲を待ち構えているのだと。 黒髪の女の囁きが、後部座席の暗がりから、まだ聞こえてくる。
深い闇は、決して完全には消えない。あの村が開けた門は、あなたが思うよりも遠くまで続いているのだから。
怖い女 ビビりちゃん @rebron
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